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仮面ライダーアマゾンズ THE MOVIE 最後ノ審判 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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仮面ライダーアマゾンズ Season 2 輪廻 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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仮面ライダーアマゾンズ Season 1 覚醒 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ドライブサーガ 仮面ライダーチェイサー 2016 | |||||||||||||||||||||||||||
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ドライブサーガ 仮面ライダーマッハ 2016 | |||||||||||||||||||||||||||
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ドライブサーガ 仮面ライダーハート 2016 | |||||||||||||||||||||||||||
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仮面ライダーカブト GOD SPEED LOVE 2006 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1999年に地球に巨大隕石が衝突し、大規模な陥没が起こった地球は深刻な水不足へと移行する。更にその隕石から現れた地球外生命体ワームが出現、瞬く間に広範囲を支配した。人類はワームに対抗するためZECTを設立。マスクドライダーシステムを開発した。そして2006年。ワームとライダーの戦いは続いていたが、ZECTに反旗を翻す一部メンバーが新組織・NEO ZECTを結成。ZECTとNEO ZECTの戦いに発展していった。そんなところに仮面ライダーカブトに変身する天道総司(水嶋ヒロ)が現れる… 本作に至るまで平成ライダーシリーズは5本が作られてきた。おもしろいことにそのどの作品もテレビ版と劇場版の設定を変えているところにあるが、その最たるものが本作だろう。いかにして全く違う物語の劇場版をテレビ版につなげるか、その試行錯誤の結果が本作となって現れている。 本作は物語自体がテレビ版のパラレルワールドという設定で、テレビ版の設定と全く変えているという点で『仮面ライダー555 パラダイス・ロスト』(2003)と似ているが、本作の場合は完全に別世界ではない。実はテレビ版と深くリンクしている。 まず「仮面ライダーカブト」のテレビ版は、これまでのシリーズ作品以上に様々な謎があふれている。設定上で言っても、ワームと呼ばれる化け物が世界に蔓延っているというのはともかく、主人公の天道総司が何故ライダーになれるのか、あるいはZECTと呼ばれる組織が未来のことを見通しているような態度を取るのか、あたかも最初から定められていたように次々とライダーに変身する人物が現れるとか(予言の書らしいものまで登場する)、細かく取ればいくらでも不思議な所がでてくる。しかもそれについてテレビ本編の中ではほとんど何にも言及されてない。 そう言う意味ではテレビシリーズは細部で面白いところはいくつもあったものの、欲求不満ばかりが出てくる作品だった。 ところがこの映画をビデオで観て色々納得がいった。 その答えは、実は全てここにあったのだ。パラレルワールドでのワームとライダー達の戦いを経た天道が時を越えて過去へと戻り、過去の自分自身にベルトを託したという過去があったのか。 …と言う壮大なテレビ版とのリンクを目指して本作は作られていた。本作を観たことでテレビでの謎のいくつかは解決され、ようやく理解できたことも多い。テレビ版の一番最初、子供の頃の天道にライダーベルトを手渡したのが誰なのか、そしてZECTがあたかも未来を知ってるかのような言動を取っていたのかは、本作で分かるようになってる。 しかし、これはまた思いきったことをしたものである。テレビで全く説明しないのだから、本作を観ないとテレビ版の謎は謎のまま残ってしまう。これは「視聴者を馬鹿にしてる!」とクレーム付けられても不思議じゃない。そんなのを敢えて作ろうという製作者は、思い切りが良いと言うより、正気を疑うレベルだ。 ただ、この作りだとラストさえ帳尻合っていればいいので、テレビ版を離れてやりたい放題やってるのは、逆に楽しい。折角“最強の男”を出す以上、ケレン味たっぷりに、嫌みなほど主人公を目立たせるやりかたは、映画だから出来ることだし、無国籍シリーズや、60年代の東映任侠作品に通じる演出も、知っている身としてはにやにやできる。こいつだからこれだけやっても良い。と言う開き直りもかえって清々しいくらいだ。水嶋ヒロが小憎らしいくらいにキャラにはまってるのも良い。もうちょっとで第二の「快傑ズバット」にだって出来た作品だった。 …と、言うことでテレビ版と併せて観ることで本作の真価は発揮される。これまでの映画にはなかった壮大なチャレンジ精神がここにある …のだが、ここに一つ問題があった。 平成版仮面ライダーは、「アギト」あたりからだんだん後半の物語が怪しくなるようになった。最初に広げた風呂敷を全く畳まないまま終わるし、そもそも敵の首領というのがよく分からないまま強引に終わらせる事が多くなった。そのグタグタっぶりは本作でも健在で、特に後半の物語展開はもはや脚本家に本当にやる気あるのか?と疑うレベルで、いろいろあった謎の大半は物語中に明かされることなく終わる。当然劇場から受け継いでいる筈の謎とかも全く明かされることなし。 つまり、これだけ壮大な引きを作ったにも関わらず、それらが全部無駄になってしまったということ(マニアレベルになると、裏設定とか調べて納得できるのだろうが、本来本作はこども向きだ)。 劇場版単体では評価できないものを作った上で、その伏線も回収できずにテレビを終わらせる。とんでもないことをしたものだ。 テレビ版の評価が高ければ相対的に本作の評価も上がっていたので、そこが残念。映画単体でいうなら決して嫌いじゃないんだけど。 |
タイトル | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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仮面ライダー剣(ブレイド) MISSING ACE[ミッシングエース] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ジョーカーを封印することで、地球の覇権をかけたアンデッドたちの戦いは終了し、務めを終えた剣崎一真たちはライダーベルトを返却し、それぞれの生活へと入っていった。それから一年。始を失った悲しみの癒えていない??家を気にしつつも自分の生活でいっぱいいっぱいの剣崎の目の前に、封印されたはずのアンデッドが現れる。しかも続いて現れたのは剣崎も知らない新しい仮面ライダーだった。一体なにが起こっているのか。真実を確かめるべく、剣崎は事情を知っていると思われる橘の元を訪れるが… 平成仮面ライダーシリーズ第5作仮面ライダー剣の劇場版。 このテレビシリーズは、はっきり言って、もの凄く出来が悪く、本サイトでも観たそばから無茶苦茶にこきおろしたものだ。お陰で某巨大掲示板でもサイトが叩かれたり、掲示板に文句書かれたりと、色々思い出がある(あの当時は落ち込んだりもしたけど、今となっては良い思い出だ)。 とはいえ、嫌いか?と言われるとそうでもないのが特撮ファンの性という奴。出来の悪い子ほど可愛いというか、ツッコミ所が多い作品ほど実は楽しいので、終始楽しませてもらえた。 それで劇場版の本作だが… 「あの親にしてこの子あり」というべきか、「あのテレビシリーズだったらこうなるか」というべきか、とにかくそういう意味ではまずは納得できた作品だった。 ただ、色々言う前にまず本作の構造を考えてみたい。 平成ライダーシリーズはテレビ放映半ばで劇場版が作られるため、劇場版では色々工夫が凝らされる。この時点までには『仮面ライダーアギト ProjectG4』(2001)はテレビシリーズの中の1エピソードとして。『仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL』(2002)はもう一つのエンディング。『仮面ライダー555 パラダイス・ロスト』(2003)は完全なるパラレルワールド。そして本作の位置づけは、テレビ版のエンディング後の話として。色々バラエティに富んだ設定で楽しませてくれる。 本作の場合は、平行して放映しているテレビシリーズは中盤にさしかかったばかりなので、エンディング後と言うのはネタバレを含んでいると言うことでもあり、なかなかに挑戦的な作品だった。難しいものに敢えて挑もうとしたスタッフの努力だけは認めてもいいだろう。 それでまだ作品が終わってないのに終わった後の話が成り立つのか?これは挑戦だったと思うのだが、はっきり言えば、物語としてまるで成り立ってなかった。 テレビ版でで四人存在するライダーの一人、仮面ライダーカリスの始は特別な存在で、主人公のブレイドを含めた三人のライダーとは立ち位置が全く異なる。彼は人間ですらないジョーカーと呼ばれる特別な存在であり、バトルロイヤルが終わった時点で人類を含めたすべてのアンデッドを滅ぼすために存在した。つまり彼が生き残ることは人類の滅亡を意味することになる。 それで始をどうするのか。が物語中盤から後半にかけての見所だった訳だが、映画版ではオープニング時点でブレイドによってカードに封印されて人類は存続した。と言う設定になっている。 結果として、本作は主役の一人を欠いたまま話を展開させねばならない事になる。ここで演出されるべきは、始のいないこの世界で折り合いをつけて生きていかなければならない、残された人間の喪失感と、それを乗り越えたところでの感動的な再会だろう。 しかし、本作の物語は有象無象のライダーたちに振り回されっぱなしで終わるだけの物語に成り下がった。デウス・エクス・マキナ的に最後にちょっとだけ始が出て、全てをあっけなく終わらせて去っていった。それだけ。 キャラにおいても本作のTVシリーズはキャラの滑舌の悪さが不評の原因の一つだったが、それ以上に素人臭い新キャラ出してどうするんだ?(同時期に「ウルトラマンコスモス」で主役張ってる杉浦太陽の弟杉浦太雄が出てくるってのも売りだったけど、演技力がそもそも…) 本作の印象は「とにかくいっぱいライダーが出てきて、喧嘩してるうちにいつの間にかでっかい敵が出てきて終わった」と言う感じ。これだったらまだTVシリーズの仮面ライダーディケイドに出てきた前後編の「剣」のエピソードの方がまだすっきりしてたくらい。いっそ完全に割り切ってこの物語を映画にした方がましな程度の物語だった。 脚本を勤めた井上敏樹はむらっ気の多いライターとして知られるが(そのため傑作もいくつかあるが)、その最も悪い部分が出てしまったとしか思えない。少なくとも金取って見せられるような作品には到底思えない。 |
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