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30 |
読書 |
三体II 黒暗森林 上
三体人に地球が居住可能惑星だと知られてしまい、移住計画が始まった。400年後にやってくる三体艦隊を迎え撃たねばならなくなった人類。しかし科学力は大きく隔たっており、更に三体からは智子(ソフォン)というマイクロコンピュータが最初に送り込まれ、地球人の言動や通信は全て筒抜けになってしまった。絶望的な状況の中、前代未聞の面壁計画が発動され、人類から選ばれた四人の面壁者に未来が託される。その一人で、何故自分が選ばれたのか分かってない羅輯(ルオ・ジー)は、何をして良いのか分からず、全ての責任から逃れようとする。
第二部の上巻となる本巻は、第一部の直後から始まり、史安など、同じ人物も継続して登場。今回は基本的には四人の面壁者の動向と、その周辺の人物を描く群像劇になっているのが特徴。その中でも特に中心となる羅輯は、自分が何をすべきなのか全く理解していないまま、責任だけ押しつけられるという変な役回りの人物。面白くはあるのだが、羅輯に同化して読んでると、単に不安なだけの話でもある。 |
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9話 |
千匹もの蜘蛛を使役するホラー、マスカラーダが現れた。その対処に当たらねばならない零だが、それよりもアリスによって持ち出された竜の卵を創作しなければならなかった。その頃無事に孵化した竜と共に旅を始めていたアリスは、何かに導かれるようにある湖に向かっていた。
敵はマスカラーダ。トワコという娼婦に憑依していたホラーで、千匹もの蜘蛛のような小型のホラーを使役する。本体は緑色の太った人間を模した個体。一体のみ特別な子蜘蛛がおり、それを倒されると集団行動が出来なくなる。
今回も新しいホラーが登場するが、メインの話は竜と共に行動しているアリスを保護することだった。アリスは前回ラストで孵化した竜と行動している。アリスはその竜をかわいがっているし、竜もホラーからアリスを守ったりしているが、突然起こった突風によってアリスごと連れ去られてしまった。
<竜がどんな存在であるか知りもせず、一緒に行動するアリス。危なっかしいと言うより無謀そのものだ。> |
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29 |
映画 |
チャーリーズ・エンジェル(2019) |
国際機密企業チャーリー・タウンゼント社は女性だけの特別なエージェントを擁していた。通称“チャーリーズ・エンジェル”と呼ばれるサビーナ(スチュワート)とジェーン(バリンスカ)の二人には特別な任務だけが与えられていた。天才プログラマーのエレーナ(スコット)は、ある日自身が開発した新エネルギー源“カリスト”が兵器に悪用されていることに気づく。会社に上申しても却下されたが、このままでは世界の危機が起こってしまうと、タウンゼントに調査を依頼するのだった。チャーリーはこの事実を重く見てチャーリーズ・エンジェルの出動を決定する。早速二人はエレーナを守りながら調査を始める。次々に襲う危機に際し、エレーナは冷静に技術的な対応を繰り出していき、彼女のサポートで自分たちの行動が楽になることを知った二人はエレーナをエンジェルにスカウトするに至る。
1976年から80年まで上映された往年のテレビシリーズ「地上最強の美女たち!チャーリーズ・エンジェル」は、他のエージェント作品とは大きく違った特徴を持っていた。それは主人公エージェントの三人がみんな女性であると言うこと。これに尽きる。女性ならではの物語構成は非常に特徴的だったが(と言っても観たのはほんの数話だけど)、良い特徴付けになっていた。
その後2000年になってリブートである『チャーリーズ・エンジェル』(2000)が作られる。この作品はドリュー・バリモア、キャメロン・ディアスという大スターを起用したことでヒットを記録した。
それを再度リブートしたのが本作となる。
本作の場合、続編を最初から目していたようで、最初は二人のエージェントしかおらず、本作内で三人目のエレーナを加えることでチャーリーズ・エンジェルが誕生するという話になっているのが大きな特徴である。
その意味ではかなり気合いが入っていたし、実際設定的にもかなり力が入っている。設定だけで言えば立派な作品である。本作を語る上で重要なのが『ワンダーウーマン』(2017)だろう。主演と監督が女性で、男性に一切媚びないヒーローとしての女性を描いた好作だが、それを受けて、女性チームでそれをやろうとしたのが本作となるだろう。『チャーリーズ・エンジェル』(2000)との差別化を図るため、監督もエリザベス・バンクスが務め、本当に一切男性に媚びることない作品を作り上げた。唯一の男性キャラであるはずのチャーリーでさえ、最後に実は女性だったことが分かるという徹底ぶりで、意識はとても高かった。
…が、それに見合うだけのものだったかと言う点が問題だった。ストーリーもありがちな上に、キャラが今ひとつ立ってないため、単に男性に媚びないクールさだけしか売りがない。脚本の練りが足りなすぎだこれだけ意識が高いならば、その高さに見合うものを見せてくれないと困るのだ。脚本担当もバンクスが行っていたようだが、ここはもう少し残念なところ。脚本さえ良ければ続編も充分あった作品だけに、その意味ではかなり勿体ない作品だったとは思う。 |
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28話 |
暴走したジャックリバイスを抑えることが出来ないホーリーライブとジャンヌ。だがそこに試作品のバイスタンプを持った狩崎が乱入し、自らデモンズに変身することによってジャックリバイスにスタンプを押す。一方ベイルに見捨てられたアギレラは今度はギフと一体化することでアノマロカリス・デッドマンとなって襲いかかる。
敵はアノマロカリス・デッドマン。ギフスタンプとアノマロカリスバイスタンプを同時使用することでオルテカが変身した。ギフと合体したことで、強い力を手に入れている。
バイスの暴走はギフの復活に近づいたからだが、ベイルが強く影響していることが分かった。自らの体の中でベイルと対峙し、次いで暴走状態のバイスと戦うことで悪魔の力を押さえ込むことに成功した。
一輝の中でバイスの人間体が登場している。その顔は一輝と同じだった。
そして試練を乗り越えることで一輝とバイスは仮面ライダーリバイスへと変身。オルテカのアノマロカリス・デッドマンを圧倒した。そしてリバイスによって変身解除させられたオルテカは逆にギフに吸収されてしまい、存在を消してしまう。
ベイルによれば、バイスもやがて自分のようになると言っていた。するとベイルも元はバイスのような存在だったのかな?
ここで一旦一段落。ジョージ・狩崎は父親と対話して自分独自の道を歩むことを決意する。大二はフェニックスに残り、組織改革を行うことに。さくらはウイークエンドの一員となることを決意。元太は自らの感情と向き合うためにしばし家族と離れる。そして一輝は、バイスと共にしあわせ湯をきりもりすることに…主人公が一番中途半端だ。 |
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POP UP PARADE 鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST エドワード エルリック |
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27 |
読書 |
くちべた食堂1
家と職場の間にありながら、なんとなく気まずくて5年の間入る事が出来なかった定食屋に入った高校教師。すっかりこの定食屋のファンになってしまったが、店員さんの女性とお客さんの二人とも口下手なため、なかなかコミュニケーションが取れないまま日々が過ぎる。そんな二人の奇妙なコミュニケーションを中心に描かれる日常。
変わったコミュニケーションを主軸に描く作品で、これもTwitterで見かけて以来読み続けてきたが、ようやく単行本になってくれた。いざ紙になって読んでみても、中身は変わらない訳だが。 |
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3話 |
「生きる事が仕事」と言って日々気まぐれに生きる“風流人”猿原真一はある日スマホを拾ったことでサルブラザーに変身する妖になった。それ以来様々な不幸が襲いかかるが、それも受け入れて飄々と日常を受け入れていた。一方鬼頭はるかはついに桃井タロウを見つけるのだが…
敵は快盗鬼。人の家から照明を盗む配達員クロクマという男が変身させられた。踊りながら攻撃してくる。倒したら巨大化することなくルパンレンジャーのギアを落とした。
ようやくはるかと桃井タロウがちゃんと遭遇した。ただはるかの方はタロウのことを全く知らないため、色々すれ違っている内にやっと理解するという脚本。会話のすれ違いは良くも悪くも井上脚本のお得意パターンで、いかにもと言った感じ。
初めてドンモモタロウの変身シーンが出てきた。それで強制的に他のメンバーも変身状態で集められてる。
はるかは刑事の叔母の家に居候していることが分かった。あんまり仲は良くないみたいだ。
おしかけバイトのはるかは上から目線でタロウに命令してる。こう言うキャラって見てて苛つくが、そこから成長に持って行こうとしてる姿勢は感じ取れる。これまでの井上脚本はフォローしないので、少しは現代に合わせたか。
戦いでのフォームチェンジは、前回手に入れたギアを使ってトッキュウジャーになっていたが、イエロー、ピンク、ブルーの三人だけ。
三人目の敵幹部ソノザが登場。頭部の形状から「コンドールマン」かららしい。快盗鬼を消したのはソノザで、命まで奪っていた。本当に人が殺されるのは本作の特徴だな。
<桃井タロウを探すために宅配業者のバイトをするというはるか。馬鹿じゃないの?> |
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26 |
映画 |
大怪獣のあとしまつ(2021) |
ある時、突然日本に現れた巨大怪獣は、あらゆる人類の攻撃を受け付けないまま東京に向けて歩み続けていた。ところがある時、天から光が降ってきたと思うと、大怪獣は突然死んでしまう。国民が歓喜に沸く一方で、残された死体は徐々に腐敗・膨張が進んでいく。首相の西大立目完(西田敏行)は閣僚が集まって事後処理についての会議が続く。そんな中、死体処理の責任者として抜擢されたのは特務隊員の帯刀アラタ(山田涼介)だった。
今やゴジラまでハリウッドに取られ、なんか日本の伝統的特撮が風前の灯火と言った感じになっている昨今。それでも別なアプローチでいくつかの特撮作品が生まれている。今の日本で作られる特撮がちゃんとあることには素直に喜んでもいる。
そんな時、三木聡監督が特撮作品を作るという噂が流れてきた。どんなの作るのだろう?と割と楽しみにしていたが、公開が近づくにつれ、どんどん話が大きくなっていった。東映と松竹の共同で、出演者の顔ぶれも豪華。こりゃ期待せずにはいられない。
だが公開当日。ツィッターを観ていたら、当日に観に行った人たちがことごとく文句言いまくっていたし、その後ツィッターではまるで文句の言い合い合戦。ここまで悪評の映画ってなんか本当に久しぶりだった。
最初から観るつもりではあるが、ここまで言われるならば、逆に絶対に観ねばならぬと心に決めて観に行ってきた。
うん。ひどい。目も当てられないほどの屑な出来だ。
悪くないコンセプトを徹底的に改悪し、一流の演者を使い潰し、どうしようもない恋愛劇を取り入れて枝葉末節ばかり描いて肝心なストーリーが進まない。
だけど、腹は立たない。そりゃ特撮ファンの一員としては怒るべきなんだろうけど、怒る気力が起きない。正確に言えば、腹を立てるほどに思い入れが持てない。どうしようもない作品だから、乾いた笑いが出るだけだ。
それでも一応ツッコミ気質なので、一応悪い部分を挙げてみよう。
まず特撮と恋愛ものは相性が悪いということ。特撮は災害下の人間模様を描く側面があるため、一致して災害に当たるという点が重要になる。人間関係の溝を描くこともあるが、基本は心を一致させて災害に対抗するものだし、人と人の関係は信頼関係で成り立つ。恋愛関係もその延長線で描かれるもの。基本的な路線は人間同士を信頼するから、恋愛劇はストレートなものが一番相性が良くなる。それに対して不倫や三角関係などの複雑な恋愛模様は心一つに災害に当たるという側面とは相容れない。これをやってしまって失敗した作品は山ほどあるが、その反省はなかったらしい。作品をコメディにするために入れたのだろうが、信頼関係を損なう描写ばかりが出てくるので、コメディ以前に観る気になれない猿芝居を延々見せられることになった。
これがほとんど全部と言っても良いのだが、『シン・ゴジラ』(2016)の補完としてもお粗末に過ぎる。
次に総理大臣をはじめとする行政の不手際だが、これも『シン・ゴジラ』の逆張りしたものとなっている。最高決議機関が実はいい加減なものだというコメディはれっきとしたジャンルなので、設定自体が悪いとは言わない。しかし、あれだけ有名俳優出して全くキャラに魅力がないのはどうしたことか。理由は分かってる。ここに出てくる政治家は全員一切のビジョンを持ってないのだ。政治家となった理由は普通「日本をこう変えたい」という思いからなるはずだが、それが一切見られない。単に人気取りのパフォーマンスと事なかれ主義しか出てこない。ここで必要なのは、この事態を前にして、自分の本当にやりたいことをなんとか出来ないかと模索するしたたかな人物像だったり、何とかしようとする思いが先行して勇み足になってしまう姿だった。ところが、出てくる人たちが本当に単なる無能なだけ。しかもモデルがはっきり分かる人物を出して一切の敬意を表さないのは見ていて気分が悪い。
唯一この作品での救いがダム放流で、ここだけはきちんと手順に則っていたし、キャラの使い方も悪くない。ここだけは悪く言わないが、そこに挿入される物語の大半は無駄。オダギリジョーが家族という設定は意味がないし無駄。無理矢理人間関係を挿入してドラマにしようとした結果、単に尺が長くなっただけ。
そしてラストのヒーロー登場のシーンだが、「デウス・エクス・マキナ」のメモから、最初から伏線を張っていたのは分かるが、無理矢理感が酷すぎる上に「何が何だか分からないうちになんか上手くいきました」を最初から狙っていただけで、これもいただけない。やることをやり尽くし、あとどうしようもなくなった上で出すならともかく、唐突に出して終わりでは、脚本として何も考えてなかったとしか思えない。
作品に必然性も緻密さもない。単に大雑把で「こんなもんでよかろう」と作った作品なんだろう。三木監督作品としてはこれはこれでありなんだろうけど、万人受けしないものを巨費をかけて作る意味があったのだろうか?
特撮ファンとして怒るべきなんだろうけど、怒る気力も起きない作品ってあるもんだ。 |
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読書 |
英国一家、日本を食べる 上
イギリス人フードジャーナリストの著者が、昔なじみの日本人から、日本食のことを何も理解していないと揶揄されたことが契機となり、三ヶ月間家族で日本を訪れて、食べられるだけの日本食を食べてみようと決心する。そこで味わった日本の味とは…
前にちょっとだけアニメをチラ見してから気になっていたので読んでみる気になった。
イギリス人ジャーナリストとして、いかにも「私は頑固なイギリス人です」という態度を崩すこと無く、あらゆるものを皮肉に見つめて描く日本食の旅。皮肉は皮肉なのだが、それを突き抜ける味覚の紹介が上手く、読んでいてとても心地良い気分にさせてくれる。
本作で重要なのは、日本に住んでいながら日本食のことを知らない部分が多すぎることを知らされることだろう。日本は素晴らしいというならば、まず自分で理解しようと努力をしなければならないことを痛感させられる。 |
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機動戦士ガンダム 宇宙世紀vs.現代科学(2022) |
<A> |
<楽> |
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24 |
映画 |
史上最高のミッドナイトムービー |
怪物団 フリークス |
ロッキー・ホラー・ショー |
イレイザーヘッド |
エル・トポ |
ピンク・フラミンゴ |
ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド/ゾンビの誕生 |
The Telephone Book |
Black Devil Doll From Hell |
リーファー・マッドネス |
アリスのレストラン |
ウォリアーズ |
死霊のはらわた(1981) |
アルタード・ステーツ 未知への挑戦 |
ピンク・フロイド ザ・ウォール |
ヘビー・メタル |
イージー・ライダー |
プラン9・フロム・アウタースペース |
食人族 |
2001年宇宙の旅 |
フリッツ・ザ・キャット |
ミート・ザ・フィーブル 怒りのヒポポタマス |
リキッドスカイ |
魔 デビルズ・オーメン |
黒いジャガー |
吸血鬼ノスフェラトゥ |
悪魔のはらわた |
発情アニマル |
パフォーマンス |
砂丘 |
ナチ女収容所 悪魔の生体実験 |
ショーガール |
ファスター・プシィキャット!キル!キル! |
ネクロマンティック |
マッドマックス |
鮮血の美学 |
裸のランチ |
AKIRA |
悪魔の毒々モンスター |
悪魔の凶暴パニック |
ダーク・スター |
哀愁の花びら |
トロル2 |
世界残酷物語 |
血の祝祭日 |
ハーダー・ゼイ・カム |
ZONBIO 死霊のしたたり |
HAXAN 魔女 |
アタック・オブ・キラートマト 完璧版 |
レポマン |
ウィッカーマン |
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2話 |
爆弾魔テディの情報を得たジェットの司令でとある結婚式場に潜り込むスパイクとジェット。そこには複数の殺し屋が集まっており、殺し合いに巻き込まれてしまう二人は、肝心なテディを逃がしてしまう。テディの義手が手に入ったため、それを手がかりに居場所を探ろうとするジェット。一方三年ぶりに馴染みのジャズバーに向かうスパイク。
テディという爆弾魔を追う話をメインに、スパイクの過去について少し掘り下げる話。
メインの話はジェットがほとんどメインで、言うこと聞かないスパイクに手を焼きつつ犯人を追い詰めていく。口ではスパイクを信用出来ないとか言っているが、ちゃんと肝心なところでは頼りにしてる辺り、人間関係がうかがえる。
アニメ版を知っていればそのまんまだが、スパイクは3年前まである組織に属していて、その組織を抜けるために死を偽装していたこと。前話であるレッドアイがその組織に絡んでいて、そこで自分が生きていることが組織にばれてしまったことを知ったということ。そしてジェットには自分の過去を話してないことなど。
アニメ版との大きな違いは、かつてスパイクが愛した女性ジュリアは生きていて、ヴィシャスと結婚していたという事。ちと驚きの設定。組織の長の命令でジュリアを殺すように命じられたヴィシャスはジュリアに銃を突きつけて引き金を引くが、その銃には弾が入っていなかった。組織はヴィシャスの忠誠を試すだけにそれを命じたが、それでヴィシャスとジュリアは仲違いしてしまう。
今回はフェイの登場はなし。
<銃にこだわりがあるのは良いのだが、使ってる銃がみんな普通のリボルバーなのはちょっと変なこだわりかな?SFで使うには随分レトロな感じになってしまった。> |
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23 |
読書 |
俺物語!!7
砂川にストーカーがいることが分かり、その人物を追い詰める猛男。それは実は幼稚園時代から猛男と砂川との幼なじみ天海悠紀華だった。10年も恋心をこじらせていたという天海に同情した大和の助言もあり、砂川との接触を増やしていく猛男。ついには遊園地でのダブルデートにこぎ着ける。
丸々一巻かけて砂川の恋話。とはいえ、砂川自身は全く態度は変わらず、ストーカーの方が中心の話になっている。しかしここまで迫られてそれで「ごめん」なんだから全くぶれてない。この後の展開はあるのかないのか。 |
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27話 |
カゲロウから受け継いだ力でホーリーライブに変身した大二はデモンズを圧倒し、変身解除に持ち込むが、ベイルには逃げられてしまう。だが今度は一輝と同化しているバイスが暴走を始めてしまう。
敵はギフテリアン。ベイルに見捨てられたオルテカが自棄になって次々に一般人を変えてしまった。そしてギフの棺。人間を吸収するために出現している。
ライブがホーリーライブにパワーアップしたのは良いのだが、今度はバイスが暴走。更に悪魔を倒せば倒すほどギフの復活に近づくという悪循環に陥っていて、ついにギフの棺は自ら動き出している。かなり設定がどんどん重くなる。
そしてバイスの暴走はどんどん手が付けられなくなっていき、もはやほぼ完全な悪魔状態へと進化していく。
強さはどんどんインフレしている。折角ライブがパワーアップしたのに、その次の回で敗北してしまうとか、特に大二が可哀想だ。
オルテカの過去も少し明らかになる。本名は初芝真と言い、本物の天才児だった。それをフェニックスに認められ、ギフの復活を早めるためにデッドマンズを組織させた。
<一輝とバイスの言い争いが展開するが、体が一つなので、やってることは独り言。なんか『死霊のはらわたII』を思わせる描写でもある。
ギフは棺のままでも戦えるのが分かったが、格ゲーの「ヴァンパイア」に登場したアナカリスみたいだ(持ちキャラだったが、途中から極端に弱くなってしまったために使用を止めた)。> |
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21 |
映画 |
ドライブ・マイ・カー(2021) |
舞台俳優兼演出家の家福悠介(西島秀俊)は脚本家の妻家福音(霧島れいか)と静かな生活を過ごしていた。セックスの時に音がひらめくイメージを悠介が記憶して翌朝伝え、悠介の舞台脚本を音が音読することで、お互いを補い合っていたが、ある夜悠介の帰宅が遅くなった時に音が脳溢血で亡くなってしまう。喪失感を覚えた悠介は俳優を辞め、演出家一本に絞ることにする。そんな時広島で開かれる文化イベントでチェーホフの「ワーニャ伯父さん」の演出をすることとなって、オーディションから広島入りする。その際移動は運転手を頼むこととなり、渡利みさき(三浦透子)という若い女性に頼むこととなった。無口で運転の上手いみさきの運転に満足し、オーディションを経てワーニャ役となった高槻耕史(岡田将生)らの指導も上手くいっていた。ところがその耕史は何かにつけ悠介に絡んでくる。
2021年はじめにひっそりと公開された本作は、当初知る人ぞ知る作品として話題になった。私も気にはなっていたのだが、コロナウイルス蔓延の折もあり、あまり遠出して映画観るのも自粛と言うことでスルーしたのだが、年が明けてアメリカの賞レースが発表されると本作が賞を席巻した。その凱旋公演みたいな近くの映画館にも掛かるようになったお陰で観ることが出来た。
これをはっきり「どこが面白い」というのが難しいのだが、全般的な演出がとても素晴らしく、一年前の作品ながら、暫定的に2022年のナンバー・ワン作品である。
単に話だけで言うなら、これは結構単純である。主人公が妻の死を乗り越えていくだけの話となる。それだけで話は済んでしまうし、レビューもそれで終えて構わないかもしれない。しかし、本作の魅力を語るなら、かなり複雑だ。単なるあらすじを語るだけでは本作の魅力を語れない。
まず重要なのはキャラ描写だろう。主人公家福は普通の人間のようでいてかなり歪んでいる。深く妻を愛していながら、この関係を崩さないために妻の浮気を容認している。本人は嫉妬もしてるはずだがそれをポーカーフェイスで押し隠し、感情を見せない。
感情を見せない家福は、無感情のまま劇の演出を行っているし、その演出方法が彼の個性的な演出になっているので、そのまま押し通しているが、妻の死と共にそれができなくなりつつある。ポーカーフェイスを装っていても感情が徐々に見え始めてきた。だからこれまでと同じ演出で自分が演じることは出来なくなったことを自覚し、全てを役者に任せようとしていた。
そこから話が始まる。これまでの人生の中で感情を見せることを拒否していた家福が徐々に精神の均衡を崩していく。それは「悲しい」という感情をポーカーフェイスの下にずっと押し込めてきたからなのだが、広島に来て、それが崩れていく。それは彼にとっての聖域であった自分の車に見知らぬ女を乗せたところから始まる。彼女は一切家福のプライベートに触れようとしないし、必要最小限度以上に喋りもしない。そんな彼女だから家福は受け入れることが出来たが、一度聖域に異物を受け入れたことで彼の心は着実に変わっていく。
それでも一見何も変わってないようでもある。家福の言動はほとんど変わらないし、演出方法も一貫して何も変わってない。むしろ回りの言動には全く動じていないようにさえ見えるのだが、着実に心は変化している。その辺は交流であったり、ウザ絡みする高槻の挑発的な言動であったり、事件であったりということが重なって描かれる。一つ一つはたいしたことがなくても、重なることで少しずつ彼の心を動かしていく。
そんな中で高槻の事件は大きなダメージが与えられたはずである。事件そのものよりも、自分自身がこれからどうするのかという問題と突きつけられた時に心がもろくなり、そんな時に運転手のみさきの告白で完全に崩れてしまった。
それまで封じていた感情がここで爆発してしまう。それは妻のしどころか20年前の娘の死に至るまで、ここまでの人生の半分くらいの間の全てが感情化していく。
ここでみさきの故郷に行くとい過程によって話はドラマチックな者となる。タイトルの「ドライブ・マイ・カー」という言葉通りロード・ムービーになっていくのだ。
ロード・ムービーというのは映画における重要なジャンルの一つで、一見単なる旅の物語だが、実質的には旅を通して人が成長していくジャンルの作品となる。
感情のタガが崩れた家福にとって、この旅はバラバラになった自分の心を再構築するために必要なものであり、まさしくこれこそロード・ムービーそのものである。
この旅によって再び演出家・役者として戻ることが出来た。最後にこのドラマを持ってくることでちゃんと作品として腑に落ちた。ラストは説明しすぎとか蛇足だとか色々言われてるが、これ位わかりやすく作ったからこそ、世界的にも認められたのだろう。
そんなことで、本作は間違いなく西島秀俊の代表作になるだろう。当て書きしたかのようにぴったりの役柄だった。 |
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8話 |
元老院から、竜の卵は破壊する事が決定されたと連絡が入った。零はアリスを傷つけないよう、人に幸せな夢を見せ、ホラー退治の足手まといとアリスを追い出す。そんな時、幸せの内にその人を食らうホラー、ライラが現れる。
敵はライラ。港町に置かれた幸せの鐘に取り憑いたホラーで、鐘を鳴らした人間の前に人間の姿で現れ、幸せな夢を見させた後に捕食する。
前回で竜の卵の話が一旦終わり、今回は通常のホラーとの戦いとなる。その前にアリスを厄介払いしようとするのだが、ホラーの方がアリスを放っておかなかった。結果としてアリスを守るために零も戦わざるを得なくなるのだが、
そもそも零がアリスを放り出したのも、彼女にこれ以上危険な目に遭って欲しくないという零の思いやり。分かりやすいけど。それでアリスの「最後のお願い」を聞いてしまって、一日デートに連れ回されることになる。
今回の敵ライラから、零は一人の人物を守りたいという望みを持っていることを指摘される。それがアリスを指すのか別な人なのかは不明。
それでアリスはこの街を去ることにしたのだが、最後に竜の卵を見に行ったら、そこで孵化してしまい、小さな白い竜が生まれていた。 |
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レオス・カラックス 映画を彷徨うひと(2022) |
<A> |
<楽> |
村川 英 |
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19 |
読書 |
軍用鮫
日中戦争が激しくなっている折、中国の異端科学者楊博士によって鮫を兵器にする計画が立てられた。調教によって、船を襲うように訓練された鮫たちが揃うが…
コメディと言うよりコントに近いオチの話。ただ、これが書かれた年代そのものが戦争中という事を考えると、なかなか狂気的なものを感じてしまう。さくっと読めてしまうので、軽く読むには良い小品。 |
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2話 |
鬼の出現によって何もかも失ってしまった鬼頭はるかは、喫茶店「どんぶら」でアルバイトしながら、謎の男から告げられた桃井タロウという人物を探していた。
敵は烈車鬼。若くなりたいと願う磯野さなえという女性に鬼が取り憑いて誕生したヒトツ鬼。さなえをどんどん若くするが、凶暴化させて人々を襲うようになる。そして烈車鬼ング。倒された烈車鬼が巨大化して、そのまま列車のような姿になったもの。
今回も鬼頭はるかが中心だが、徐々に他のキャラの描写も出始めた。今回はキジブラザーに変身する雉野つよしを描く話。新婚ほやほやで幸せなはずが、何の因果かはるか同様眼鏡を手に入れてしまったことで異世界と関わってしまったというキャラ。他にもイヌブラザーに変身する犬塚翼と、まだ変身していない猿原真一が出てきているが、彼らはまだたいして描写されていない。前回からことある毎に出てきた宅配配達人がやっぱり桃井タロウであり、ドンモモタロウだと分かった。そして絶対嘘を言えないということが分かった。
前回ドンモモタロウが他の戦隊キャラに変身したが、それは他のメンバーも可能。イヌブラザーキジブラザーがそれぞれリュウソウブラックとリュウソウピンクに変身していた。
一方敵方も前回のソノイに続き、ソノザが出現している。頭の意匠で、ソノイがバロム1、ソノザがカゲスターと分かる。出現する鬼と彼らは連動している訳ではなく、鬼を成敗するために出てきているように見える。ただし、彼らによって退治されると鬼の元となった人間の命も消える。一方ドンモモタロウに倒されると、人は助かる。
<オープニングははるかによる「訳のわからないうち戦士になった」というナレーション。訳が分からないのは観てるこっちだ。
元(?)ゼンカイザーの五色田海戸に向かって「全力全開で違います」と言い切ってるはるか。それだけで笑える。
キジブラザーがリュウソウピンクになった時に「これ女の子のやつじゃん」と慌てていたが、たかだかあんな短いスカートだけでよくそれが女性だと分かったな。
ストーリーの都合上、女性の年齢を聞く描写が度々出てくるが、コンプライアンス的にはあんまり褒められない。> |
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99.9-刑事専門弁護士-THE MOVIE |
<A> |
<楽> |
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S.H.フィギュアーツ TIGER&BUNNY2 ワイルドタイガー Style 3 |
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17 |
映画 |
クワイエット・プレイス(2018) |
ある日、突然世界中に現れた怪物。それは音に反応し人間を襲いかかり、人間はそれに対抗する術を持たなかった。ほどなく世界は壊滅状態となってしまう。そんな中、生き延びていた1組の家族。リー(クラシンスキー)と妻エヴリン(ブラント)と子どもたちは手話で会話し、裸足で歩くなど、音を出さずに生活することで、“何か”の襲撃を免れてきた。妊娠中のエヴリンの出産が迫っており、音を立てずに出産出来る環境を必要としており、そんな場所を探して家族は旅を始める。
俳優のクラシンスキーが監督となって作った作品で、低予算ながら出来の良さもあってスマッシュヒットを記録したSFホラー作品。
かなりの低予算で作られ、しかも監督本人が主演までやってるからかなりの安普請な作品であることは確かである。舞台にしても田舎の工場みたいなところだけで終始しているので、本当に金を遣わないよう作っていることが分かる。
でもどんなに安っぽいとしても、ストーリーはちゃんとしているし、見せるべきところをしっかり抑えてピンポイントでそこだけはきちんと作っている。何より設定がユニーク。言葉を使えない世界と言うことで、それをしっかり演出に取り込んで使っていることが大きい。
なんせ声が聞こえない訳だから目に見えるものが全てになる。集中して映画観る条件が揃っているのだから、それを存分に活かせば間違いなく面白くなる。
それでも私としては、「面白いけど、もうちょっと面白く出来たはず」というのが正直な感想なのだが、世間の評判は大絶賛。ちょっとズレを感じてしまうことになってしまった。
低予算を逆手に取って、モンスターを最後まで出さずに緊張感を高めたのは良い。緊張感が途切れないので、とにかく集中出来るのだが、オチの弱さに脱力してしまった。あれでも良かったのかもしれないけど、もうちょっと意外性を感じさせてほしかった。
だから「あれ?これで終わり?」としか思えず。ちょっとはまりきれなかった。 |
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1話 |
強盗が宇宙に浮かぶカジノを襲う。その賞金首を狙ってカウボーイのスパイクとジェットはカジノに乗り込んで、強盗を無事捕らえる。だがカジノを大破させてしまったために大赤字に陥ってしまう。仕方なく次のターゲットを探すことにした。組織から麻薬レッド・アイを盗んだ賞金首のアシモフにターゲットを定めるが…
実写版の第一話はアニメ版の第一話「アステロイド・ブルース」のかなり忠実なリメイク。相当な原作リスペクトを感じる。銃とかステーションの描写なんかもほぼ同じ。たむろってる三人組の老人まで同じだった。青椒肉絲に関するものとかカクテルのレッドアイのレシピとかアニメの台詞の一部が削られてるが、そこは残して欲しかったな。あと、アニメ版では、カテリーナが自分を捨てて逃げようとしたアシモフを撃ち殺しているが、この話ではその前にアシモフはフェイに撃たれて死んでいるという違いもあり。
かなりアニメを意識した作りで、ポーズの決め方やあり得ないアクションなどアニメ的要素は強い。それがテレビシリーズで出来るようになったのだから、技術の進歩は素晴らしい。台詞もできるだけ忠実にオリジナルをなぞらえているが、やっぱり顔のイメージなどはだいぶ違う。
特にスパイクは一見自堕落に見えるが、徹底的に肉体を鍛えているシーンもあって、アニメ版よりも真面目な印象を受ける。
フェイとの出会いもあるが、出会いは最悪。フェイはどっちかというと「攻殻機動隊」の少佐っぽい感じもあり。
吹き替え版はかなりの部分をオリジナルメンバーで構成しているのが好感度高い。ただ、ビシャス役の若本規夫はちょっと声の質が変わってしまって、多少違和感を感じないでもない。
スパイクがカテリーナを見て過去を思い出すシーンあり。アニメ版観ていれば分かるが、これはアシモフとカテリーナの関係を自分自身とジュリアに重ねているシーン。そしてスパイクがギャング組織と関わりがあるなどいくつかの伏線も描かれている。 |
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14 |
映画 |
ふしぎの国のアリス(1951) |
ある日の昼下がり。野原でアリスは姉のロリーナと一緒に本を読んでいたが、退屈してしまって猫のダイナとちょっと遊びに出かけた。川の畔に来たところ、懐中時計を手にチョッキを着た白うさぎが走って行くのを見かけた。不思議に思いうさぎを追ったアリスはうさぎが飛び込んだ穴に飛び込んでしまう。そこから不思議な世界に落下してしまった。
これまでアニメーション映画の最前線にあって、高品質の映画を次々投入していったディズニーは、ここで原作付きの作品に手を出した。
「ふしぎの国のアリス」はとても映画向きの作品で、サイレント時代から数多くの映画が作られていた有名作品である。これまでは実写で作られていたが、まだ特撮も初期の頃のため、原作のファンタジックな演出には及ばず、断片だけを見所にするようなものになっていたが、アニメーションを使うことによって全編をきちんと演出出来るようになった。
実際「ふしぎの国のアリス」はアニメーションでもなければ演出は不可能だろう。それだけファンタジックな作品だから。そしてこの時代それを出来るのはやはりディズニーだけだろう。
この時点でも何作か作られているが、映画史において、一般では一番完成度が高いとされる作品だろう(個人的にはヤン・シュヴァンクマイエルの『アリス』(1988)が一番完成度高いと思ってるけど、少なくともその間40年近くは本作単独でトップ)。アニメーションでしか出来ない事をきちんと理解して、ちゃんと原作を映像化してくれた。
アニメーションで無ければ描写が出来ないのは当然のこと。チョッキを着たウサギが走ったり、アリスが大きくなったり小さくなったり、徐々に体を消すチェシャ猫、体が薄っぺらいトランプの兵隊。どれを取っても実写では無理な描写となる。しかしアニメだったら容易に出来るのだから。そして単にアニメにするだけで無く、できる限りイメージを発露させて。とにかく全般的に描写が素晴らしい。どの描写もよく考えられていて、特に人間外の生物が擬人的な講堂をする際のデフォルメ描写はよく考えられている。
だから描写に関して一切文句を言うつもりはない。これほど素晴らしい描写をこの時代にやってくれただけでどれだけ褒めても褒めたりないくらいだ。
ただ、それで点数を減らしたのは、ディズニー得意の脱臭が強すぎたから。原作を読めば分かるが、あれは意外に残酷な物語である。アリスは子どもだからこそ無邪気で、無邪気だから悪びれないで残酷なことをする。それが魅力の一つでもある。
ただし、それを万人向けにするという理由で全部残酷さを失わせてしまったのが問題である。これによってアリスは最初から最後まで受け身な女の子になってしまって、物語をこなすだけの存在になってしまった。本人がどのような意思で行動したかが全く見えないため、ある種原作の持つ良い部分を切り捨ててしまうことになってしまった。これによってとてもソフトで毒の無い作品が出来上がってしまったのが残念なところである。
ディズニー故にこう作らねばならないのだが、そのディズニー的な部分が原作と大きく矛盾を生じさせるという皮肉。
それでだいぶもやっていたのだが、ヤン・シュヴァンクマイエルの『アリス』(1988)観て、ようやく本当の「ふしぎの国のアリス」が観られたと喜んだものだ。 |
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7話 |
アリスを囮に使おうとしたカゴメだが、誰も見ていないところでアリスがエデルの使い魔にさらわれてしまう。エデルはアリスに封印を解くよう命じるが、その際昔話を語る。それを聞いたアリスは…
敵はエデルの使い魔。蛇のような姿をしていて、複数飛んでくる。合体して巨大なロボットのような姿となる。そしてエデル。絶狼とは二度目の戦いとなる。使い魔を退けた烈花とアリスが参戦し、最終的にはアリスが自爆して心臓を貫いて倒した。
アリスをさらったエデルは、竜を助ければ封印を解くようアリスに語る。元々アリスは竜を見たがっていたこともあって、封印を解いてしまうが、その卵自体はエデルに渡そうとしなかった。
前半の戦いは誰も鎧を装着しない分、生身でのアクションが派手なものとなった。後半は絶狼とエデル粗放が鎧を纏い、魔導馬まで繰り出しての戦い。こちらも大変派手なものになった。
今回の戦いでなんとかエデルを倒す事は出来たが、そのためにカゴメは自爆して死亡してしまった。割とあっけなくエデルが死んだことは意外だが、話はまだ半分。これからいつ孵化してもおかしくない竜の卵がどうなっていくかという話になるのだろう。
烈花に弟子入りしようとまでしていたカゴメが簡単に死んでしまうのも意外。でもこのシリーズは見方も簡単に死ぬのが特徴だから。 |
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12 |
映画 |
監督に謝ってほしい作品 |
殺人魚 フライングキラー |
ジェームズ・キャメロン |
フル・フロンタル |
スティーブン・ソダーバーグ |
サイコ |
ガス・バン・サント |
ジャック |
フランシス・フォード・コッポラ |
ノース ちいさな旅人 |
ロブ・ライナー |
ナンバー23 |
ジョエル・シュマッカー |
アレキサンダー |
オリバー・ストーン |
ジーリ |
マーティン・ブレスト |
Movie 43 |
ピーター・ファレリーほか |
天国の門 |
マイケル・チミノ |
シャークボーイ&マグマガール 3-D |
ロバート・ロドリゲス |
ドリームキャッチャー |
ローレンス・カスダン |
ハプニング |
M・ナイト・シャマラン |
ウィッカーマン |
ニール・ラビュート |
ザ・キープ |
マイケル・マン |
ブラザーズ・グリム |
テリー・ギリアム |
紀元前1万年 |
ローランド・エメリッヒ |
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読書 |
Re:ゼロから始める異世界生活20
水の都市プリステラを支配した魔女教大司祭から奪い返すべくそれぞれが司祭達と戦う面々。ガーフィールドとヴィルヘルムは死者となった二人の英雄と、ユリウスとリカードはユリウスの弟の姿を取った暴食の大司教と。あまりに強すぎる相手に不利な中戦わねばならないが。
プリステラでの戦いもこれで最後。クライマックスは戦いの連続。ただ中心はヴィルヘルムの過去の話で、主人公であるスバルがほとんど出番なし。いろいろな問題を抱えたままなので、すっきりしない終わり方で、これから話はまだまだ続きそうだ。 |
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11 |
読書 |
パタリロ!19
「散る薔薇咲く薔薇」情報屋のゴドーからキーンのアジトを突き止めたバンコランはパタリロに潜水艦を用意させて真っ直ぐアジトへと向かう。だがそれは既にキーンの知るところで、数々の殺し屋達が手ぐすね引いて待っていた。バンコランとマライヒの二人だけで次々と現れる殺し屋を乗り越えていく。
完全にバンコランばかりが出てくる話になっているのだが、殺し屋との殺し合いだけで全部終わってしまった感じ。アニメだったら目を引くだろうが、マンガでは今ひとつと言ったところ。パタリロが目立ってないのが問題だったか。 |
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1話 |
21年前。空から落ちてきたモモのような形をした宇宙船。それを拾った桃井陣は、その中に赤ん坊がいることを発見する。そして時は流れ、漫画家となった女子高生鬼頭はるかは漫画賞授賞式の帰りでなんと鬼に襲われてしまう。そこに現れた謎の人物に救われるが、その日以来はるかは異次元空間が見えるようになってしまう。
敵は騎士竜鬼。鬼頭はるかの同級生吉岡が変身した鬼。
新戦隊は随分雰囲気が違う。少なくとも第一話の主人公は戦隊で言うところのイエローに当たるオニシスターだし、戦隊のレッドも謎のまま。異世界を覗いてしまった鬼頭はるかが自分自身が何者かを探す話になっている。
最初にはるかを助けてくれた人物が救世主で仲間だと思ったら、全く違っていたという展開も意外。色々とイレギュラーだらけの話だった。
レッドであるドンモモタロウは他の戦隊のリーダーの姿になることが出来ることも分かった。今回はゼンカイザーに変身してる。ちなみにモノクロのゼンカイザーともの言わぬゼンカイジュランも登場。センタイギアを回収していた。色々謎だらけだが、そのまま突っ走ってる感じ。
<眼鏡を装着すると異次元が見え、人間に擬態した鬼が見えるって、まんま『ゼイリブ』なんだが、このパクリは構わないの?> |
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09 |
映画 |
三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実(2020) |
1969年5月13日に東京大学駒場キャンパス900番教室で行われた、三島由紀夫と東大全共闘の討論会についてのドキュメンタリー。テレビ局としては唯一取材していたTBSが撮影していた討論会の映像を復元し、当時の関係者や現在の文学者・ジャーナリストに取材した。
1969年。この年のトピックを言うならば、前年から顕在化した学生運動の激化が挙げられる。細かいことは省くが、左翼運動は多様化していったが、若さの分、学生運動は過激化していき、だいたいどの大学でも左翼運動流行りの時代だった。
一方でそれに反発するかのように右翼主義で突出した人物も存在した。それが三島由紀夫という人物だった。盾の会を結成した三島は若者に対しておおっぴらに自分の思想を語り続けていた。時代の逆張りだったが、少なくともその覚悟だけは本物だった(この辺は若松孝二監督の『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』(2011)に詳しい)。
その三島の覚悟を受け止めたからこそ、この対談が成立したのは確か。他の大人とは異なり、ひたすら真っ直ぐな三島の思いは学生運動家にも届いたのだろう。
そしてある意味三島は死をも覚悟してこの対談に臨んでいた。形としては東大生達を説得するかのような言動だが、むしろ言葉を使った殺し合いに近い。
なんせ相手は講堂を埋め尽くす敵対者である。たった一人でそこに立つのは、多人数を相手に一人で切り結ぶようなものだ。その度胸を観るためにこそ本作はあると言って良い。
ここで見所は三島が東大生を相手に説得を試みるシーンなのだが、実を言えばこの説得はほとんど意味を持たないことを三島自身も知っていたのだろう。これは自分自身の肝試しのようなもので、他の作家や批評家とは異なり、有言実行であることを世界に知らしめるために敢えてここにやってきた。ここに来た事自体が目的だったのだ。
その上で彼らの議論を見ていると、ほとんどが平行線を辿り、議論の体をなしてない。一応言葉を職業としているだけに三島はきちんと言葉を使っているが、数で押す東大生の方が感情的な言動をしているくらいか。
だから議論の様子は緊迫しているが、観ていてとても虚しい話である。
議論の様子を流すだけでは映画としては片手落ちだが、その辺はちゃんとドキュメンタリーのことは理解しているようで、ちゃんと今の時代にこれを観てどう思うかということを当事者達にインタビューしていて、これで色々と腑に落ちることが多く、それらをひっくるめて面白かった。
それらを含めて言えるのは、三島由紀夫とは、本当に文学者らしく悩みながら生きて生きていて、不器用ながら、どんな姿であっても、本当に一生懸命に生きようとしていたことが見えてきて、逆に三島の魅力が増えた作品になっていた。 |
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6話 |
アリスと零の前に現れた魔戒法師は突然襲いかかってくるが、実力的にはまるで敵わず、完全敗北してしまうが、そんな彼女を助けたのは烈花だった。彼女はカゴメと名乗り、実は兄であるオキナが竜騎士を復活させたと告白する。
敵はエデルの使い魔。今度はカラスのような姿をしたもの。
竜の復活を阻止するためには鍵であるアリスを殺せば済む。そう考えてアリスを始末に来る魔戒法師が現れた。3話に登場した女性の方の魔戒法師で、あっけなく竜騎士に殺されたオキナの妹。そもそも竜騎士を復活させようとしたのは、力の弱いカゴメを強くしようとしてのこと。
結局烈花と零が協力してくれることが分かったため、カゴメも彼らに同行することとなった。いつの間にやらアリスとは良いコンビになってた。カゴメは後先考えずに行動するため、危機を招いてしまうが、間違ったらすぐに謝ってる。このシリーズでは珍しい性格の良さだ。
今回はカゴメばかり追っていたため、鎧の召喚なし。
<カゴメの喋り方はなんかだいぶ昔の暴走族のレディースのようだ。それより昼の街を歩くのにこの格好はなかろうに。> |
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07 |
読書 |
孤狼の血
昭和63年。呉原東署に機動隊上がりの日岡秀一が新米刑事として赴任した。日岡はすぐに大上章吾という刑事の下に付くことになったのだが、その大上はとんでもないはみ出し刑事だった。呉原市の覇権を争い一触即発の加古村組と尾谷組の間に入り込んで脅しをかける。そんな大上の姿に戸惑うばかりの日岡だが…
映画が面白かったので原作を読んでみたが、雰囲気は随分違う。基本会話ばかりでアクションはないので、映画にする場合は動きを入れねばならないのは分かる。ただ、それは原作とは全く違ったものになってしまう。どっちも面白いので、映画と原作は両方楽しむべきだろう。 |
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25話 |
合体してしまった一輝とバイスを分離する研究を進める狩崎は五十嵐家のルーツを探ることにした。そこで「火事」というキーワードを発見し、そのことを聞こうとするのだが、そんな狩崎の前にデモンズドライバーに細工されたことで怒り心頭のオルテカに襲われてしまう。
敵はギフテリアンとクイン・ビー・デッドマン。
狩崎は前回の話で融合してしまった一輝とバイスを分離しようとするが、そこで五十嵐家のルーツを探ることになった。
その答えは、父の元太にあった。一輝が生まれる前に瀕死の重傷を負った元太はギフの細胞を心臓に移植されることで生き残った。その結果、悪魔の遺伝子はこども達に受け継がれたため、三兄弟は全員悪魔を心に生じさせ、仮面ライダーに変身できるようになったという。
そして一輝とバイスが何故契約したかも明らかになった。一輝自身も忘れていたが、18年前にしあわせ湯が火事になり、その時家族を守るために一輝の中のバイスが顕現して、これからも家族を守り続ける契約を交わしたという。
その大元である元太も変身が可能で、デモンズドライバーの中にいた悪魔であるベイルによって変身できてしまった。
そして元太の変身によってギフの復活スピードは増加。それと呼応するかのように、大二の中のカゲロウとさくらの中のラブコフが暴走を始めている。
一方狩崎の家も複雑で、狩崎の父がギフスタンプを研究していて、実験でギフの細胞を五十嵐元太に移植していた。
そしてフェニックスの長官である若林は当たり前のようにデッドマンズのアジトに現れ、オルテカを抱きしめてたりする。
情報量満載の話だった。その分アクションは控えめだったが。 |
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06 |
映画 |
ハウス・オブ・グッチ(2021) |
イタリアでしがない運送業を営む父のもとで働くパトリツィア・レッジャーニ(ガガ)は、上昇志向が強く、いつもパーティで利用出来る男を物色していた。そんなある日、憧れのブランド“グッチ”創業者の孫マウリツィオ・グッチ(ドライヴァー)と出会ったパトリツィアはマウリツィオに近づいて手練手管を用いて結婚までこぎつける。その後マウリツィオが会社の経営に関わるようになると、パトリツィアは支配権を握ろうと画策し、実権を持つマウリツィオの叔父アルドやその息子パオロと対立していく。
かなりの玄人好みの『最後の決闘裁判』が公開されてたいして時間が経たない中、突然トレーラーでスコット監督の次回作が発表された。しかも予告で分かるその豪華な俳優陣。実に楽しみな作品だった。
そして出来たものは、まさしく思い通り見応えがてんこもりの素晴らしい出来だった。
なんせ実録ものをこれだけの豪華俳優でやるのだ。それだけでもう充分と言った感じだろう。特に主演を務めたレディ・ガガはもう役者としても貫禄充分で、あれだけの俳優陣に全く引けを取ってない。後はみんな上手い人ばかりだし、懐かしい顔ぶれも続々登場。キャラ観てるだけでも心地よくなる。特に本作ではジャレッド・レトーが到底本人とは思えない太り具合で、誰それ?状態なのが凄い(特に本作観る前に『モービウス』のトレーラー流れていたので、見比べるとギャップに驚く)。
その上での本作の意味合いだが、実録ものというのは強い。内紛によって創業者の一族がグッチを追われるまでを描く事になるが、本作の凄いのは、グッチ一族というのが全員ほとんど抜きん出た才能を持たないことだった。主人公の一人であるマウリツィオにしてもパトリツィアに尻を叩かれてないと覇気も無いし、これと言って才覚を発揮することもない普通の人だし、そのマウリツィオとパトリツィアに追われてしまう一族の面々の救いようのない末路が待っている。そして最後は重役達によって会社は食い物にされるというオチも救いようがない。才能が必要な一族の中で凡人だらけという、ある意味悲惨な物語。
会社はきれい事では済まされない。そこで生き残るためには身内であっても蹴り落とさねばならないが、それが出来なかった人間はどうなるか。
そんな会社を曲がりなりにもグッチのものにし続けられたのはパトリツィアの手腕だったのだが、そのパトリツィアを切ってしまったことから一族の支配は崩壊してしまう。
すっきりはしないが、極めて冷徹なリアリティがここにはあった。
ただ、この作品を通して、特にアダム・ドライヴァーの姿を観てると、どうしても考えてしまうのがスター・ウォーズの物語がこれであったらということ。グッチという組織を新生ジェダイにして、その中で居場所のないカイロ=レン主体にして、レイがそのままパトリツィア役をやっていれば、相当に見応えのある作品になれただろうに…そういう風に考えてしまうと、なんというか、複雑な気分にさせられる。 |
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5話 |
竜の卵を解放する鍵を宿すことになってしまったアリス。元老院からの命令で竜の卵を守らねばならない零はなし崩しにアリスを守らねばならなくなり、次の竜騎士の襲撃に備える。一方、変身の傷が癒えたエデルは使い魔を使ってアリスの行方を捜す。そんな中、20年に一度という聖夜の祭りに出かけたアリスは何者かに襲われてしまう。
敵はエデルの使い魔元。小型の籠のような姿をしており、アリスを捕らえてエデルに連れて行こうとした。
前回偶然から竜の卵の封印を施してしまったため、アリスが話の中心になった。今回は偶然にアリスが見つけた画集の謎を解き明かすという、だいぶリリカルな話になってる。
アリスの過去が語られる。過去森の中で不思議な卵を発見し、それを保護していたが、何者かにその卵が奪われてしまったというところまでだが。
ラストシーンで前に竜の卵を解放しようとした魔戒法師の妹として登場した魔戒法師が現れた。敵対するのか協力するのかは現時点では分からない。
<幼少の頃のアリスは卵を見つけると、何故か置かれていた場所に卵を放置し、毎日そこに通って卵を温めていたそうだ。そもそもそれが卵だと分かるのも凄いが、なんで家に持ち帰ったりしないの?
マルコの画集の絵を見るために飛び降りたアリス。それは良いんだが、落下スピードが遅すぎないか?落下しながら普通に零と会話してたぞ。> |
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04 |
読書 |
犬と猫どっちも飼ってると毎日たのしい2
トイ・プードルの犬と拾い猫を飼っている著者の、犬と猫を中心にした日常を描く作品。今巻は血統書を持つ犬の兄弟捜しを合わせて描く。
小ネタばかりの作品なので、解説が難しいが、その小ネタが一々面白いので、コンスタントに面白い小ネタをよく持ってこれるものだと毎度感心する。ところでここで分かったのが犬も猫も既に9歳。人間で言うと壮年期に入っているはずだが、こんなにテンション高いのか。
うちのわんこなんて2歳になった頃から完全に物臭になってしまって寝てばかりなんだが。 |
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49話 |
両親も見つかり、再び日常を取り戻した人間世界。だが介人はこの世界に強烈な違和感を覚えていた。だがある日、介人はポケットの中に何も刻印のされていないセンタイギアを見つけ、そこで全てを思い出す。介人の前に現れた“神様”は、これまでの出来事は全て自分が仕組んだことと語りかける。
敵は“神様”。何人もの人格を渡り歩いたが、今は介人そのものの姿を取っている。
最終回。トジテンドを倒したら終わりではなく、その背後にもう一人黒幕がいた。全ての世界を作った“神様”は増えすぎた世界を整理しようとしたが、キカイトピアと人間の世界だけが整理出来ず、そのどちらかを残すことにした。結果として人間の世界だけ残すことに決めた。
そこで戦いになるのだが、同じ介人同士で戦うというシュールなもの。その戦いは精神的なものなので、心の強さでの勝負となった。それでも神様に敵うはずは無いものの、これまでの戦いで得た仲間達の力を借りて戦い、なんとか互角の戦いに。
しかし戦いは終わらないため、“神様”の提案で、最後の勝負をかけることになるが、その勝負に介人が選んだのがじゃんけんだった。
その勝負に勝ったのが介人の方だった。“神様”に言わせると、自身世界を閉じるのが勿体なくなってしまったから、その気持ちが自らを負けさせたらしい。
最後は戦いではなく、精神的な成長で終わったというのはこれまでにない話で、良き終わり方となった。ステイシーもすっかり角が取れたし、ゴールドツイカー一家も全員元通り。並行世界も行き来が出来るようになって世界は広がった。それでたくさんの世界を見てみたいという介人はゼンカイジャーの仲間達と新たな旅に出る。
この最終回あってこそ、本作は名作になれたかな?
恒例の次戦隊レッドとのハイタッチは、ドンモモタロウにゼンカイザーが抱きつくシーンだった。 |
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02 |
映画 |
僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ヒーローズ:ライジング(2019) |
南の海に浮かぶリゾート島の那歩島に、雄英高校ヒーロー科1年A組の面々がやってきた。雄英の教官オールマイトのプログラムでこの島で民の生活を助ける期間限定の校外ヒーロー活動をすることで、ヒーローとして成長させるという訓練だった。彼らは忙しく働きながらも、充実した毎日を過ごしていた。ところがある日、ヴィランたちが那歩島に現れる。
堀越耕平による同名漫画を原作とするアニメーション映画第二弾。テレビアニメの方も好評で、話はどんどん進んでいる。それに対して本編の外伝のような形で劇場版は展開している。一作目の『僕のヒーローアカデミア THE MOVIE 〜2人の英雄〜』は主人公達雄英一年生の夏休みの出来事として描かれていた。それに対して本作は、実はもっと後の話。実はこの時点で放映していたテレビアニメよりも先行した話である。そのため未だテレビでは未登場のキャラも登場するし、本編のストーリーの先を行ってるため、あまり引きずられないで済んでいる。
その上で言わせてもらうと、私はちょっと否定的かな?
一作目は緑屋出久とオールマイトの師弟の話だった。実は原作は主人公こそ緑屋だが、個性の強いキャラが多く登場しており、それぞれが主役的な話もある。勿論オールマイトも主役の一人なので、そこで二人を中心にして話を絞ったのは分かるんだが、だったら他のキャラを登場させなきゃ良いのに、無理矢理クラスメイトをみんな出した結果、中途半端な登場ばかりになってしまった。あの物語展開だったら同級生は誰も出さずに新しく人数絞ってヒーロー出した方が良かった。
そで本作は今度はオールマイトを出さないようにして、逆に同級生達を出してそれぞれの見せ場を作った。戦いの描写が良かったのは、開けたところで住民を守りつつ敵と戦い、それぞれの個性を出すというもの。
その中で特にもう一人の主人公とも言える爆豪をはっきり中心に打ちだしたのが本作となる。
爆豪というキャラは不思議なキャラで、何事も上から目線で、器用だが、一方ではとにかく努力家、友だちは作らないが、周囲の人たちに目を配る。これだけだったらまさにヒーローそのものだが、唯我独尊の性格と、とにかく口が悪くて誰に対してもつっかかるために、みんなそれなりの距離を置いて付き合っている感じのキャラである。実力はトップクラスでも卑屈な性格の出久とは良き対比となっていて、実際原作の扱いももう一人の主人公格となってる。何より出久とオールマイトの関係を知る唯一のクラスメイトという事もあって、その設定を最大限に生かそうとしたのは分かる。
ただ、それが出久がワンフォーオールの力を明け渡すという物語にはだいぶ違和感あり。劇的にしようとしようというのは分かるけど、それはやってほしくなかった。そのシーンが入ったことで気分が醒めてしまった。これは好みの問題なのかもしれないけど、やっぱり劇場版でそれをやってしまうのは許せない気分になった。
それもあって、本来もっと上げても良い点数が低くなってしまった。 |
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4話 |
バー“ループ”に居着いてしまったアリスは勝手に零にくっついていく。折しも零は元老院から竜の卵の警護を頼まれ、元老院から派遣された魔戒法師である烈花と再会する。そこに現れる竜騎士のエデル。
敵は鎧竜エデル。封印を解かれたエデルが竜の牙を自らに突き立てたことで竜の力の鎧を纏った姿。
本編の中心となる竜の卵にまつわる話となる。第1話から登場したアリスが探していた竜の卵、そしてこれまで断片的に現れていたそれにまつわる話がここで一つにまとまる。
零は竜の卵の警護を任されたが、その折烈花と再会している。二人で卵を警護することになるらしい。烈花は元老院付きへと昇格しているが、零はそれは意外だと思ってるようだ。実際ホラーを狩れる魔戒法師だから、何かに属するよりも自由にした方が良いということだろう。烈花はなんだかんだでシリーズの大部分に登場する人物となってる。
前話ラストで自らを復活させた魔戒法師を一撃で殺した竜騎士が登場。彼の狙いも竜の卵で、零、烈花、アリスと丁度タイミング良く出会う事になった。そして偶然からアリスが竜の卵の鍵となってしまう。都合良すぎる感があって、竜の卵の話に無理矢理アリスをねじ込んだ形になるため、ストーリー自体にかなり無理が生じてる。一話完結ならともかく、長い話は苦手かな?
それで今回は鎧を纏って鎧竜となったエデルと絶狼との戦いとなるが、初戦では圧倒的なエデルの前に防戦一方と言った感じ。
<アリスは竜の卵の鍵を施すのだが、事情も分かってないくせに迷い無く手を押し当ててる。> |
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ギレルモ・デル・トロ モンスターと結ばれた男 |
<A> |
<楽> |
イアン・ネイサン |
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01 |
読書 |
俺俺
大手家電販売員の“俺”永野均は、ある日間違えて他人の携帯電話を持ってきてしまう。そこにかかってきたその男の母親からの電話に、ついいたずら心を起こして詐欺行為を働いてしまう。その日から“俺”の周囲が少しずつ変化していった。そして自分は携帯の持ち主大樹という男になってしまっており、更に何故か“俺”の前に現れる複数の“俺”たち。
俺俺(2012)の原作。人のアイデンティティとはなにかをコミカルに描いた話。かつて筒井康隆が得意としていて、大変味があるが、その領域にまでは行ってなかったかな?単にカオスなだけで終わってしまった感じだ。しかしこれを映画にしようとよく考えたもんだな。 |
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24話 |
一輝とバイスが入れ替わって一週間。銭湯の手伝いを買って出たバイスだが、何をやっても上手くいかず、更に時に暴走してしまって迷惑をかけ続けていた。そんな時に銭湯にやってきた狩崎は一輝とバイスを取り替える方法を見つけたという。しかし狩崎に不信感を持っているバイスは拒否してしまう。
敵はギフテリアン。そして仮面ライダーデモンズ。
前々回入れ替わってしまった一輝とバイスだが、悪魔でない一輝が霊体状態ではそのうち餓死してしまうため、入れ替えは急務となり、そのバタバタがメインの話。それでなんとかバイスを説得して元通りになった…ように思えたが、同じ体の中で一輝とバイスが共存することになった。
今回中心になるのが狩崎で、一輝とバイスの入れ替えを提案して、次はオルテカの元でデモンズドライバーを強化。そしてウイークエンドでの“父親”の調査と、活躍しっぱなし。
前回ウイークエンドの代表として狩崎を名乗る男が現れたが、本人曰く、ジョージ・狩崎の父親だという。しかし狩崎によれば、父親は既に亡くなっていると言っていた。
そしてオルテカは狩崎にデモンズドライバーの強化を依頼したが、たいして強化は出来ず、ジャックリバイスの前に敗北。更にデモンズドライバーの方がオルテカを見限ってしまう。
<「俺は狩崎さんを信じる。だからお前は狩崎さんを信じる俺を信じてくれ」という一輝。この台詞はまんま「グレンラガン」だ。> |
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RIOBOT 宇宙の騎士テッカマンブレード ブラスターテッカマンブレード |
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