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30 |
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読書 |
コクリコ坂から
渡米した母に代わって下宿屋を切り盛りする女子高生の小松崎海。そんな彼女が通っている高校で、新聞部の風間俊と生徒会長の水沼史郎が度々様々な勝負をかけ、それを新聞記事にしているのを知るのだが、制服自由化を巡る論争はやがて学園中を巻き込むこととなっていく。当初冷ややかに事の推移を見守っていた海だったが…
1970年代後半を舞台にしたストレートな青春ものの作品。「自由とは一体何?」という主題の元、恋愛や様々な人生を彩るトラブル、仲間たちのお節介など、かなり現実に即したもので、少女漫画らしい繊細なタッチで描かれている。
この作品、宮崎吾朗官途によってコクリコ坂から(2011)として映画化されているが、忠実な映画化ではなく、年代を15年ほどさかのぼらせたものとなっている。この違いによって雰囲気が全く違ってくるのが面白い。メインヒーローとなる風間の性格もまるで違うが、見比べるのが面白い。 |
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読書 |
ジブリの仲間たち
世界的なアニメスタジオとなったスタジオジブリの元社長でアリ、プロデューサーの著者が語る、これまでのスタジオジブリの軌跡と、いかにして著者がその宣伝をしてきたのかを語り尽くす。
映画の話というと、通常クリエイターが注目され、製作側は二の次とされがちだが、プロデューサーである著者が語る裏方のお話は、「面白い映画をどう宣伝するか」でちゃんとドラマティックなものになってるのが面白い。既に様々なメディアで聞いていたことも多いけど、語り口が巧いのが著者の最大特徴で、それをよく活かしたものになってる。
ただ、度々登場する博報堂の藤巻直哉に対する恨み節がやたら多いのが気になるが、どんだけ迷惑被ったのやら。 |
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19話 |
チキュウのプラネジュームを根こそぎ奪うため、無数のモライマーズがチキュウに接近していた。なんとかアルゴ船を早急に復活させるため、キュウレンジャーはリュウコツキュータマのある惑星キールへと向かうが…
敵はオメーガ。惑星キールのダイカーンで、自分の像を造らせるために森の住民を無理矢理働かせる。
メインの物語はアルゴ船復活の最後のキュータマを巡る話になるが、スコルピオも又アルゴ船を手に入れようとしているため、必然的にスティンガーとスコルピオの戦いへとなだれ込んでいく。スティンガーはチャンプの復活を待つこと無く、決着を付けようとしてるようだ。
あと、又してもマーダッコが復活したが、今度は麗人のようなしゃべり方になってる。
今回惑星キールに向かったメンバーは赤黄緑金銀。
<バランスの「これじゃ宇宙が黒く見えないよ」で笑える人はアニメもしくは映画のかなりディープなファンとなるだろう。
スコルピオに捕まったエリスの台詞は「わらわの命などどうでもよい」だった。これまた古典的名台詞だ。> |
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27 |
映画 |
幸せのレシピ(2007) |
マンハッタンにあるレストランで料理長を務めるケイト(ゼタ=ジョーンズ)は、シェフたちに恐れられる完璧主義者だった。そんな彼女が姉の遺児となった娘ゾーイ(ブレスリン)を引き取ることになった。ゾーイに手を焼きつつ、なんとか仕事家庭の両立を目指すが、そんな時にレストランに副料理長としてニック・パーマー(エッカート)がやってくる。
スマッシュヒットを取ったドイツ映画『マーサの幸せレシピ』のハリウッドリメイク作品。メインキャストにゼタ=ジョーンズとエッカートを配し、豪華な作品となった。
…なったのだが、本作は根本的に全く面白くない。あれだけ面白かった作品をベースにして、よくもここまで下らなく出来たもんだと感心するほど。
ただ、これは仕方ないところもある。オリジナル版が面白かったのは、ドイツという国で作られた、のフレンチレストランを舞台にした作品だからというのがあるから。フランス料理なのにドイツ人が主人公だから完璧主義者というのがすっと入ってくるし、そこでイタリア人男性が入ることで、お国気質というのが色々混ざり合って面白さがあった。
それに対し、本作はニューヨークが舞台となる。根本的にニューヨークを舞台にした恋愛劇はこれまで嫌になるほど作られており、個性的な設定が定番要素で埋もれてしまう。
そしてベテランを配することによって、手慣れた演技を見せられると、初々しさというのが全く感じられなくなってしまう。
子持ちの大人の恋愛話なんて80年代からのトレンディドラマで出尽くしており、実にありがちな設定である。
それでも陳腐な設定を使わざるを得ないならば、逆手に取ったオリジナルにはなかった極立った。ところがそれを全く用意できず、それをありがちな演出で料理してしまった。
結果、どこにでもある無個性のトレンディドラマができあがっただけに終わってしまった。正直何の魅力も感じられない。 |
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22 |
読書 |
夏目友人帳9
「小さきもの」夏目が出会った小さな毛玉のような妖怪。それは集団で旅する小妖怪だった。他の巨大妖怪の落とし物を引っかけて逃げた為、夏目も又巻き込まれることになる。
「東方の森」集団で友人帳を狙う妖怪が現れ、夏目は東の方にある森に連れ込まれてしまう。実はその森は、的場一門の離れの屋敷があり…
中編2作品と特別編で構成されるいつものような作品となる。8巻がやや全般的にほんわかした話だったのに対し、今回はかなり深刻な話になってる。久々登場となる妖使いの的場一門は、相変わらず得体の知れない迫力あり。これから何かと関わりを持っていくことになるだろう。 |
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10話 |
突然死者の書を読み始めるルビーと、その表紙がパブロの顔に取り憑いてしまった。実はルビーこそが本物の悪霊であり、この書を解き放つ為に探していたという事実を知り、
第一期の最終話。実は全ての元凶はルビーにあったというオチから始まり、それを防ぐ為にどう行動するかを考えるところから始まる。
その第一歩は地下室の探索からだが、これは『死霊のはらわたII』での焼き直しで、勝手にテープが再生されて呪文が勝手に唱えられたり、壁から目が出てきたり、強風でドアが勝手に開け閉めされたり家具が飛んできたり多量の血が壁から吹き出てきたりと、本当に『死霊のはらわたII』でやってたことばかりが出てくる。演出が映画版よりも良い為、リメイクとして観るのも楽しい。勿論アッシュはアッシュでワンタッチでチェーンソーを装着するなど、分かってる演出に溢れてる。
そしてラストは、なんとアッシュがルビーの提案を受け入れて悪を解き放つ代わりに自分たちがジャクソンビルに行って安寧な暮らしを手に入れるというものだった。元よりいい加減なアッシュらしいエピソードが、なんとなくやるんじゃ無いかと思ったことを本当にやりやがった。
自分たちを助ける為に取引したことを重々承知の上で、それでもアッシュを不信感たっぷりの目で見るパブロとケリー。それに対して浮かれまくってるアッシュという描写でファーストシーズンは終わる。これまでやってきた事って一体何なの?という凄いモヤモヤした終わり方だ。
今更という気もするけど、死者の書の正式名称はやっぱり「ネクロノミコン」だった。
<ツッコミというわけではないにせよ、単にキャンプに来ただけなのに、たっぷり恐怖を味あわせられた後で殺されて悪霊に取り憑かれるという、ヘザーが気の毒すぎる。基本この作品は、なんの罪もない人間が理不尽に蹂躙されて殺される描写ばっかりだ。> |
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21 |
読書 |
帰ってきたヒトラー 上
1945年4月30日。ベルリンの防空壕内で自殺したはずのヒトラーが、何故か2011年のベルリンで目覚めた。全く事情が分からないまま彷徨うヒトラーがたどり着いたのはキオスク。そこで親切な店主から店番を頼まれ、置いてあった新聞を片っ端から読みまくる。そしてこの世界で復活した理由を探し、旅を始めるが…
映画版が大変面白かったので原作本を買ってみた。基本的に設定は同じではあるものの、内容はまるで異なる。ここに登場するヒトラーは自己分析と周囲の状況を見定める天才で、その一人称で物語は展開する。その分よりソリッドに2011年現在のドイツの状況というものが見えてきて面白い。映画とは違った意味での魅力に溢れた作品と言えよう。 |
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9話 |
二人に増えたアッシュに対し、パブロとケリーは正しい判断で偽物を撃つ。だが死体を処理しようとしたところ、キャンパーが小屋にやってきてしまった。
自分自身のクローンを倒したのは良いが、そのために余計面倒な目に遭うアッシュの姿。実にいつも通りである。更に罪も無いキャンパーが巻き込まれ又しても全滅に。
そして颯爽と現れ、パブロたちを救うルビー。彼女はアッシュが信用できないとパブロに吹き込み、死者の書を渡すように迫る。折衷案として、カンダリアンのナイフをアッシュが使って本の表紙をはぎ取り、本はルビーに渡すのだが、ルビーが本に書いてある不思議な呪文を唱えると、はがした本の表紙がパブロに取り憑いてしまう。
そして最後にルビーが言った言葉は、「この本は私が書いた」だった。
今回は人体切断シーンがやたら多く、よくテレビでここまでやるという描写が目白押し。
<「俺のクローンを切り刻むことになろうとは」とはアッシュの言葉だが、過去『キャプテン・スーパーマーケット』ではしっかりやってる。この世界とは並行世界で、無かった事になってるはずだが、ちゃんとそう言うサービスを入れてるらしい。
パブロとケリーは物音を聞いて銃を乱射したところ、アライグマを粉砕してしまう。今のテレビドラマでこれはやっちゃいけないことでは?(人を殺す描写は問題ないから、変と言えば変だが)> |
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映画 |
ゴースト・イン・ザ・シェル(2017) |
電脳社会が進んだ未来社会。その中でロボティクス社は全く新設計のサイボーグ技術を開発していた。その中で生まれたサイボーグの成功例として、ミラ・キリアン(ヨハンソン)を警察の公安9課に預け、性能テストをかねて過酷な任務を強いる。ヒデオというテロリスト調査中、ミラは自分の記憶が本来の自分のものではない事に気づかされる。徐々に記憶を取り戻していくミラだが…
1995年に作られたアニメーション映画『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』は映画界に大きな足跡を残した作品として記憶されている。
確かにこの作品、国内での興行成績は今ひとつだったのだが、その後北米でビデオセールとなった際、一気にブレイク。日本映画としては初の北米売り上げビデオのトップとなった。
その理由として、それまで存在そのものはあったものの、『ブレードランナー』(1982)以来絶えてしまったサイバーパンクの活路が見いだせたというものがあっただろう。それまでの実写やアニメには無かった、サイバーパンクのとんがった表現が受けたと考えられる。
この映画を観て意識改革された映画監督も多かったらしく、特にこの作品へのリスペクトを隠しもしてない『マトリックス』(1999)の大ヒットが現在に至るCGアクション映画の基礎を作ったと考えるならば、世界的な映画に与えた影響はかなり大きい。
そしてそれまで好事家受けでしか無かった映画監督押井守を一気にメジャーに押し上げた。殊ハリウッドにおいては、日本のアニメ監督と言えば、第一に宮崎駿となるだろうが、次はおそらく押井守か庵野秀明のどちらかの名前が挙がることだろう(これは古くからのファンにとっては、嬉しいところでもある一面、一抹の寂しさも感じたものだが、それはここでは省く)。ウォシャウスキー経由であろうとなかろうと、現在のハリウッドSFX映画の大部分には間違いなくこの映画の存在がルーツとなっているし、それなりに押井守のファンも増えていることが分かる。
だから『GHOST IN THE SHELL』の実写リメイクはずっと言われ続けてきたのだが、ここでようやく企画が日の目を見ることとなった。
不安が無かったと言えば嘘になる。『アベンジャーズ』(2012)などで見慣れているスカーレット・ヨハンソンはともかくとして、監督の名前がどうにも不安。今『スノーホワイト』のレビューを読んでみたが、我ながら欲ここまで罵倒できるもんだと感心するほどである。
それに世界的な興行成績を見ても、本作は決して高くはない。専ら「失敗作」と呼ばれる類いに入っている。
更に結構宣伝は出ていたものの、あっという間に更改終了になってる。この状態で期待しろという方が無理。
…というマイナス要素はあったが、本編そのものは割と普通に観る事が出来た。
少なくとも、あのアニメをここまでちゃんと実写化出来たと言う点については評価すべきだろう。
それに見る人が見れば分かるリスペクトの多さ。勿論ベースであるオリジナル版の『GHOST IN THE SHELL』から数多くの引用があるのは当然として、それ以外の作品や押井守の私生活に関するエッセイなどからも引用が次々と…
この人、本物の押井守ファンだったんだ。海外荷もこんな人がいるんだねえ。と、なんか嬉しくなる。
内容に関して言うならば、非常に薄目のSFと言った風情で、低予算SFにありがちな展開をそのまま使用はしている。
しかしながら、物語が破綻してるわけじゃないし、致命的なツッコミが入るほどの酷い描写も無い。これと言って特筆すべき所は無いけど、SF作品としては水準を満たすくらいのポテンシャルはある。
実際文句を言う類いのものではない。この程度の出来で充分だとすることも可能である。
強いて言うなら、「並過ぎる」というのはあって、その辺が自分でも折り合いが付いていない。その部分がちょっとモヤモヤしている。
元々がそれなりにとんがった作品で、そのとんがり具合が受けた作品だが、それを模倣すると、とんがっていたところまで丸まってしまった感じと言うべきだろうか?
結果として、それなりに見所のあるフツーの作品と言うべきなのかな?それはそれで正解のリメイクだろうけど。 |
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18 |
映画 |
市街戦を行ったヒーロー |
デアデビル |
デアデビルVSエレクトラ |
THE FLASH/フラッシュ(TV) |
フラッシュVSアロー |
THE FLASH/フラッシュ(TV) |
フラッシュVSニュークリアマン |
アベンジャーズ |
ハルクVSソー |
新 超人ハルク/勇者伝説 |
ハルクVSソー |
ファンタスティック・フォー:銀河の危機 |
トーチVSシルバーサーファー |
アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン |
アイアンマンVSハルク |
アベンジャーズ |
アイアンマン&キャプテン・アメリカVSソー |
X-MEN2 |
ジーンVSサイクロプス |
ウォッチメン |
ロールシャッハ&ナイトオウルVSオジマンディアス |
スーパーマン3 |
スーパーマンVSクラーク・ケント |
X−MEN ZERO ウルヴァリン |
ウルヴァリンVSデッドプール |
X−MEN ZERO ウルヴァリン |
ウルヴァリンVSガンビット |
X−MEN ファイナル・デシジョン |
ウルヴァリンVSフェニックス |
14 TV and film superhero civil wars |
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17 |
映画 |
座頭市血煙り街道(1967) |
街道を進む座頭市(勝新太郎)はひょんなことから良太という子どもを預かり、それを父親の庄吉に連れて行くこととなった。旅の途中、幾多の幾たびかの小競り合いに遭遇するのだが、何故かその度に赤塚多十郎(近衛十四郎)という武家の男と遭遇していく。
前作山本薩夫監督による『座頭市牢破り』(1967)がかなりの異色作として作られたが、本作は脚本笠原良三監督三隅研次という安定したスタッフの下支えによって、とてもオーソドックスな作りになっていた。
特に三隅監督が作る座頭市は、単純な活劇の中に男同士の友情というか、剣で語り合うようなライバルが登場することが特徴。本作も近衛十四郎演じる赤塚多十郎というライバルキャラを配し、その殺陣をメインに持ってきた。
少なくともそのクライマックスの殺陣に関しては申し分なく、とても緊張感が溢れた作りになっている(ラストの勝新太郎と近衛十四郎の立ち回りは段取り無しで臨んだそうだが、とてもそうは見えない)。
ただ、流石にこのパターンもマンネリ気味だし、メインの物語もこれまで作ってきた中から良いところを抜き出して作ったようなものになってしまったため、とても印象の弱いものになってしまった。折角前作であれだけ冒険したのだから、その路線を進んで欲しかったような気はする。
演出が良い分、プログラムピクチャーとしては十分だが、それ以上を求めてはいけない作品でもある。 |
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35話 |
仮面ライダーレーザーターボの正体はやはり貴利矢だった。だが既に壇政宗の管理下に置かれ、完全に政宗の配下になってしまった貴利矢の正気を取り戻させようとする永夢だが…
敵は仮面ライダーレーザーターボ。
消滅した九条貴利矢が復活。だが壇政宗の忠実な部下として。その事実をどう受け止めるかが重要な問題となる。永夢は政宗の洗脳を受けていると判断し、元に戻そうとし、一方のパラドは完全に消滅してしまおうとする。相変わらず意見が食い違う二人。一方、あくまで打倒政宗を目指す黎斗は独自に新しいガシャットの製作を開始している。
ただ、貴利矢本人は洗脳されていたのではないらしい。
壇政宗の目的は、仮面ライダークロニクルのプレイヤーを完全に管理すること。だからこそプレイヤーを増やすために活動を開始している。
<政宗に対し、「俺たちバグスターの命をもてあそぶ」とか言っていて、「お前が言うな」とツッコミ入れようとしたら、まんまの台詞を永夢が言っていた。> |
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15 |
映画 |
座頭市牢破り(1967) |
インチキ賭博を見抜き、そこで捕らわれていた農民を救い、一宿一飯の渡世人の義理を果たした市(勝新太郎)だが、それは恩義を受けた富蔵親分からの反感を買ってしまった。逃亡生活を余儀なくされてしまった市を匿ったのは、農にこそ国を支えるものと考え、農民として暮らす武士の大原秋穂だった。彼から諭しを受け、生まれ変わろうと考える市だったが…
これまで既に15本の映画が出来ていたシリーズだが、ここからこれまでのシリーズとは少々異なる雰囲気を持つようになっていく。
それは主演の座頭市を演じる勝新太郎が勝プロダクションを立ち上げ、映画製作にも乗り出したからである。これまでと同じ作風では特徴がないと、新たな風を吹き込むようにして、第一回作品として投入したのが本作となる。
プロダクションの最初に定番を持ってきたのは手堅いが、作品そのものをこれまでとは全く違う位置づけで作っている為、かなりの異色作ができあがった。
本作を観ると、勝新太郎がどれだけ本作に入れ込んでいたかが分かろう。まず監督を社会派監督の山本薩夫に依頼したと言う時点で、どれだけ本作を大切にしていたかということが分かる。これまでのシリーズとは明らかに一線を画した異質な物語になっている。
座頭市はシリーズとしては長命だが、長いシリーズの場合、どうしてもパターンに陥ってしまいがち。固定ファンをつなぎ止める為に演出はどんどん派手に荒唐無稽になり、その分設定やら物語性を単純化させてしまうこととなる。その最たる例が本シリーズだったわけだが、勝新太郎自身がそれを痛感していたのだろう。だからこそ、刷新する思いで山本監督に任せたものと思われる。
内容的にも、いかにも当時の左翼人が作ったと言う感じで、農民と搾取者との対立を主軸に、この殺伐とした時代に人として生きるとはどういうことなのか?ということを真っ正面から描いている。
その視線はとても新鮮で面白いのだが、申し訳ないのだが、この手の物語はちょっとお説教じみていて、軽く引いてしまうし、主題が社会的な重さに重点を置いている分、物語のテンポが悪い。
あと、どんなに善人ぶっていても、搾取者は悪であるというオチに持って行ったのは、後味が悪いだけでなく、「資本家は悪」という単純な構図に見えてしまうのでモヤモヤした気分にさせられてしまった。
仮にこれがシリーズの第一回作品であれば、諸手を挙げて「名作」と言えたのだが、シリーズのてこ入れとしてはふさわしくなかったのでは?という思いが沸々と。
シリーズの中の作品としては必ず観ておくべき作品には違いないけど。 |
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読書 |
ズッコケ中年三人組 age43
裁判員裁判制度が導入され、ミドリ市でも半年ほど前に起こった殺人事件にそれが適用されることになった。その裁判官に選ばれたのは、なんとハチベエ。初めてのことに戸惑うハチベエは物知りのハカセに助言を求めるのだが…
シリーズももう四作目。今巻は時事ネタに近い裁判員制度を取り上げている。普通の市民が裁判官になることに対する市民レベルでの問題点を描く手法は、なかなか地に足が付いた感じで好感が持てる。それにそれなりにちゃんとひねりも利いた推理作品にもなってるので、読み応えは結構あり。
しかしなんだかんだ言って、結局このシリーズ、ハカセがほとんど主役なんだよな。ハチベエが動けなくなってしまった為、主役がいつの間にか交代っぽくなってたが、まさかハチベエ中心の話で結局ハカセが全部持って行ってしまうとは思わなかった。 |
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13 |
読書 |
はじめの一歩117
パンチドランカーの疑いをもたれ一月の間ボクシングから離れることを余儀なくされた一歩だが、その一月が過ぎ、いよいよ新型デンプシーを試すこととなった。想像以上の仕上がり方を見せるのだが…
3巻に渡って、パンチドランカーか?と引っ張ってきたが、結果として全く問題なし…いいのかこんな展開で?
それより問題は復帰したとしてそのモチベーションをどこに持って行く?今の段階では惰性のように試合が組まれ、それを淡々とこなしていくだけになっていくのは明白。パンチドランカーと新しい展開とが結びついていくんじゃないかと思っていたもんだが、今のところ全くその方向には行ってない感じ。 |
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16話 |
オリオン号に忍び込んだマーダッコによりラシンバンキュータマが奪われてしまった。追いかけるラッキー共々ワームホールに飛び込んでしまい、マーダッコとキュウレンジャーの何人かが別な宇宙に出てしまった。そこはチキュウに良く似た惑星で、そこにはなんと宇宙刑事の十文字撃がいた。
敵はマーダッコ。そしてデスワーム。
今回はスペシャルで、宇宙刑事ギャバンとデカレッドが客演。単細胞なギャバン=撃はすっかりマーダッコの言い訳に騙されてしまい、敵対するという話になており、戦隊VSパターンそのもの。これはOVA『スペース・スクワッド
ギャバンVSデカレンジャー』の番宣を兼ねてる。
戦隊シリーズでは実はかなり好きな「特捜戦隊デカレンジャー」の登場だが、同じメンバーがちゃんと登場してるのが何とも嬉しい。特にコミカルな話が多かった作品なので、今回も笑いに溢れた話になってる。特にドギー・クルーガーとガルの漫才はお互いノリノリ。裏話だが、ドギー・クルーガーの声を演じている稲田徹はショウ・ロンポーの声の神谷浩史とは同期。リュウテイオーと電子星獣ドルのそろい踏み。しかもどちらも頭にヒーローが乗ってる描写は「素晴らしい」の一言だな…尚、それを観たデカレッドは「あそこに乗って意味があるのか?」という根本的な疑問を呈している。
折角だからこういうお祭り話は前後編でやってほしかったところだな。
今回の出撃は赤青緑銀紫だが、巨大戦はリュウテイオーのみ。
<着ぐるみとは言え、女性型の敵の胸に向かって跳び蹴りする描写はいかがなものか?> |
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読書 |
甘城ブリリアントパーク1
かつて天才子役と言われたが、今は引退して普通の高校生活を送っている可児江西也の前に、突然現れた転校生の千斗いすずは、どこからとりだしたかマスケット銃を突きつけ、デートを強要する。脅されて渋々高校近くにあるテーマパーク、甘城ブリリアントパークへと出向くのだが、なんとそこは本物の妖精の国だった。しかも廃園寸前のこのテーマパークの支配人になって欲しいというとんでもない申し出を受けざるを得なくなってしまう。
ライトノベルの中では比較的ハード系に属する著者が描いたのはなんと遊園地という変化球。意外性のあるテーマだが、とりあえず第一巻はかなり面白く読ませていただいた。今巻で閉園の危機はとりあえず乗り切るという所までだが、根本的な解決には至らず、これから本格的な話が始まっていくようになる。 |
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34話 |
壇政宗についた飛彩は、今度は永夢にまで襲いかかり、ゲームドライバーを奪い取ってしまった。飛彩は恋人を消し去られてしまったのは自分に責任があると言うが…
敵は仮面ライダークロノス。そしてクロノス側に付いた仮面ライダーブレイブ。そして更に仮面ライダーレーザーターボまでが参戦。
飛彩は恋人が消えたのは自分に責任があるとして、その償いのために戦い続けていると語る。他の患者の命を無視してでも恋人の方を取っているように見える。実は太我がいつも飛彩を挑発するような行動を取っていたのは、こうならないように自分を恨むように仕向けていたからだとか…ツンデレは飛彩だけじゃなかったか。
あと仮面ライダークロニクルの最終ボスであるゲムデウスもちょっとだけ登場。クロノスを攻略するためにパラドとグラファイトがそのデータを利用する。いつの間にやらパラドと共闘してるのだが、この作品、都合で手を組む陣営が変わる辺り、「Zガンダム」っぽい。
<クロノスを攻略するための新しいガシャットの開発にいそしむ壇黎斗。ぶつぶつ呟いている台詞は、「まさに私の敵は私の才能」だった。どこまで自意識過剰なんだ。> |
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美女と野獣(2017) |
辺境の村に住み、本好きで世界をその目で見てみたいと夢観る少女ベル(ワトソン)。ある日時計職人の父親が森で行方不明になった事を知ったベルは父を探しに森の奥深くに踏み入るのだが、そこにはなんと立派なお城があり、父はそこで囚われの身になっていたことを知る。しかもその城の主は、恐ろしい野獣の姿をしていた。気丈なベルは自分が父の身代わりになると言うのだが…
18世紀に描かれた小説「美女と野獣」は舞台や映画の素材としては非常に好まれるもので、映画でもかなり古くから作られ続けている。特にコクトー監督による『美女と野獣』(1946)はその後の映画史にも大きな影響を及ぼすことになったが、それを見事引き継いだのがディズニーによるアニメーション映画『美女と野獣』(1991)となる。この作品はディズニーにとっては本当に久しぶりのアニメのヒット作で、この作品をきっかけにディズニーは再びアニメーションでの地位を確立していく。このアニメ版は映画史に残るトピックと言っても良かろう。
そして何より、このアニメは後年の映画作りを目指す人たちの目標ともなった。子ども達に繰り返し見せる定番アニメとして、幼少期にこの作品と共に育った子も多く存在し、アニメーションクリエイターとしても、この作品を目指す人も多い。
そんな意味ではこの実写化はその結晶であると言えるだろう。
作品そのもので言うなら、作りはきちんとしているし、キャラも演出も良い。実に優等生的な作りだし、演出の盛り上げ方もなかなか巧く、後半の圧巻のダンスシーンにはぐっと引き込まれもする。
ただ、“優等生”という作り以外に評価出来ないのが本作の問題点だろうか。
そもそもディズニーは過去から伝統的に脱臭された物語を作り続けてきた。“こども向き”という建前で、残酷なシーンはカットし、死人も出来るだけでないように配慮し、場合によっては肉食獣と草食獣を仲良くさせたりとか、あり得ないような優しさを押しつける。
それは確かに一つの価値観ではある。しかし、口触りの良い物語だけを提供する作りは、本来の物語を持つ広がりを阻害する。しかも酷いのはディズニーで育った人は、それが本来の物語だと思い込んでしまったりする。ある種文化の破壊でもある。
本作の場合どうだろうか。
まず原作の場合、どんな姿でも、どんな性格でも受け入れる覚悟というのをお互いに持つことが“愛する”ことにつながり、それを乗り越えていくことによって本当の人間性とは何か。ということを考えていたはず。
だが本作のベルは自分以外に興味が無い。世界を知りたいのも自分の視野を広げる為だし、野獣を愛するのも彼は自分の為に知識を提供してくれる。そのためやってることは全編を通して自分探しになってしまい、献身とか思いやりとか全部置き忘れたキャラになってしまい、困難を乗り越えて、愛すると言う構図が全くない。全部自分個人の中の問題で終わってる。
そう言う女性であると言う設定で物語が作られているのならそれでも良い(同じくディズニーの『塔の上のラプンツェル』(2010)なんかはそう言う物語だった)。だけど「美女と野獣」の主題からは、どうにもずれてる。なんせ愛の物語が自分探しの物語に変質してるのだから。
そして原作の持つ不気味さやホラー性は全くなくなってしまったことも問題。最初から最後まで安心して観られる作りになるが、その分本来の物語の持つ、“愛の力の強さ”がとても薄れてしまい安っぽくなった。
そもそも野獣が格好良すぎて、別段このまま不細工な人間にならんでもよくね?と思わせてしまうところ。野獣が怖くないので魅力が無い。
この作品では野獣はほとんどまんまヒーローそのもの。自分が異形の姿になってしまい、悩む主人公が、それでも人間の為に戦い続けるという、初期の「仮面ライダー」そのものの設定になってる。野獣がここまで美化されてしまうと、流石にうんざりする。
現代的かも知れないけど、流石に脱臭しすぎだろ。
最初からアニメ版を観ていて、物語があんなもんだと思ってる人にとっては全く気にならないだろうから、こんなことを言っても仕方ないのだが、私にはどうにも居心地が悪い作品になってしまった。 |
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07 |
読書 |
きまぐれ星からの伝言
10年前に亡くなった著者を愛する人々による、著者にまつわる様々なエッセイや著作、翻訳などを集めて収録した作品。
貴重なものも多数ある興味深い作品集だった。中でも80年代の星雲賞選出時の対談で選者である星、小松、筒井の三人の話し合いはすごく参考になる。星新一は新井素子押しとは昔から聞いていたけど、ここでそれを読むことが出来た。 |
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16話 |
闇のドームに覆われた地域を救うため派遣されたキュウレンジャーの面々。だがそこでのダイカーンシャイドスは見えない所から突然攻撃してくる。攻略の糸口が見えないラッキーだが…
敵はシャイドス。影に潜むことが出来るヤマネコ座系惑星ピーポー出身のダイカーン。完全に光を遮断したドームを作り、そこで人間を強制労働させる。影に隠れて人々を監視してる。
今回は通常の作戦。ガルとバランスが友情を強める話。何事もいい加減なバランスに、いつも余裕が無いガルはいつもイライラさせられるが、バランスの余裕は常に状況を見ているためで、最適な攻撃を常に見据えてるからだとか。ちなみに、強化された太陽の光を浴びるとバランスが、月野光を浴びるとガルがパワーアップすることが分かった。なるほどここで共通項がある訳か。
今回の出動は赤青金緑桃。 |
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04 |
映画 |
最低カップル |
第1位 |
スター・ウォーズ EP2 |
ナタリー・ポートマン&ヘイデン・クリステンセン |
第2位 |
ダ・ヴィンチ・コード |
トム・ハンクス&オードリ・トトゥ |
第3位 |
ベンジャミン・バトン |
ブラッド・ピット&ケイト・ブランシェット |
第4位 |
ダンテズ・ピーク |
ピアース・ブロスナン&リンダ・ハミルトン |
第5位 |
メイド・イン・マンハッタン |
ラルフ・フィネス&ジェニファー・ロペス |
第6位 |
ゴッドファーザー Part3 |
アンディ・ガルシア&ソフィア・コッポラ |
第7位 |
ミスター・アンド・ミセス・スミス |
ブラッド・ピット&アンジェリーナ・ジョリー |
第8位 |
レクイエム・フォー・ドリーム |
ジェニファー・コネリー&ジャレッド・レト |
第9位 |
上海サプライズ |
ショーン・ペン&マドンナ |
第10位 |
インクレディブル・ハルク |
エドワード・ノートン&リヴ・タイラー |
第11位 |
奥さまは魔女 |
ウィル・フェレル&ニコール・キッドマン |
第12位 |
パール・ハーバー |
ベン・アフレック&ケイト・ベッキンセール |
第13位 |
スウェプト・アウェイ |
マドンナ&アドリアーノ・ジャンニーニ |
第14位 |
I Now Pronounce You Chuck And Larry(2007) |
アダム・サンドラー&ケヴィン・ジェームズ |
第15位 |
6デイズ/7ナイツ |
アン・ヘッシュ&ハリソン・フォード |
第16位 |
ベガスの恋に勝つルール |
アシュトン・カッチャー&キャメロン・ディアス |
第17位 |
ユー・ガット・メール |
トム・ハンクス&メグ・ライアン |
第18位 |
ジーリ 恋は雨模様 |
ジェニファー・ロペス&ベン・アフレック |
第19位 |
バットマン・ビギンズ |
ケイト・ホルムス&クリスチャン・ベイル |
第20位 |
ハプニング |
マーク・ウォルバーグ&ゾーイ・デシャネル |
The 20 Worst Screen Couples |
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読書 |
銀の三角
過去銀河にあったという伝説の惑星「銀の三角」。既に滅んだはずのこの星を歌にして歌う吟遊詩人エロキュス。その歌を偶然耳にしたことで、心騒いだ中央省庁の予言者マーリーは、彼女を探しに出かける。惑星トメイにて、エロキュスから銀の三角の記憶を持つラグトーンという少年の幻を聞かされることになるのだが…
銀河系全体を揺るがす事件を描いた著者の大作SF。時間とか空間とかが行ったり来たりして、主人公もクローンを含め複数存在する為、非常に難解な内容になっている。実は30年ほど前に一度読んで、全然理解出来なかった作品なのだが、今読んでもやっぱり「すっきり分かった」というレベルにまでは至らない。でも大分色々思えることはある。
壮大な宇宙叙事詩を紐解いてみると、歌や人の想いなどの、非常に曖昧なものが歴史を形作るということを描いており、大宇宙のスケールと、個人的な感情が直結した、いわばセカイ系と呼ばれる作品の本当に走りだったのかもしれないし、これが結局「マクロス」などのアニメに与えた影響は莫大で、日本におけるSFを語る上ではやっぱり欠かすことが出来ない作品なのではないかと。 |
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03 |
映画 |
ザナドゥ(1980) |
独創性を嫌う音楽業界に、自分の個性を消されてしまうと腐る音楽家のソニー(ベック)の前に、キーラ(ニュートン=ジョン)という美しい女性が現れ、すぐに去って行った。彼女の正体を知らないまま、衝動に駆られたソニーは、彼女を追い求めて捜し回るが、そこで行き着いたのは大富豪のダニー・マクガイア(ケリー)だった。実はキーラはゼウスの娘の音楽の女神であり、地上に音楽の楽園“ザナドゥ”を作ろうとしていたのだ。女神に選ばれた二人は、心の赴くままザナドゥの建築を開始する。
『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977)および『グリース』(1978)の大ヒットによって、それまで行き場を失っていた映画ミュージカルの世界は一気に活性化した。これからの時代はノリの良いミュージカルだ!と言わんばかりにディスコ調のミュージカルや、それに沿った映画が次々に作られることになった。折しも80年代ポップスの最もよき時代であったため、楽曲は最高のものが使えることもあって、本当に活気づいていた。
その中でも本作は設定上とても話題性を持っていた。ポップス界の第一人者オリヴィア・ニュートン=ジョンが主演。しかも往年のミュージカル大スター、ジーン・ケリーとの共演!
これは大きな意味合いを持つ。50年代最もミュージカルが好まれていた時代と、80年代をつなぎ、これからのミュージカルを占おうというのだから、最も壮大なスケールの作品であった。なんせジーン・ケリーの遺作であり、最後のタップ姿が観られる作品と言うことで、それだけでも観る価値はある。
…だが、その壮大さが徒になったか。意識ばかりが先行して、前のめりにぶっ倒れたような作品になってしまった。
良く言えばおもちゃ箱をひっくり返したような、びっくり箱のような作品と言えなくもないが、実際に出たものは、とっちらかっただけの作品である。根本的にバブル時代を象徴するかのように物語が全部表層的で深みがなく、登場人物が何も考えずに衝動的に行動する奴らばっかりで、適当に善悪を設定する(音楽を愛する人は善人で、それをビジネスにする人は悪人という位置づけ)。ミュージカルシーンが不自然で、物語を適当につなぎ合わせるだけ。
出来たものの氷菓をさせてもらうと、物語をなくしてミュージカルシーンだけをつないだ方がまだましなレベル。酷い作品だった。
これを同時代で観ていたら、ノリに同調できたかも知れないが、後年になって観ると、これが本当にきつい。本当に恥ずかしくなってくる。
ミュージカルシーンは良いんだ。だから物語さえ何とかなれば、保有して繰り返し観ていたかったレベルになれたものを。 |
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読書 |
黒の双剣士 アクセル・ワールド18
加速研究会の本拠地港区へ続く道を確保する為、緑の王グリーン・グランデとの交渉に臨むネガ・ネビュラスの面々。拳を交えての正々堂々の語り合いの末、交渉は成功したが、戦力的に決め手に欠けることを痛感するハルユキだが、心当たりがあった。だがそのためには再びあの難攻不落の帝城に入らねばならなかった。
前巻ラストで突然現れた旧ネガ・ネビュラス幹部のグラファイト・エッジをキーパーソンとして描かれる話で、この人物が現時点で味方に付いたことで物語はスムーズに展開するようになった。ただ、あんまりにももの知りすぎる為、得体の知れないキャラではある。
一方、これまでずっと放っておかれたトリリード・テトラオキサイドにもやっと言及されたが、今回はほぼ停滞状態で、話があんまり進んでないのがもどかしい。 |
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01 |
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32話 |
新たに現れた仮面ライダークロノスに危機感を募らせるCRの面々。クロノス=壇政宗は衛生省から消滅した人間のデータを収めたプロトガシャットを奪い取り、それをネタに飛彩に自分を手伝うように申し出るが…
敵は仮面ライダークロノス。
ゲームマスターとして仮面ライダークロニクルに介入する壇政宗は、ゲーム内キャラの生殺与奪権を持つため、無敵の力を持つが、その野望を推し進めるためにゲームキャラとしての仮面ライダーに協力を要請している。
政宗の望みは仮面ライダークロニクルを長く世界中に遊んでもらうこと。そのためにゲームキャラも指先一つで消し去る事が出来る。だがそれは人の命をもてあそぶことになるため、永夢は絶対に許す訳にはいかなかった。一方、自分の命が消えることに怯えるパラドの姿もある。
絶対攻略不可能のクロノスだが、ある意味でゲームを超えてしまったゲンムの力を用いれば一応攻略は可能。クロノスがポーズを掛け、殺される事でゲンムはクロノスの内部で再生。内部からクロノスを押さえ込むことが可能となる。
それでポーズを防いで攻撃成功…とならなかったのがこの話の味噌。なんと飛彩が裏切ってしまった。 |
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