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2016 | ||
2015 | ||
2014 | ||
2013 | ||
2012 | サイド・バイ・サイド フィルムからデジタルシネマへ 出演 | |
2011 | ブレイクアウト 監督 | |
2010 | トゥエルヴ 監督 | |
2009 | ブラッド・クリーク 監督 | |
2008 | ||
2007 | ナンバー23 監督 | |
2006 | ||
2005 | ビハインド・ザ・マスク 出演 | |
2004 | オペラ座の怪人 監督 | |
2003 | ヴェロニカ・ゲリン 監督 | |
2002 | フォーン・ブース 監督 | |
9デイズ 監督 | ||
2001 | ||
2000 | タイガーランド 監督 | |
ゴシップ 製作総指揮 | ||
1999 | フローレス 監督・脚本 | |
8mm 監督・製作 | ||
1998 | ||
1997 | バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲 監督 | |
1996 | 評決のとき 監督 | |
1995 | バットマン フォーエヴァー 監督 | |
1994 | 依頼人 監督 | |
ベビーシッター 製作総指揮 | ||
1993 | フォーリング・ダウン 監督 | |
1992 | 2000マリブロード・美しき疑惑 監督・製作 | |
1991 | 愛の選択 監督 | |
1990 | フラットライナーズ 監督 | |
1989 | 今ひとたび 監督 | |
1988 | ||
1987 | ロストボーイ 監督 | |
1986 | 殺しに熱きテキーラを 製作総指揮 | |
1985 | セント・エルモス・ファイアー 監督・脚本 | |
女諜報員フォックスファイアー 製作総指揮・企画・原案 | ||
1984 | ||
1983 | D.C.キャブ 監督 | |
1982 | ||
1981 | 縮みゆく女 監督 | |
1980 | ||
1979 | ||
1978 | ウィズ 脚本 | |
1977 | ||
1976 | カー・ウォッシュ 脚本 | |
1975 | ||
1974 | ||
1973 | ||
1972 | ||
1971 | ||
1970 | ||
1969 | ||
1968 | ||
1967 | ||
1966 | ||
1965 | ||
1964 | ||
1963 | ||
1962 | ||
1961 | ||
1960 | ||
1959 | ||
1958 | ||
1957 | ||
1956 | ||
1955 | ||
1954 | ||
1953 | ||
1952 | ||
1951 | ||
1950 | ||
1949 | ||
1948 | ||
1947 | ||
1946 | ||
1945 | ||
1944 | ||
1943 | ||
1942 | ||
1941 | ||
1940 | ||
1939 | 8'29 ニューヨーク州ニューヨークで誕生 |
タイトル | |||||||||||||||||||||||
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ナンバー23 2007 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2007ゴールデン・ラズベリー最低主演男優賞(キャリー) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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動物管理局に勤めるウォルター・スパロウ(キャリー)は2月3日の誕生日に妻アガサが古本屋で見つけたと言う“ナンバー23”という本をプレゼントされる。その小説を読み進むうち、ウォルターは主人公が自分自身とと思えるほどに似ていることに気づかされていく。“23”という数字が持つ謎に取り憑かれて破滅していく主人公。やがてウォルターは、自分に関係するあらゆる情報も“23”に符合している事実に気付かされていく… コメディアンから演技派へと転身したジム・キャリーが送るサスペンス・スリラー作品。 ここでのキャリーは一つの考えに取りつかれ、精神の均衡を崩して自滅していく。と言った主人公を演じているが、はっきり言えば「又これかよ!」と言った類。オチも含め、見事に類型的な作りで、ラストを観ても「ふーん」で終わってしまう。 『シックス・センス』(1999)以降観てる側もすでにそう言う免疫が出来てしまっているので、それを上手く裏切ってこそ物語は映える。「どうです。衝撃的なオチでしょう」と出されたものがありふれたものになってしまっては、観てる時間の無駄以外の何者でもない。この手の作品は演出の良さにすべてがかかっていると言って過言ではないのだが、その肝心の演出が全然かみ合わないのは致命的。最初のうちこそ23という数字に何かがあるんじゃないかと思わせてくれるのだが、それが延々と続いていき、中盤になるともはやこじつけ以外の何者でもなく、オチに至っては「やっぱり」としか思えなくなってしまう。もうちょっと物語にメリハリをつけないとあかんよ。 キャリーは相変わらずの上手さを見せているだけに、この程度の作品にはもったいないとしか思えないよ。 |
オペラ座の怪人 2004 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2004米アカデミー撮影賞、歌曲賞、美術賞 2004ゴールデン・グローブ作品賞、女優賞(ロッサム)、歌曲賞 2004放送映画批評家協会若手女優賞(ロッサム) 2004ナショナル・ボード・オブ・レビューブレイクスルー女優賞(ロッサム) 2005日本アカデミー外国映画賞 2005外国映画興収第6位 |
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1919年のパリ。かつて火災を起こし、今や廃墟と化したオペラ座でオークションが開かれた。その思いでの品々を見つめる、かつてこのオペラ座にゆかりのある面々は、あの事件を思い出すのだった。たぐいまれなる歌唱力を持った歌姫クリスティーヌ(ロッサム)と、“オペラ座の怪人”ファントム(バトラー)の事を… 解説書によると全世界のべ8000万人が観たという大人気オペラの映画化作品。舞台劇の方は未見。だから較べようはないけど、ストーリー運びなどは舞台版に忠実との事なので興味を持って拝見。 今回この作品を観て、長年疑問に思っていたことが一つ解消され、気分的にはかなり爽快になった。 私は中学から高校にかけ、一時期推理小説に凝ったことがあった。読むのは大抵海外物で、この時に読んだ量は相当なもの(高校に入ってからSF作品が入ってきて、やがてそれは逆転していったが)。勿論その中にはルルーの「黄色い部屋の秘密」や「オペラ座の怪人」も入っていたが、はっきり言ってルルーの作品はどうも好きになれなかった。 その理由は単純で、トリックがあまりにもお粗末だと言うこと。「黄色い部屋の秘密」は完全密室殺人事件の唯一の作品とかのふれこみだったが、そのトリックは「ちょっと待て」なものだったし、「オペラ座の怪人」に至ってはトリックがトリックになってなかった…それがフランス的と言えばそれまでだけど…しかしこの二作は推理小説としての評価はたいへん高く、特に本作はミュージカルとしてたいへん高名。 はっきり言ってしまうと、「なんでこの程度の作品がそんなに有名なのか?」というのが長年の疑問だった。 だが、これを観てはっきり分かった。要するに私が間抜けだったと言うことを。 なんだ。「オペラ座の怪人」という作品は推理作品じゃなかったんだ。特殊な三角関係を描いた恋愛ドラマだったんだな…何を今更って感じだが。 それが分かってしまうと、実に素直に本作は楽しめた。物語は本当にベタな恋愛ものとして作られている。実は私はちょっとこういうのは苦手だし、話自体もやや薄っぺらいきらいがあり。 それは良いのだ。どろどろの三角関係を描く映画は私が一番苦手とするものだから。それに本作の場合、最大の売りがある。それは何より演出が際だってると言うこと。 オープニングのシャンデリアが点灯され、古びたオペラハウスが原色に変わっていくのは予告編で度々流されていたが、それ以外の演出だって凄い。 最初のモノクロシーンは古い映画に似せてわざと画面を荒らし、まるでモノクロームの絵画が動いているかのように見える。ここからぐいぐいと画面に引き込まれていく。現代をモノクロで、思い出を鮮やかなカラーで演出するのは手法としては古いが、この作品には実によく似合っている。それにオペラだけあって、重厚な音が素晴らしい。音響の良い映画館で観ると、その音の波に飲まれそうになった。ファントムのテーマは特に耳に突き刺さってくる。 それと、舞台劇というのは、あくまで固定した舞台の中で演じられるため、観客の視点までも固定されてしまうものだが、本作はカメラが縦横どころか上から下まで本当に良く動く。そう。舞台劇を映画化する場合、映画でなければ演出できない部分を強調する必要があるものだ。その辺よく分かってらっしゃる。映画の特性をフルに用いた演出に関しては徹頭徹尾素晴らしい!と言える。 ただ一方では…キャラクタがなあ。どう見てもロッサムじゃ荷が勝ちすぎだろ?歌の上手さで選んだとしても、華が無さ過ぎ。普通よりちょっと綺麗な女性役でしかないんだよな。だから、ファントムが執着するのがあんまり理解できないのは問題だよ。それに残念なことにファントムのコンプレックスと、才能の誇りの演出も今ひとつ。バトラーがそもそも格好良いので、あの程度の怪我でコンプレックス持つことの説得感がない。もしもそれが本作の狙いだったとするなら、そこを重点的に演出すべき所だよ。 それと、本作の大きな問題。2時間半は長すぎた。舞台の場合、2時間を超えるものは幕間が入って一息付けるのだが、本作にはそれが無かったから、緊張感の連続で疲れてしまった。古典的な映画だったら幕間のある作品もあるので、どうせ演出を考えるならば、敢えてそれをやってみても良かったんじゃないだろうか?それだったら幕間入れて3時間でも大丈夫だったよ。 画面演出に関しては完璧。ただそれ以外をもうちょっと頑張って欲しかった。 |
ヴェロニカ・ゲリン 2003 | |||||||||||||||||||||||
2003ゴールデン・グローブ女優賞(ブランシェット) | |||||||||||||||||||||||
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1994年アイルランド。ジャーナリストのヴェロニカ(ブランシェット)は夫グレアム(バーンズ)と息子のカハル(オドリスコール)とともに幸せに暮らしていたが、取材で現在のダブリンにどれだけ若者の間に麻薬が蔓延っているかを知って以来、麻薬撲滅のために取材を開始する。彼女の熱意と根気から、様々な情報源を活用して核心へと迫っていくが、彼女の活動を良く思わない麻薬シンジケートは彼女と家族を狙い始める。 1996年に射殺されたアイルランドの実在のジャーナリスト、ヴェロニカ・ゲリンを描いた作品。当時アイルランドは政治に食い込んだ麻薬組織が、特に低年齢層に麻薬を売りつけることで莫大な利益を得ていたそうだが、彼女の活動とその死によって大きく社会そのものが変わったと言う事で、大変重要視されている女性だそうだ。 物語そのものは事実という裏打ちはあっても、作りは月並み。アイディアとしても、ラストへのもって行き方も、決して目新しい部分があるわけではないし、事実を基にしているからか、割と物語も淡々とした感じ。麻薬描写も表層的。ヴェロニカの心情も掘り下げて語ろうとしていない。などなど決して悪いというわけではないにせよ、細かいところで不満を感じさせる作りで、このままでは単に地味な作品と言うだけで終わってしまいがちな物語だった。日本もアメリカもこういうドラマが好まれるので、テレビではよく流れてるし。 でも、本作はなんと言っても私のようなブランシェット好きにとってはたまらない。役作りには定評があり、どんな役を演ってもはまる人だけど、こういったストレートな激しい役って、実はそんなに多くない。私なんかはブランシェットの迫力ある物腰や喧嘩腰でべらべらと喋る魅力だけで充分!ってな感じ。 本作のブランシェットは“綺麗”という言葉は当てはまらないだろう。いや綺麗は綺麗なんだけど、それ以上に“意志の強さ”というのをそのまま体現したような演技には圧倒される。しかもここでは激情的なだけじゃない。持続させる怒りといったものが根底にあることが分かる。こういう演技出来る人って凄いと思うよ。 結局本作はブランシェットを観るための作品で、それ以外は目新しい部分がない。それを割り切ってしまえばかなりはまれる作品であるのは確か。ファンだったら必見。 本物のヴェロニカというのがどんな人だったかは分からないけど、こんなのをパートナーにしてしまうと本当に大変だろうねえ。 |
フォーン・ブース 2002 | |||||||||||||||||||||||
2004MTVムービー・アワード悪役賞(サザーランド) | |||||||||||||||||||||||
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製作にデヴィッド・ザッカー。 |
9デイズ 2002 | |||||||||||||||||||||||
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ロシアン・マフィアに囮捜査中のCIAの諜報員ケヴィン・ポープ(ロック)がプラハで殺害された。彼は首尾良くアタッシュケース型ポータブル核爆弾P.N.Bを購入に成功したのだが、同じくP.N.Bを狙う国際的テロリストのドラガンによって暗殺されたのだ。それでCIAは、ケヴィンの双子の弟ジェイク(ロック二役)に白羽の矢を立てるのだった。CIA諜報員のオークス(ホプキンス)は9日間でジェイクをケヴィンに仕立てようとするのだった。 巻き込まれ型のスパイ作戦と言った感じの作品で、『北北西に進路を取れ』(1959)の純粋な後継って感じ。ただ、本作の場合、演出がちょっと変。笑わせようとした部分がことごとく面白くなく、緊張感も中途半端で終わってしまった感じが強い。キャラクタは悪くないんだけど、それをうまく活かすことが出来なかったのは問題。ブラッカイマー印らしく設定だけは派手だったけど、肝心の物語が派手さを抑えすぎた。その割に物語が強引で、個性も感じられず、どこかで観たような物語がだらだらと続くばかり。 そもそもコメディ向きのロックが浮いてたのが一番の問題じゃなかったかな?この人を上手く使いたかったら、むしろ自分の土俵に全てを持ち込んで、全てを煙に巻くような演出にすべきだったんじゃ無かろうか?こういう巻き込まれっぱなしの作品は彼のカラーじゃない。 それで『9デイズ』という邦題だが、例えば9日で地球が破滅する!とかのカウントダウンかと思いきや、何のことはない。訓練の期間というだけ。物語はその後に始まるんだから、せめて『アフター・9デイズ』とかにすべきだったんじゃないの? 結局最初から最後まではまりこむことなく終わってしまった。 一見派手に見え、実は地味な作品。 |
8mm 1999 | |||||||||||||||||||||||
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鉄鋼分野では伝説的な大富豪の遺品の中にあった8mmフィルム。そこにはスナッフ・ムーヴィー(殺人映画)が映っていた。そこでの映像が本当なのかどうか、その妻から調査を依頼されたウェルズ(ケイジ)は調査を開始し、そして真相に近づいていく。ついに映画を作った男ディーノと接触に成功したウェルズだが。 陰鬱なイメージと淡々と流れるストーリー。実はこう言うのは私の好み。ニコラス=ケイジは軽めの役が多いけど、実はこういう役の方が彼には似合う。決してスーパーマンではなく、自分の感情に左右されつつ、他者の作り上げた物語の中をもがき続ける。う〜ん。やっぱ好みだわ。 スナッフ作品は未だ観たことはないし、これからも観たくはないが、この世界にはまると抜け出すことは出来なくなる。と言う言葉はよく分かる気がする。実際、スナッフ・ビデオというのは、生の迫力だからね。 ストーリー的には少々難があり、ラスト以降の悲惨さを考えると暗くなるので(実際、スナッフ・ムーヴィーを見続け、実際に二人殺してしまったウェルズがまともな生活に戻るとは思えないけど)、やや評価は下げざるを得ないが、それでも楽しめた作品だった。 結構名言もあった.。「一度入ったら逃げられないぜ」「金と力でできたから。それが理由」「理由なんか無い。それが好きなだけだ」。特殊な嗜癖を持つ人が言いそうな台詞ばっかり。 |
バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲!! 1997 | ||||||||||||||||||||||||||||
1997ゴールデン・ラズベリー最低助演女優賞(シルヴァーストーン)、最低作品賞、最低監督賞、最低助演男優賞(オドネル)、シュワルツェネッガー、最低脚本賞、最低音楽賞、最低スクリーン・カップル賞(クルーニー&オドネル)、最低リメイク・続編賞、最低非人道・公共破壊貢献賞 | ||||||||||||||||||||||||||||
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かつて優秀な科学者でありながら、最愛の妻を亡くし、自らも超低温でしか生きられなくなったMr.フリーズ(シュワルツェネッガー)と、こちらも優秀な植物学者ポイズン・アイビー(サーマン)である。彼女の吐息を嗅いだ男は全て彼女の虜となると言う妖しい魅力を身につけたアイビーは唯一その吐息が効かないミスター・フリーズと組み、標的をバットマン(クルーニー)とロビン(オドネル)に定める…。 久々のシュワルツェネッガーの悪役。と言うので結構期待はあったのだが、何のことはない。結局いい人で終わるじゃないか。かなり観客を馬鹿にしてるぞ。この映画は。 それにしても、ジョージ・クルーニー演ずるバットマンは今までのシリーズにあった韜晦がまるでなく、完全に正義のヒーローと化している。シリーズ化の弊害と言えばそれまでだが、もう少し悩んで欲しかったし、もう少し残忍であって欲しかった。ロビンも煩わしい感じ。1作目の持っていたダークヒーローは全く姿を消し、残ったのは子供にも分かるヒーロー像のみだった。 相変わらずメカニックはぶっ飛んでいて楽しかったけど。 |
評決のとき 1996 | |||||||||||||||||||||||||||
1996ゴールデン・グローブ助演男優賞(ジャクソン) 1996ゴールデン・ラズベリー100億ドル以上の興行収入を上げた作品での最低脚本賞 1997MTVムービー・アワード ブレイクスルー演技賞(マコノヒー)、女優賞(ブロック)、悪役賞(キーファー=サザーランド) |
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ミシシッピー州カントン。黒人の労働者カール・リー(ジャクソン)の娘トーニャが2人の白人青年にレイプされ、一生子供の産めない体にされてしまった。しかし裁判では二人の白人は無罪宣告を受けそうになっている事を知ったカールは裁判所で二人を射殺してしまう。黒人差別の色濃く残るこの街で、弁護士をなかなか雇えないカールに、若手弁護士のジェイク(マコノヒー)が手をさしのべる。ジェイクは自分の力を証明すべく、苦労を承知で受けた依頼だったが、その苦労は彼の想像をはるかに上回っていた。KKKの横槍で、自らも危険な目に曝されたり、あきらめきったようなカールの態度のみならず、黒人と白人の武装団体が敵意をむき出しにして町でやり合うようになっていく。刻一刻と評決のときは迫っていく… 法廷小説の第一人者であるジョン・グリシャムの処女長編作品の映画化(この人の原作は必ず売れるので、映画化権を巡り、高値で取り引きされているらしい)。流石に処女作だけあって、後の作品に見られるサスペンス色は薄く、純粋な法廷ものとなっている。これは実はグリシャム自身が新米弁護士時代の体験を元にしたと言うだけあって、並々ならぬ思い入れがあり、なんと本作では自ら製作も兼ねている。 差別を映画化するのは難しい。これまでもこのテーマで多くの映画が製作されてきたが、概ね一般受けはしなかった。 本作のテーマは極めて重く、しかもかなり純粋な裁判ものなのだが、きちんとエンターテインメントしていた点が面白い。これらは両方欲張ると、大抵碌でもない事になるものだが、本作はそのギリギリの所で両立させられていて、社会派的な作品としても、エンターテイメントとしても、しっかり見せるに足る作品を作ってくれている。その手腕は確かに見事だ。重い。だけど面白い。これこそ映画の重要な要素だろう。 それに、この映画の大きな特徴として、これだけヴェテラン俳優を揃えていながら、主人公に殆ど無名だったマコノヒーを指名した事にあると思う。これだけの大役に堂々と挑んだこの人に功労賞を贈りたい。本作の肝は、新人弁護士の初々しさにあったのだから。その辺がよく分かった起用だった。更に脇を固める俳優陣がヴェテラン揃い(ドナルド&キーファーの親子競演も)。緊張感を盛り上げる演出はかなり上手かった。 結構好きな作品なんだが、それはひょっとして私がまだアメリカの差別の実態というものを知らないから。と言う部分もありそうだ。 |
バットマン フォーエヴァー 1995 | ||||||||||||||||||||||||||||
1995米アカデミー撮影賞、音響効果賞、音響賞 1995ゴールデン・グローブ歌曲賞 1995ゴールデン・ラズベリー最低音楽賞 1996MTVムービー・アワード歌曲賞、悪役賞(ジョーンズ、キャリー)、魅惑的な女優賞(キッドマン) |
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バットマン=ウエイン(キルマー)の活躍に守られるのゴッサム・シティ。だが悪の根は決して消え去ることはなく、次々に悪者は現れ続けた。かつて敏腕検事だったが法廷で硫酸をかけられて人格崩壊に陥った怪人トゥー・フェイス(ジョーンズ)、ウエインの会社に次々と危険な発明品を持ち込んでは断られ続けたエドワード・ニグマ(ジム・キャリー)がウエインを逆恨みして誕生したリドラーの二人が手を組み、バットマンに挑戦してくる。一方ウエインは精神科医Dr.チェイス(キッドマン)と知り合い、惹かれるものを感じるのだが、彼女はバットマンの精神分析に夢中になっていた。さらにトゥー・フェイスの部下に家族を殺された空中ブランコ乗りのディック・グレイソン(クリス・オドネル)も現れ… バートン監督&キートンのコンビでヒットを記録した新生バットマンも、シリーズ3作目となった本作は、監督・主演を変えて、再びコミカル路線へと方向転換した。 DCコミックの二大ヒーローの一方の雄『バットマン』の誕生は、徹底的に陽性の『スーパーマン』に対する一種のアンチテーゼとして誕生したヒーローだった。だからこそ、夜に限定された世界で闇を象徴するコウモリをシルエットとし、一種病的に悪を憎む存在として描かれた。しかしコミックが進むに従い、バットマンの性格は徐々にソフトに、出てくる敵はコミカルに、そして話も馬鹿馬鹿しく変わっていく。これはある意味では冷戦構造下で単純なヒーローを時代が求めたと言うこともあるだろうが、大きいのは相棒ロビンの登場によるものだった。彼の登場によって、バットマンはこれまでのように孤独なヒーローではなくなり、ロビンを頼れる仲間としつつも、暴走しがちな若者を抑える老成したメンターとしての役割を持つようになったのだ。悪に対しまっすぐ突っ込んでいって逆にやられるロビン、そしてそれを知恵で助けるバットマン。という構図を持つに至ったのである。それがコミカルさに拍車をかける結果となった。 ただし、70年代に入り、価値観多様が叫ばれるようになるとDCコミックは衰退してしまった。世の中が複雑であることを知った子供にとっては、単純明快なヒーローはおとぎ話とさほど変わらなくなってしまったのだ。その結果として、低迷したDCは、バットマンを脱構築させ、完全な闇のヒーローとして新生させた『ダークナイト』を発表。当時はさほど受けなかったようだが、映画のバートン版『バットマン』(1989)は明らかにこの『ダークナイト』に大きく影響を受けていて、複雑なヒーローを作り上げてくれていた。 こう言った歴史をあらかじめ考えあわせてみると、本作はバートン版の『バットマン』が変質したものではなく、実際はコミック版の歴史を遅れてたどって元の路線に戻ったのだと言うことが分かる。歴史はぐるっと回り、90年代で一つの円環を作り上げたと言うわけだ(結局それはさらに10年後、ノーラン監督によって再度変えられていくが)。 この良し悪しはここでは言うつもりはないが、今回については詰めすぎとしかいえない。なんせトゥー・フェイス、リドラー共に誕生から書かねばならないし、そこにロビンの誕生話と、新しい女性キャラとブルースの恋愛物語…今回の路線をお祭り騒ぎにしようという狙いはともかく、出てくるキャラが多すぎてしまい、自家中毒を起こしてしまった感じ。これをまとめようと言う脚本の努力は認めるが、到底まとめ切れるものじゃなかった。 トミー・リー・ジョーンズ、ジム・キャリー共に重要なキャラだが、二人とも目立たせようとしたら、どっちも目立たなくなってしまった。特にトゥー・フェイスは『バットマン』のジョーカーとキャラがかぶってるために、どうしても「ニコルソンだったらなあ」という思いが出てしまうし、キャリーはキャリーでそのエキセントリックさが空回りで終わってしまった感じ。あと、オドネルは悪くないが、ロビンの誕生は話を端よりすぎ。このキャラの存在意義を出すことができなかった。これじゃ単なるおっきな悪ガキだろ?更にバリモアが意外なところで登場し、こんなもったいない使い方するのか?とも。 結局お祭り騒ぎが空騒ぎに終わってしまった。と言うのが正直なところ。いろいろ残念。 |
依頼人 1994 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
1994米アカデミー主演女優賞(サランドン) 1994英アカデミー主演女優賞(サランドン) |
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少年マーク(レンフロ)は、弟リッキーと一緒に近くの森で遊んでいた所で偶然自殺しようとしている男を目撃する。男に見つかってしまったマークは男からマフィアに殺された上院議員の死体の隠し場所を告げられる。そのショックでリッキーは入院してしまい、事情を知ってしまったマークはマフィアから狙われることになってしまった。小さな頭で考えあぐねたマークは全財産の1ドルでやり手の女弁護士レジー=ラブ(サランドン)に弁護を依頼するのだった。マフィアと連邦検察官ロイ=ファルトリッグ(ジョーンズ)を相手取り、マークとレジーの二人三脚の戦いが始まる… 現代法廷小説の第一人者であり、書いた小説が次々とベストセラー&映画化されるジョン=グリシャムの作品を映画化した作品。出来はグリシャムらしい意外なストーリー展開と、面白い設定、法廷劇としても見所はある。ただ、私はグリシャム物の法廷劇はあんまり好きじゃない。切実さに欠けると言うか、特に映画になるとアクション偏重になってしまい、肝心の法廷劇があっさりと流されてしまう。 法廷劇で子供が主人公というのは他で見られない面白い設定だが、この子供もただのガキじゃない。頭の回転が非常に速い上に度胸も据わってる。世の中をちょっとひねて見ているようだが、これだけ頭が良いんじゃ肉体と精神のバランスが取れないだろうから、こうなってしまうのも仕方ないか…レンフローの演技は結構巧く、最初のシーンと終わりの方のシーンでびびって子供らしいそぶりを見せる、その見せ方も良いし、普段の大人っぽい仕草もきちんとはまっている。サランドンも上手いけど、子供に食われてしまった感があり…この二人の関係って疑似親子と言うより疑似恋人に近いのかな? それに終わり方があっさりしすぎていて観終えてから、あんまり心に残らない作品なんだよな。 |
フォーリング・ダウン 1993 | |||||||||||||||||||||||
1993カンヌ国際映画祭パルム・ドール | |||||||||||||||||||||||
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猛暑のロサンゼルス。D・フェンスというニックネームで呼ばれる男(ダグラス)は大渋滞のハイウェイで苛ついていたが、突然車を乗り捨てると、別れた妻のベス(ハーシー)と娘のアデルに電話をするため歩き出した。そしてちょっとした諍いからバットでコンビニエンス・ストアを破壊する。その後も破壊活動を繰り返しながら突き進むD・フェンス… 当時流行っていたサイコものの一本。それで殆ど期待もせずに観たのだが、かなり面白かった。 どんどんエスカレートしていくダグラスの行為が徐々に心地よくなって行くのが面白いところで、はじめの頃は一体何考えてるんだこのオッサン?とか思いながら、徐々に観てる方のテンションも上がってきて、最後の方は「やれやれ。もっとやれ」と心の中で思ってしまうあたり、なかなか魅せてくれる。 ただ、ちょっと考えてみると、これはアメリカという社会に対する警鐘も含まれているのかも知れない。 そりゃデフォルメはされてるけど、こんな簡単に殺人兵器が手に入り、それを使う技術を多くの人間が持っていると言う恐ろしい事態。ちょっとキレた人間が一人いるだけで、これだけ危険な目に遭うんだぞ。と言う…マイケル・ムーア監督あたりだったら、この辺更に突っ込んで作ってくれるんじゃないか? 最後の方で子供が無反動砲の操作を熟知してるって事が端的にそれを示しているんだろう。 |
愛の選択 1991 | |||||||||||||||||||||||
1992MTVムービー・アワード女優賞(ロバーツ)、ブレイクスルー演技賞(スコット)、魅惑的な女優賞(ロバーツ) | |||||||||||||||||||||||
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ロストボーイ 1987 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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セント・エルモス・ファイアー 1985 | |||||||||||||||||||||||
1985ゴールデン・ラズベリー最低助演男優賞(ロウ) | |||||||||||||||||||||||
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ジョージタウン大学を卒業した7人の仲間達。それぞれ社会の荒波に揉まれつつ自分の生き方を模索していたが、彼らが久しぶりに馴染みのバー“セント・エルモ”で顔を合わせた。それがきっかけで、昔の恋が再燃したり、今の恋人との間に波風が立っている事に疲れ、ここで慰めを得る内に、新しい恋が芽生えたりもする。そんな若い彼らの生き方を描いた作品。 この当時私は高校生。ようやく映画の楽しみを知るに至った年齢で、乏しい小遣いの中から、二月に一回くらいの割りで映画館に足を運んでいた時代だった。 そんな中で、やっぱり映画好きな友人と話し合ってる時間はとても貴重で、今度映画観る時はあれにしよう。これにしよう。とか雑談していく内に、だんだん次に観るものが決まっていくのが常。本作もそんな感じで鑑賞が決定した。丁度『アウトサイダー』(1983)で活躍した面々だとも聞いていたし(『アウトサイダー』自体を観たのはずっと後だが)、ラジオで流れていた主題歌が気に入った事で、友人と一緒に観に行くことになった。 …ただ、これに関しては本当に失敗。多少事前情報を集めていたとはいえ、私はもっと爽快感の高い作品を期待していたのだ。それが蓋を開けてみれば、三角関係や痴話げんかが延々と続き、登場人物がキレたり泣いたり… それこそ人間関係を壊すことを極端に恐れていた時代だったし、金と時間を捨てたとは思いたくなかった手前、一緒にいた友人にはあんまり悪いことを言うことができず、その帰り道は何を話すべきか混乱した記憶がある。多分映画の話をなるだけしないようにしたんじゃなかったかな?お陰でそいつが本作をどう観ていたのか、全然分からなかった。 実際の話、物語が悪い訳でもないし、人物描写が悪くもない。それは認めるし。 だけど、根本的に私はこういうドロドロした恋愛ものが苦手なのだ。いや、この時はっきりとそれが分かった。今となって思うと、あの時感じた失望感は、良い勉強になったとは思う。少なくとも以降自分の意志で恋愛ものの作品を劇場に観に行こうとは思わなくなったし。 ただ本作は日本では相当にヒットし、80年代後半から始まったいわゆるトレンディ・ドラマの多くは、本作を元にしてるんじゃないのか?と思えるほど。考えてみると、本作の設定って、複数の美男美女が集まり、流行の最先端を走ってる人もおり、薄汚れた社会の中で揉まれて外面を装う事だけは長けている人もおり、夢のために下積みで頑張ってるけど芽が出ない三枚目もおり。友情を大切にするか、友情を壊しても愛を選ぶか悩む姿あり。人間関係が濃い割に揃って生活感が薄く、“セント・エルモ”というオシャレな店が舞台となってる…見事に揃った設定ではある。確かなんかのドラマが本作のパクリだと騒がれてたことがあったが(調べてみたら「愛という名のもとに」というドラマらしい)、そんなこと言ったらトレンディ・ドラマのほとんどは本作のパクリじゃないのか?(私はトレンディドラマに詳しくないのでWikipediaを参照にしたけど)。少なくともこれだけパクられるほどのパワーを持っていた作品だって事なんだろうね。 |