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30 |
読書 |
海が走るエンドロール2
65歳で美大の映像科に入学したうみ子。これまでの人生の中での常識の違いや全く分からない映像技術に戸惑いながら、それでも映像を撮り続けようとしていた。挫折を感じつつも、自分の出来る映像表現と何かを探していく。
1巻に次いで本作も面白いが、映像化あるあるの話になってしまって65歳という年齢があんまり活かされてない感じもある。 |
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8話 |
孤児院の仲間達を人質に取られ、ラクレスとの決闘裁判を余儀なくされたギラ。どちらか一方の死によって決着するという命がけの戦いに挑む事となるが、その背後では四国の王たちによる思惑も動いていた。
敵はゲロウジーム。カゲロウのBNAを持つ怪ジーム。人そっくりに擬態できる。光の屈折で姿を消すことも出来て、「どこにでもいて、どこにもいない」をモットーにしている。
ラクレスによって殺されそうになったギラだが、これまで共に戦ったことでギラを仲間として受け入れたい他の四人の王が毒を用いてギラの死を偽装しようとする。
途中でバグナラクのゲロウジームが乱入したことで勝負がおかしくなってしまって、ラクレスは毒を用いることなく、実力で決闘裁判でギラに勝利する。みんなの作戦ではラクレスは確実に毒を使うだろうと考えていたのだが、別段使わなくて済んでしまった。
ただその際、ラクレスは絶対殺せるはずのギラを敢えて崖から突き落とすだけに留めていて、ギラはそれに少し違和感を覚えていたようでもある。
<「俺は敗北を知らない」とギラは宣言していたが直後に敗北していた。
決闘裁判で、ギラは崖から落とされた。仮面ライダーシリーズではこれは生存フラグ。> |
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28 |
映画 |
鋼の錬金術師 完結編 最後の錬成(2022) |
暴食のホムンクルスグラトニー(内山信二)に飲み込まれてしまったエド(山田涼介)たちは、エドが思いついた方法により脱出に成功するのだが、現実に戻ったエドの前に現れたのは、エドとアルの父ホーエンハイムと全く同じ外見の謎の男(内野聖陽)だった。彼こそがホムンクルスたちの創造主であり、ホーエンハイムとは深い因縁を持つ男だった。その男の野望を阻止するため、ホーエンハイムとエド、アル、そして錬金術師殺しのスカー(新田真剣佑)らは、この国を覆う大いなる謎に踏み込んでいく。
2022年に前後編で投入された「鋼の錬金術師」の後編。三部作の最終章となる本作は、基本原作をトレースした作品で、原作の後半部分を丸ごと放り込んだものとなった。
原作は私も好きな作品で、特に後半の展開はかなりスピーディに、意外性の高い物語が展開していてとても楽しい作品だった。
その後半を丸ごと全部一本の映画にしようと言うのだから、なかなか壮大な作品である。特に前半である『復讐者スカー』があんまり原作を消化出来てなかったので、これから相当な長さをどう料理するかには興味があった。
そして出来たものを観て驚いたのは、本当に丸ごと全部放り込んでしまったという事だった。あれだけのストーリーをこれだけの尺に押し込むとは凄いもんだが、それが出来ただけで評価は出来る。
ただ、評価が出来るのはそこだけ。
この作品の出来の悪さは、改めては書かないが、『復讐者スカー』と全く同じ。キャラが酷すぎるという事に尽きる。あまりに酷いので肝心なストーリーが頭に入ってこないレベル。特に山田涼介は真面目に格好良い台詞を言うほどに恥ずかしくなるので、後半になるとほぼ拷問を見せられてる気分になった。漫画と同じ台詞を実写でやると本当に恥ずかしい台詞になる。もうちょっとこなれた台詞回しを観たかったな。
結果として言うなら、この上下編、やっぱり映画化してはいけなかったのでは? |
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19話 |
中立地帯で戦闘があったと報告を受けたエンタープライズ号は調査に向かったが、そこには攻撃を受けて動けなくなった輸送船があった。そこにいた生き残りコリスとコンメルは二人ともクリンゴン人だった。
「スター・トレック宇宙大作戦」では敵として登場していたクリンゴン人がこの作品では最初から連邦の一員として登場していた。そこに違和感があったが、その理由の一端が明かされる。かつて同盟関係にあったロミュランとの戦いの末に敗北を喫し、連邦に助けを求めて不可侵条約を結んだことが分かった。
ようやくウォーフの中心回。ウォーフはとても存在感があるキャラなのだが、これまで情けない役ばかりだった。本作で一気にキャラ造形が深まった感じ。ウォーフはロミュランの攻撃を受けて滅ぼされた星の出身で、そこで連邦に救われて成長した。クリンゴンの血が時として騒ぐが、基本的にはそれらを落ち着かせているとのこと。
今回登場したのはクリンゴン人の犯罪者だが、彼らの方が「宇宙大作戦」のものに近い感じ。今も独立の気概を持った者たちはいるし、戦闘民族としての誇りを持ってるので、戦いで死ぬことを名誉としているとか、潔い人種として描かれている。そんな彼らの目は地球人と共にいるウォーフは裏切り者に映る。一方彼らの生き様を目にしたウォーフは眠っていたクリンゴン人の本能が呼び覚まされていくが、クリンゴンの戦士として最も重要なのは実際の戦いではなく自分の心との戦いだと言って彼らの誘いをきっぱり断っている。
難破船調査のためにラフォージが向かっていて、その視覚をエンタープライズ号に転送しているが、見ているものがとても不思議で、ピカードも興奮していた。ラフォージによれば、あらゆる情報が視覚に入ってくるのでそれを自然と取捨選択しているのだとか。脳の訓練の賜物。
<コリン曰く、フェレンギ星人によって襲われたそうだが、フェレンギって謎の民族のはず。
クリンゴン人三人が同時に画面に出てくると凄まじい画面の濃さ。> |
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レギオン ノンスケール ソフトビニール製組立キット 復刻版 |
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26 |
読書 |
六人の嘘つき大学生
2011年。SNSを中心に一気に人気となった国内会社のスピア・リンクスが初めて新入社員の募集を行った。5000人を超える応募の中、六人が残され、最終面接が始まる。それはその六人が話し合って、最も会社に相応しい人を一人だけ選ぶというものだった。そして最終試験のグループディスカッションが始まるのだが…
どこかで凄いミステリーと紹介されたので読んでみたのだが、これは面白かった。二転三転する物語の展開も面白いのだが、何より見事な文体でぐいぐい引き込まれる。 |
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32話 |
ジャマトグランプリ決勝で戦えと迫る道長だが、創世の女神が自分の母親であることを知らされ、戦う気力を失ってしまった英寿。そんな英寿を見かねて再びやってきたジーンから創世の女神に会いに行けと助言を受ける。そのために必要なヴィジョンドライバーを手に入れるため、再び戦いに身を投じる。
敵はバッファジャマトと仮面ライダーゲイザー。
ジャマトグランプリのラストバトルとなる。
英寿はこれまで探していた母親が創世の女神であることを知らされてしまった。元々が母親に会うためにデザイアグランプリをやっていたので、もうゲームは関係なく、創世の女神に会おうとして道長の持つヴィジョンドライバーを奪って創世の女神の前に向かった。
しかしそんな英寿の前に現れたのはニラムで、ギーツからヴィジョンドライバーを奪ってこの世界から撤退しようとした。そんな二人の戦いの背後から近づいた道長は、英寿とニラムを蹴落として消滅させてしまう。
こうして前回の景和に続き、英寿までもが消滅してしまった。生き残ったのは道長だけで、「全ての仮面ライダーをぶっ潰す力」を創世の女神に願った。当然それでは話は終わらないはず。終わってしまったら、それはそれで面白いが。
<前回誕生した新生ダンクルオステウスジャマトはジャマトグランプリに参加すると言ってたけど、全く参加することなくゲームは終わってしまった。> |
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25 |
映画 |
シン・仮面ライダー(2023) |
気がつくと何者かから追われる身になってしまった本郷猛(池松壮亮)は、共に逃亡者となった女性緑川ルリ子(浜辺美波)の父緑川博士(塚本晋也)から、自分がバッタ型の改造人間にされたことを告げられる。ショッカーという組織の科学者だった緑川は、人を守るために正義漢の強い本郷を選んだという。戸惑うばかりの本郷だったが、緑川の裏切りを知られたショッカーからの敵が次々と現れ襲われる。ルリ子を守りつつそれを撃退するために自らも変身して戦っていく。
庵野秀明監督による、これまでの特撮やアニメーションのリブート作品、いわゆるシンシリーズもこれまでのゴジラ、エヴァ、ウルトラマンを経て四作目を迎えた。それぞれ特徴があるが、『シン・ゴジラ』および『シン・ウルトラマン』の二作品に関しては、明らかに原点回帰を目しておおり、様々に受け取られる「シン」とは「真」の意味が強い感じだった。
ただ「仮面ライダー」についてはおそらくこの二作品とは違ったアプローチが取られるだろう事は推測されていた。理由は、ゴジラであれウルトラマンであれ、巨大な生物が出てくるために日本全体を巻き込んだ巨大なものになるから。それに対して仮面ライダーは等身大ということもあって、そんなに大きくはならないことは推測できた。
事前で推測されたのは、同じ特撮でも『シン・ゴジラ』や『シン・ウルトラマン』とは異なる話になることくらい。先の二作品は人知を超える偉大な存在をモティーフにするが、仮面ライダーの場合は人間によって作られたものであり、人類のコントロール出来る範囲のものである事、そして等身大の戦いがメインとなるので、これまでとは異なり、アクションは生々しくなること。そして、仮面ライダーの原点回帰という事は、かなりの怪奇路線に走ることくらい。
あと、ネットでの評価は極端に分かれているといこと。概ね映画好きな人たちは酷評し、特撮好きな人たちは大絶賛してる。
その程度の事前知識だけで、後はネタバレ回避しつつ劇場へと向かう。映画好きで特撮好きな私はどういう評価になるのやら。ワクワクしながらどこか怖い気もしながら拝見。
しかしこれは思った以上に難物の作品だった。
はっきり言ってしまえば、この作品全く面白くない。物語に一貫性がないし、場当たり的な展開と、CGの使い方も良くない。そもそもこんなの出して恥ずかしくないのか?という思いがある。
頭ではそれ分かっているし、実際面白くないと思いつつ観ていたのだが、ところが頭の中では歓喜の声を上げていた。間違いなくこれは初期の「仮面ライダー」をリアルタイムで観ているか、あるいは昭和特撮の世界にはまった人間なら分かる。間違いなくその魂を受け継いだものだと分かるから。
昭和特撮と言うより、その舞台となった1970年代の空気感を感じさせてくれるものだ。
ここで私が言えるのは、この作品が、庵野秀明という監督の想いを徹底的に受けて作られた作品だと言うこと。
庵野秀明というと、仮面ライダーではなくウルトラマンの方に思い入れが強いかと思ったのだが、仮面ライダーに対しても相当な想いがあったことが窺える。本作はその思いをダイレクトに表現した作品だったと言える。
庵野監督が表現したかったこと、そしてその狙いとは、「仮面ライダー」そのものをもう一度作ろうとしたことだった。既にシリーズも長く、テレビシリーズだけで40作にも上ろうという膨大な数の作品があるが、そのどれでもなく、一作目だけに焦点を絞り、その再構築を考えた。これはかつて原点回帰を目指した『仮面ライダー THE FIRST』(2005)で既に一度挑戦しているが、それとは違ったアプローチで考えている。
具体的に『FIRST』と本作の違いは、『FIRST』が現代に合わせてデザインしていたのに対し、本作は舞台そのものを1972年の雰囲気に持って行ってしまったことだった。同じ原点回帰を目しても、『FIRST』がリファインだったのに対して、本作はリメイクの意味合いが強い。
まさしくこの作品、本当に1972年っぽさがある。なんせほとんど作品が田舎の自然の中とアジトの建物の中ばかりで一切の生活臭を抜かしてる。ひたすら会話して戦うだけの作品である。一切バランストか考えてない。ストイックなまでに会話と戦いに純化したものになってる。
しかもその会話というのが大部分「戦う意味」についてのみで、ショッカーが何をしたいのかとか、彼らの活動の結果、日本はどうなったのかも描かれない。ただひたすら本郷猛が戦う理由についてのみ語るだけである。
なんでここまで変な作品にした?
しかし、その変なことが、逆にストイックなものに感じられてしまう。
そもそも「仮面ライダー」は東映のはみ出しプロデューサーがスト破りのために作った作品という背景がある。当時東映に限らず映画界は学生闘争の煽りを受けて激動していた。特に東映は組合の力が強く、上層部に意見を通すためにストライキが行われ、スタジオに籠もって撮影できないようにしていたが、それを逆にチャンスとして、普通では出来ない企画を無理矢理通して倉庫みたいな所を無理矢理スタジオに変えて、更に組合にも入らないはみ出し組をスタッフに組み込んで(東映だけでは足りず、大映のスタッフまで取り込んだそうだ)作った作品である。
そのため徹底的にコストを掛けないように作られたし、場合によってはスタントも役者本人が行ったりした。ストーリーもごくごく単純なものを繰り返すだけで、可能な限り楽な作り方をしているのが特徴だった。「ウルトラマン」とはアプローチが全く異なるのだ。
庵野秀明はリアルタイムで「仮面ライダー」を観ていたが、おそらく卓越したその目は、当時からこの金のつかわなさといい加減さを見抜いていたのだろう。
しかしそのいい加減さをプラスに捉え、誰もやろうと考えない、その部分を再現しようとしたのが本作となる。
だから作り方も70年代っぽくなっていて、長くダラダラ何度も何度もアクションをやらせ、その中で思いもかけないようなショットをつなげ、それをリアリティとして見せる。役者を追い込んで本気での怒りを引き出すと言った方法で、本当に70年代の東映の映画やテレビでやってた手法を用いていたようだ。
その結果、大変生々しい作品が出来上がった。近年のスタイリッシュとは真逆の泥臭さと、偶然に撮影できたものをつなげて、変な演出になってしまうものを放り出した。
これこそ庵野秀明の狙いで、70年代の魂を50年後の今再現しようと考えた結果、このようなものが出来てしまったという事だろう。
このタイトルに付けられた「シン」は「芯」と当て字を入れて良いかもしれない。
それに、うがち過ぎかも知れないが、もう一つ重要な点がある。
本作は庵野監督が思い描く映画作り環境というものを体現した作品なのかも知れない。
映画作りの現場は今は大変スマートになってる。できるだけ金を掛けないように、役者の負担を掛けないようにした結果、最小限度の苦労でそこそこの画作りが出来るようにシステム化されているのだが、そんな現場では、これまで見たような画しか作れない。
映画作りってのはそう言うもんじゃないだろう。もっと産みの苦しみを感じ、限界まで役者を酷使し、無駄な演出に力を込めろ。監督が思い描く画作り以上のものを偶然に生み出せ。
無茶苦茶だが、その無茶苦茶さあってこその映画作りだと考えていたのでは?
はっきり言って本作は無駄が多くショットもゴツゴツしすぎ。しかしそれが映画の原体験を刺激するからこそ、本作は心に刺さる。
本作は一般受けはしない。しかし刺さる人には必ず刺さる。その意味で明らかなカルト作品の誕生となった。 |
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6話 |
五流護六に聖なる石が二つ揃ったことで、三神官がそれぞれ次期創世王になろうとするのだが、石に拒絶されてしまい、誰も次期創世王とはなれなかった。その聖なる石を取り戻すべく、信彦の配下の怪人達は五流護六への襲撃を行う。それに乗じて光太郎も五流護六に捕らわれている葵を救いにくる。
敵はダロムとビシュム。
前回で聖なる石が二つとも五流護六のものとなったが、三神官の力を持ってしても誰も創世王にはなれなかった。次期創世王となれるのはBLACKSUNとSHADOWMOONしかいないと結論づけられた。そこでダロムは光太郎に創世王となってくれるよう頭を下げる。
本来怪人を守るために権力と結んだダロムの苦悩も描かれる。怪人を守ることが、いつの間にか人身御供として政府に怪人を差し出すようになってしまい、それを止める事が出来なくなっている。五流護六の変質を一番知っているのがダロム。しかし光太郎からそれを指摘されても、自分は変わってないと言い張るダロムの姿は、まさに政治家そのものだ。
一方、カマキリ怪人にされてしまった葵は、光太郎の導きで脱出し、友だちの小松の元へと向かうが、これまでのような対話とデモではなく、より過激に差別主義者を排除する方向へと向かっていく。
<葵が変身するカマキリ怪人だが、腕の描写がどうも不自然で邪魔っ気だ。同じくビシュムの羽根も不自然。もう少し描写を丁寧にして欲しいもんだ。> |
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サッシャ・ギトリ 増補新版: 都市・演劇・映画(2023) |
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23 |
読書 |
パタリロ!32
せこい金儲けのために世界中を飛び回るパタリロと、それに付き合わされる面々の顛末を描く短編集。一編、パタリロがほとんど出てこないデュモンとソ連スパイのミハイルの丁々発止のやりとりの話もあり。
今回はほとんど金にまつわる話ばかり。だんだん登場人物が固定されつつあり、タマネギ部隊の中でも特別な44号が良く出るようになってきた。あとはいつものメンバー。 |
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7話 |
ゴッドスコーピオンの攻撃で動かなくなってしまったシュゴッドたち。ヤンマはそれをシステム障害と考え、ヒメノはゴッドスコーピオンの毒だと主張したことで対立し、治療は進まなかった。
敵はグンダジーム。グンタイアリのBNAを持つ怪ジーム。サナギムを軍隊のように統率してゴッドカブトを回収しようとした。
前回登場したゴッドスコーピオンによってキングオージャーはバラバラになって、更にそれぞれのシュゴッドが動かなくなってしまった。これに対して、ラクレスはギラのせいだと言い、ヤンマはシステム障害、ヒメノはゴッドスコーピオンの毒だと言う。それぞれの主張がバッティングして、シュゴッドの治療がなかなか進まない。ただいつの間にかこの時だけの即席チームになって、シュゴッドの治療を共同で行う事になっていった。
それで今回はヤンマのンコソパ国とヒメノのイシャバーナの対立というか、競争がメインの話で、その中でゴッドスコーピオンこそが自分の両親を殺したと考えるヒメノがゴッドスコーピオンの真実を垣間見るという話になってる。またヤンマがギラを仲間と認めた。
ヒメノと和解したゴッドスコーピオンはキングオージャーの左腕に装着され、強力な武器となった。
今回ほとんど出番がなく全く役に立ってないギラだが、次回にラクレスとの決闘が待ってる。
<ヒメノは子どもの頃から縦ロールの髪型だった。子どもの頃はこれ出来ないんだよな。
ヒメノがゴッドスコーピオンに訪ねたのは、「人類に仇なすものか?」だった。上から目線だが、この世界では人類よりもシュゴッドの方が偉いんじゃなかったっけ?> |
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21 |
映画 |
牛首村(2021) |
東京の女子高生雨宮奏音は、ある日同級生の香月蓮から、奏音にそっくりな詩音という少女が行方不明になる心霊動画を見せられた。自分にそっくりな詩音の姿に心騒いだ奏音は蓮に頼み込んで同行してもらい、その動画が撮られた富山県の坪野鉱泉へ向かう。そこで色々聞き込んだ結果、詩音の家を訪ねたところ、そこには奏音の父親がいた。実は奏音と詩音は双子の姉妹だったことを告げられる。実はこの土地では双子は不吉とされ、7歳になると片方を守り神である牛頭の神に生け贄として捧げる風習があるというのだ。導かれるように生け贄の捧げられる洞窟へと向かう奏音。
ネットミームとなった因習深い村をテーマに清水崇監督が映画にするシリーズもこれで三作目となる。
一作目の『犬鳴村』はなかなか上手いこと作ったと思っていたが、二作目となる『樹海村』はほぼ同じような話だったし、モンスターの登場で怪談話と言うよりも特撮のような物語になってしまっていた。更に三作目となる本作は、もはや物語に説得力を持たせるのを放棄し、雰囲気だけで作ってしまった作品になってしまった。
偶然が偶然を呼ぶご都合主義の物語展開。奏音が時折突拍子も無いことをして物語を引っ張るのだが、何故こんなことを考えたのか全く説得力を持たない。話もあっちこっち飛んでで、物語を把握するだけで一苦労。主人公が基本無表情なのに、怖い目に遭った途端怖がるという表情の変化もおかしく、概ねにおいて全く面白くない。
そもそも矢継ぎ早に新しい作品を投入するのでは無く、もっと物語を練った上で上映して欲しいもんだ。
主人公役のKoki,(木村拓哉と工藤静香の娘)はそこそこ演技が出来てたのが救いだが、こんな作品に使うべきじゃなかった気はする。
ところでこの「牛の首」という話は昔小松左京の短編で読んだことがあって、それが元ネタだと思っていたのだが、実は昔からあった小咄の一つだそうだ。
「牛の首という話がある。あまりに恐ろしい話で、聞いた人は怖さのあまりにみんな死んでしまった。そのため誰もこの話が分からない」というもの。怪談話ではなく笑い話である。 |
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18話 |
ウェスリーはエンタープライズ号の航海途中にあるレルバ7号星で行われる宇宙艦隊アカデミーの入学試験を受けることとなった。レルバ7号星に寄港中のエンタープライズ号には監察官が入り艦内に不正が行われている可能性を示唆され、監察官としてレミック少佐が派遣されるが、何かれなく嗅ぎ回るため、乗組員達は不満を募らせる。
ウェスリーとピカード二人に対する試験が描かれる。ウェスリーの方は宇宙艦隊アカデミーの入学試験を受けるので分かりやすい。最高峰の天才達四人の内一人だけしか入学できない試験に挑む。最後のサイコテストで命に関わる状況に陥った時に決断がくだせるかというもので、後になってこの状況はウェスリーの父親の死と同じだったことが分かった。
一方艦内に不快な言動をする人物を迎え入れたことで部下から不信感をもたれてしまうピカード。実はこれこそがピカードに対しての試験であり、これで部下に真相を隠したまま信頼を保てるかの試験。それは極秘のアカデミー長官昇進試験だった。結果としてピカードは試験には合格したが、本人に提督になる気は全く無しで、エンタープライズ号艦長を続ける事となる。
不快な人物によって引っかき回されるエンタープライズ号にはちょっとストレスがたまるが、実際の社会生活ではこう言うのは普通。ただこれまでのストーリーのいくつかでピカードの判断ミスがあったことを指摘しているので、脚本家は相当読み込んでいることが分かる。
ウェスリーの試験で異文化や異星人に対する対応も顧慮に入れている。種族によって臨機応変に対応を変えねばならないという試験だが、この辺はスタートレックらしさで良いね。
<宇宙艦隊アカデミーは相当狭い門だが、連峰にも鳴り響くほどの天才達を落とすのはおかしいのでは?だいたい消耗率が高すぎるのだから、アカデミー入学は相当な数がいないといけないはず。
ピカードの判断ミスを責めるレミックだが、あの程度で叱られるんだったらこれがカーク船長だったら一発で試験に落ちるよな。> |
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ウルトラマンデッカー最終章 旅立ちの彼方へ… |
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新派映画の系譜学──クロスメディアとしての〈新派〉(2023) |
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読書 |
乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった9
王国から、魔法の素質のある子どもが次々に誘拐されるという事件が起こった。男爵令嬢が誘拐された事を受け、魔法省が調査に乗り出すこととなり、上司のララから指名を受け、アリスとソラ、そしてカタリナが港町へ派遣された。身分を隠し、料理屋で働くことになったが、その休み時間に猫好きの青年と出会うカタリナ。
話はいつも通り。安定してて意外性もないが、それがむしろ本作を読む理由。 |
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31話 |
ジャマトグランプリの決勝戦は桜井景和のいる町が舞台で、そこで現れた巨大な女神の命じるままに色の付いた円に足を踏み入れ、そこで外れを引くと上空から落下してしまうと言うもの。英寿と景和は落下する人を助けることだけで手一杯だったが、そこに道長のバッファも現れ邪魔をする。
敵はバッファジャマト。
ジャマトグランプリの決勝戦。今回のゲームは一般人を巻き込んだものとなり、その命を救うためにギーツとタイクーンが戦うという内容。
創世の女神の真実の一端が明かされた。デザイアグランプリの優勝者が何でも願いが叶うのは、創世の女神が倒れた犠牲者の運を取り込んで、一人のためにその運を使うから。つまり一人の願いを叶えるために多くの命を使用する。更に英寿が創世の女神が自分の母が変化した姿であることを知ってしまった。話が一気に重くなった感がある。
かつてデザイアグランプリに巻き込まれて景和の両親も亡くなったが、それはその時の優勝者の糧となってしまったという事。これまで何度も優勝経験のある英寿に向かって景和は怒りを向けていた。
そんな怒りに捕らわれていたことと、目の前で助けた人物が他の人を蹴落とす姿を見せられた景和のタイクーンも道長のバッファに穴に落とされて消滅してしまった。主人公が情けなさ過ぎる。
一方、ダンクルオステウスジャマトに執着するアルキメデルは自分自身を食わせてパワーアップを図った。その結果、アルキメデルの姿を取ったジャマトが誕生し、自分が理想の世界を作ると宣言していた。
<穴に落ちた女の子は片肘ついて踏ん張ってるが、角度的にそれでは踏ん張れない。> |
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18 |
映画 |
失敗作での名演 |
ロビン・フッド(1991) |
アラン・リックマン |
ストリートファイター |
ラウル・ジュリア |
エクスペンダブルズ |
ミッキー・ローク |
ラブ・アクチュアリー |
エマ・トンプソン |
バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 |
ジェレミー・アイアンズ |
スノーホワイト |
シャーリーズ・セロン |
パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー |
フィリップ・シーモア・ホフマン |
「トワイライト」シリーズ |
アナ・ケンドリック |
ロック・オブ・エイジズ |
トム・クルーズ |
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読書 |
手塚治虫アシスタントの食卓2
漫画家としてデビューはしたものの、漫画誌掲載は僅かで、なかなかアシスタント生活から抜けられない著者が、80年代から手塚治虫の死の時まで、そこでの活動と、思い出深い食べ物を綴ったエッセイ的漫画。
前作が70年代で、本作は80年代へと移行している。その間にも後輩アシスタントにも漫画家として先を行かれ、色々焦ったり、その中で結婚をしたり、手塚治虫の苦労を少し感じたりと色んな感情が込められている作品になっていた。一巻時点は知らなかったが、著者って石坂啓の元旦那だったのね。 |
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太陽の王子 ホルスの大冒険と東映長編まんが映画の世界(2023) |
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エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(2022) |
アメリカ在住の、コインランドリーを経営しているエヴリン(ヨー)。しかし国税局のディアドラ(カーティス)からコインランドリーの経営について厳しい質問を受け、その説明のために領収書など書類を全て用意しなければならなかった。更に折り合いが悪い娘のジョイ(スー)が実家に帰ってきて感情はいっぱいいっぱい。そんな時、夫のウェイモンド(クァン)に乗り移った"別の宇宙の夫"から全宇宙の命運を託されてしまう。その夫によれば、別の宇宙にいるジョブ・トゥパキを倒せと指令されるのだが、なんとそれは別の宇宙にいる娘のジョイだった。
2022年のアカデミー賞はアジア勢が席巻し、本当の意味で国際的な映画賞になったことを思わされたが、見事作品賞でオスカーを取ったのが本作だった。本作はオスカーでは二作目となるSF作品の受賞作ともなり、色んな意味で珍しい作品となった。
そんな作品をたまたまオスカーの授賞式の翌日に観ることが出来たのはラッキー。
あらかじめこの作品はマルチバースがテーマになり、様々な次元を旅しつつ、真実に近づくことと、結局は家族喧嘩である事だけはあらかじめ分かっていた。マルチバースはマーベル作品やウルトラマンなどでもう有名になっているし概念も知ってる。そんな状態で観に行った。
観た素直な感想を言えば、とにかく画面がやかましい。
同じキャラが違う役割で登場し、時に味方であったり、時に敵であったり、全く関係のない存在だったり。他人だった人間が恋人になってる世界もある。そんな世界に行ったり、時に別世界の人間が現実世界の人間に憑依したりするので、話はワチャクチャ。同じキャラが違う行動を取ったりすることが多いため、概ね話はまとまっていない。
ただ、その混乱は混乱のままで良いのだろう。大切なのは、家族の葛藤を描くことにあったのだから。
アメリカ在住の外国人は多くの困難を抱えつつも、自分たちの生活を作り上げていく。これはこれまで多くの作品で作られていたが、近年でも韓国人家族を描いた『ミナリ』(2020)があるし、短編アニメでオスカーを取った『Bao』(2018)もある。それらで描かれる移民の姿は家族を中心とした物語になる。
外国から来て、そこで商売を成り立たせるのは並々ならぬ苦労があるし、周囲の偏見もある。その中で生きていくには、負けていられないという強い意志が必要で、まさにここに描かれるエヴリンは、その強い外国人を体現した人物である。最低限法にだけは従わないといけないため、そこはしおらしく。しかしそれ以外には全方位に向かって攻撃するくらいでないと商売もやっていけない。そんな人たちは、家族という共同体でつながっていないとやっていけない。
これを考えるに、彼女は出来れば近くにいてほしくはないタイプの女性で、その攻撃対象は家族にまで向かっていて、それに家族は疲弊している。夫のウェイモンドは真剣に離婚を考えているし、娘のジョイは母に対して何の期待もしていない。心がバラバラで消耗しつつもほぼ義務で辛うじて家族関係を保っていた。
そんな中で始まった家族の危機。その危機を前に家族わだかまりを越えては団結し、互いを理解することで和解していく。これだけだと実に分かりやすいファミリードラマである。
マルチバースとかは演出の一部に過ぎず、重要なのは家族の絆の再生ということになる。心バラバラであった家族がお互いを見ることで、受け入れていけるようになる。まさしくファミリーの物語という小さな結論に持って行った。一見壮大な物語だが、事実は家族喧嘩と和解の話となっているわけだ。
…しかしそう考えると、この物語は、いわゆるセカイ系小説の系譜になるのでは?
セカイ系というのはふわっとした小説ジャンルだが、世界の危機とかを前提にしつつ、その中心となっている人物が人間関係の中だけで世界と対峙するというもの。端的に言えば、主人公が友だちと和解すれば世界は救われるという、そういうジャンルで、2000年前後に日本のライトノベルでの主流だった。日本では既に廃れたジャンルだと思っていたのだが、海外の方で発展していて、ヴィルヌーヴ監督の『メッセージ』(2016)の原作、テッド・チャンによる「あなたの人生の物語」や、リウ・ツーチンによる「三体」など、世界的にはちゃんと発展している。本作も確かにその系譜に乗っかっている。かつて日本で流行っていたものが、今世界に認められているという事を考えるだけでも結構嬉しく感じるものである。 |
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6話 |
自身がシュゴッダムの王子であることを知らされたギラは真相を確かめるため、シュゴッダム王ラクレスの元を訪れる。だがその前にバグナラクがシュゴッダムに巨大な繭を設置した。これが羽化すれば世界は滅ぶことが分かり、五王国は緊急会議を開催するが、ラクレスは突然同盟を破棄し、キングオージャーを占有すると言い放つ。
敵は巨大繭。羽化すればチキュウ全てを破壊する怪ジームを生み出すという存在だが、ラクレスの操るキングオージャーによって破壊された。
上がり下がりが極端な話で、ギラは王子として大歓声で迎えられた。そして前回奪われたゴッカン国の秘宝を取り戻してゴッドスコーピオンを呼び出したことでますます評価があがるのだが、だがそのゴッドスコーピオンがラクレスの操るキングオージャーに攻撃をかけたことでシュゴッダムの敵にされてしまった。
結果として五王国全体の危機に対して勝手な振る舞いをしたラクレスが一人で収めてしまったため、シュゴッダムの国民はみんなラクレスを支持するという話になる。
ギラは他の誰も持たないシュゴッドをコントロールする力を持っているため、みんながその力を欲しがっている。それはバグナラクも同じで、ギラを取り込めばチキュウは一気に蹂躙されてしまうらしい。前回ラクレスがギラを処刑しようとしたのはそれが理由だろう。
今回ラクレスはゴッドクワガタなしでキングオージャーを呼び出したが、その核となったのは黄色いクワガタ型のメカだった。これが何を意味するのかは不明。
<ヤンマはとにかくヤンキー語りが好きだ。問題は全く似合ってないという部分。
ヤンマはラクレスにはシュゴッドを動かせないと言っていたが、前々回ゴッドカブトを動かしてたよね?
巨大繭から孵った怪ジームは世界全てを滅ぼすと伝説にあるそうだが、この作品ではその伝説が当たったためしがないんだが、よくみんな信じてるな。> |
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14 |
読書 |
転生したらスライムだった件7
魔王となった“俺”リムルはディアブロにファルムス王国のことを任せ、自らテンペストの整備を再開しようとしていた。しかしファルムス王国に悪魔が入り込んでいることを察知した西方聖教会は、ファルムスとテンペストの両国に向けての攻略を開始する。テンペストに向かう軍隊の指揮を執るのは、かつてリムルを屈服させたヒナタ・サカグチだった。
新展開となり、これからテンペストと聖王国とのやりとりがしばらく続くのかと思いきや、たったこの一巻で和解にまで至ってしまった。その分かなり強引なストーリー運びをしてたり、キャラが一気に増えたりと収拾が付かない部分もあるが。せめてもう一巻使うべきではなかったかな。 |
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16話 |
イプシロン・マイノス星系で探索任務に当たっていたエンタープライズ号は、伝説の惑星アルデアを発見する。電磁スクリーンで隠されたその星は、老いた自分たちの星の希望として子どもを欲していたため、エンタープライズ号を招く。高度な科学力を駆使し、エンタープライズ号の中にいる子ども達を七人奪い去れてしまう。
高度な科学力を持つ孤高の存在とのコンタクト。この新スタートレックではこの手の話が結構多く、本作でも何話目かと言った感じ。
アルデアは子どもが生まれなくなってしまったため、子どもを送り込んで欲しいというのが彼らの望みだが、それを拒否したため、交渉は決裂。無理矢理転送装置を使ってエンタープライズ号内の子どもを拉致してしまう。
さらった子どもの中にはウェスリーもいたため、色々機転を利かせてアルデア人の裏を欠くことが出来た。簡単に言えば自分の命を使って脅迫するというものだが。おそらくエンタープライズ号の中では一番優秀なクルーだろう。どんなに文明が進んでも、重要なのは機転というのはこのシリーズの特徴でもある。
文明が進んだ星の場合、その子孫は何も努力しなくても高度な科学力を手に入れることが出来る。そのためコンピューター関連の知識を何も持たなくなってしまう。これは結構皮肉な話でもある。結局コンピューターになんでも依存したため、コンピューターに対処できないことに対処出来なくなってしまうという話。
オゾン層の破壊によって遺伝子が汚染されるという時事ネタも組み込まれている。
アルデア人の要求に対して、ライカーは子どもを渡すことは絶対に出来ないと言っていたが、もう少し時間を使えば、大変優秀でアルデアに行きたいという子はたくさん出ると思うぞ。
スタートレックシリーズの最大特徴は転送装置にあるが、更に高度な転送装置が存在する時、対処が出来ないというのが面白い。最終的にアルデアも連邦と協力することになったため、転送装置はますます発達していくことだろう。
<ハリーという子は小学生くらいだが、既に微積分を勉強している。この時代の子どもの知能は凄いものだ。
さらった子どもは七人だけ。これだけでは文明をつなぐには少なすぎるな。> |
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13 |
映画 |
鍛冶屋(1896) |
鍛冶屋の作業している男を淡々としたタッチで描いた作品。
タイトルでは鍛冶屋の作業を描いた作品だが、本作はドキュメンタリーではなく、鍛冶屋の真似をしている人を描いたものとなる。
それは一見するだけで分かる。なんせ全然汚れてないワイシャツとネクタイまで締めた人がただハンマーを振ってるだけだから。
リュミエールはリアルさではなく、一瞬で観られる短い作品を作ることを目的としていた。結局本作は見世物として作られたものと考えるのが正しく、それがこの当時の映画のあり方だったことが分かる。 |
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30話 |
自分が女神によって作られた存在である事を知らされ、ショックを受ける祢音。そんな祢音にかける言葉を失ったキューンの前に現れたのは英寿だった。一方ベロバに愛想をつかした道長はゲームを降りてしまう。三回戦は刻々と迫る中、祢音とキューンの取った行動は。
敵はダンクルオステウスジャマト。
自分が作られた存在である事を知ってしまった祢音が、それでも戦いを選択するという話で、かなり重めな話となった。
今回の中心となったのは祢音とキューン。この二人の関係は恋愛漫画みたいだったが、ちゃんと見せ場を抑えており、キューンが祢音に対して自分も又作られた存在である事を告白しつつ、自らの生の声で祢音を支えることを宣言し、その言葉に押されて祢音も生きる勇気を取り戻す。陰ながら英寿もサポートしてジャマトグランプリを勝利に導くまでをしっかり描いた。
一方、ベロバのやり方に反発する道長は、今回のゲームからは身を引いて勝手にやらせていたが、卑怯な方法に嫌気がさしてベロバから離れようとした。しかしそのベロバは道長に、ヴィジョンドライバーのビジョンを見せ、英寿の母親こそが実は創世の女神であることを明かしたことで、英寿に対して優位に立てた確信を得ている。
キューンの持ってきたブーストバックルによってナーゴがビートブーストフォームに変身した。
<結局存在感を全く出せなかった景和。変身さえしなかった。
道長はデザイアグランプリを潰すことを目的としているのだが、それってこの世界そのものを壊すってことなんだけど、それには目を瞑ってるのか?> |
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10 |
読書 |
BEASTARS2
暗闇の中、本能のまま兎を襲いかけてしまったレゴシは自己嫌悪に陥っていたが、演劇部の定期公演は滞りなく進んでおり、スターのアカジカのルイは道具係だったレゴシに目を付け、無理矢理舞台に引きずり出す。そんな中、舞台で使う花を借りに園芸部を訪れたレゴシは、自分が襲いかけたドワーフラビットのハルと再会する。
誰も傷つけないように優しく振る舞いつつ、本能に抗えない灰色狼のレゴシ。これを思春期の衝動に捉えると、この作品はとても身近で怖いものになっていく。自分自身が分からない者だらけの中で自分を見つけようとする青年達の讃歌であると同時に呪いまで描く感じで、とんでもなく面白い。 |
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5話 |
光太郎の元から葵が姿を消した。そこに現れた信彦から、葵の母莉乃の居場所が分かり、そこに向かっていると聞かされ、さらにそこは光太郎と信彦にキングストーンが埋め込まれた場所だと知らされる。二人でそこに向かったところ、そこにはビルゲニアによって怪人にされそうになっている葵の姿だった。
敵はカマキリ怪人。創世王のエキスを注入された葵が変身させられた怪人。そしてビルゲニア。ブラックサンの怒りの攻撃で腕を切り落とされた。
これまで関わりを持たなかったビルゲニアとの戦いが展開する。1972年の描写では、ビルゲニアは、三神官によって変質してしまった五流護六から創世王を保護するために光太郎と信彦と共に山中に籠もるが、光太郎が創世王を殺そうとしていることを知って堂波と手を組んだ。五流護六とは一度袂を分かったはずが、その後五流護六とは違った形で堂波首相の私兵として働くようになった。
ただ心から堂波にしたがっているわけではなく、独自の活動も行っていた。創世王のエキスを使って人間を怪人化させることくらいだったようだが、その活動を通して聖なる石を自分のものにしようとしていた。罠を張って葵をおびき寄せ、聖なる石を奪ことに成功してる。それらも全て堂波の手のひらの上だったようだが。
光太郎と信彦が持っていた聖なる石がどうなったかというと、1972年時点で二人はそれを体から取りだして手元に持っていたが、それを五流護六の同志新城ゆかりに渡している。その内の一つがどういう理由か葵の手元にあった。
葵が怪人化させられたことで激しい怒りを覚えた光太郎は、自らの肉体をパワーアップさせ、これまでのバッタ怪人からもう一歩進めて仮面ライダーBLACKSUNへと進化する。
<光太郎の家というかトレーラーハウスで寝泊まりしている葵がいなくなったのを全く気づかず、あまつさえ遠く離れた場所に行くことも知らなかったという光太郎。感知能力弱すぎだろ。もうちょっと説得力持たせろよ。> |
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熊井啓(フィルムメーカーズ23)(2023) |
<A> |
<楽> |
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08 |
映画 |
ベネデッタ(2021) |
17世紀。ヨーロッパ中にペストが蔓延し始めた時代。イタリアトスカーナ地方にあるペシアの町にベネデッタという一人の少女が女子修道院に入った。彼女は修道院の戒律の中で敬虔な修道女として成人した。ある日修道院に逃げ込んできた若い女性バルトロメアの教育係となったが、彼女から求愛を受け、それを受け入れてしまった。二人の秘密の関係は続いたが、ある日、祈りの中でベネデッタの肉体には聖痕が現れる。
最近はすっかり寡作になってしまったが、前作『エル ELLE』で、まだまだ枯れない人だと思わされたヴァーホーヴェン監督だが、又々やってくれた。もう80歳を超えてこんな若々しい作品作れることに驚きである。
本作の舞台は女子修道院で、敬虔な尼さんが主役と言うことで、一見お堅い作品にも思えるのだが、内容はとにかく凄い。
どんなに清楚な人間でも出すものは出すし、音も立てる。自分のために人も騙すし、快楽を知ってしまうとそれにのめり込む。
しかしそれで決して堕落したとかそう言う事ではなく、敬虔さをちゃんと持ったまま、それを肯定していく。人間って強いなあと、逆に感心させるような内容になっていた。
本作はベネデッタに浮き出た聖痕(聖痕って、『THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に』(1998)で出ていたな)が本物かどうかで大揺れになるのだが、最後までその真相は分からないまま。実を言えば、本物であっても偽物であっても物語に違いはない。重要なのは、自分の身に起きた出来事を、自分の生きている空間で最大限生かそうとする人間の姿の滑稽さと逞しさなのだから。それが描けている以上、聖痕は付加的なものとなる。その逆転も面白い。
人というのは変わらないし、人として生きるしかない。だから人が出来ることは、自分で枠を作って、その枠の中で最大限自由に振る舞うことである。人によってその枠の大きさは変わる。修道院だと当然大分枠は小さくなるが、それでもその中で、時に逸脱をしても又戻れるようなものを作り上げ、その中で自由に振る舞う。それはこれまでの歴史の中、誰もが行ってきたことで、それはどのような立場であっても変わりはない。生きる事に強い制限が掛けられていても、かなりの自由が認められていても、それらは関係なく、その枠の中でどれだけ自由に生きられるかが問題なのだし、ベネデッタは、まさしくそれを行った人物だった。
前に日本の修道女の渡辺和子が「置かれた場所で咲きなさい」と言っていたが、ちょっと意味は違えど、本作はそれを実践した女性を描いた作品でもあるのだ。
本当に人間そのものを描いていて、どうしようも無い人間が精一杯好き放題に生きてる。これを観るだけでもとてもハッピーな気分にさせられる。
とってもヴァーホーヴェンらしく、そしてこう言う作品を観たかったと思わせてくれるところが流石だった。なんとも本当に若々しい作品だった。
あと、もう大分高齢になったシャーロット・ランプリングが生々しい演技を見せており、そこも凄い迫力だったことは付記しておこう。 |
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5話 |
カグラギの罠にはまり、ゴッカン国の王様兼最高裁判長であるリタに捕まり、国家反逆罪に問われ、ゴッカン国の牢獄に閉じ込められてしまう。公平な裁判を行うため、リタはギラの行動を様々な国で聞き込むことにした。
敵はジゴクジーム。アリジゴクのBNAを備えた怪ジーム。世界各地に穴を開け、落とし穴にはめる他、両手のドリルを突き刺して攻撃する。
五人目の戦士パピヨンオージャのリタが登場。チキュウ全体の裁判所の裁判長でもあって、ラクレスの要請でギラの裁判を行う。
ギラに対してリタの下した判断は、なんと無罪。実はギラはシュゴッダムの王ラクレスの生き別れの弟だったことが発覚したため、これまでの行いは王として正当な行いだったとされた。しかもギラの記憶はないが、それらは全てラクレスは承知の上だったらしい。色々複雑なお家事情があるっぽい。
今回登場したリタは氷のように冷たい存在だが、自室に帰るとぬいぐるみのもっふんを抱きしめて変な声色で会話をしてるとか、テンパると奇声を発したりとかかなり変な性格をしてるのが特徴で、かなり極端なキャラに描かれている。これまで出てきた五人全員個性がありありのキャラになってる。
今回からついに全員が変身して戦っている。ただ個性がありすぎるため巨大戦では全く息が合わず、敵を倒すのもギリギリだった。
味方の方に個性がありすぎて敵があまりに存在感がなさ過ぎなのが難点。その背後でこっそりとゴッカン国の城から秘宝を奪っていた。全く個性が出てこないのが逆に凄い。
<ラクレスが会話する時、思いっきり反り返って横を見ながら喋ってる。こう言うのをアニメではシャフ度と言う。> |
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06 |
読書 |
木乃伊
ペルシアがエジプトに侵入した際、パリスカスという武将がこの光景はどこかで見たことがあるはずと思い始める。やがて王族の墓へと入り込むと、その感覚はますます強くなっていく。
ファンタジックな転生物語。転生先が敵の武将であるという皮肉が実に著者らしい。 |
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16話 |
イプシロン・マイノス星系で探索任務に当たっていたエンタープライズ号は、伝説の惑星アルデアを発見する。電磁スクリーンで隠されたその星は、老いた自分たちの星の希望として子どもを欲していたため、エンタープライズ号を招く。高度な科学力を駆使し、エンタープライズ号の中にいる子ども達を七人奪い去れてしまう。
高度な科学力を持つ孤高の存在とのコンタクト。この新スタートレックではこの手の話が結構多く、本作でも何話目かと言った感じ。
アルデアは子どもが生まれなくなってしまったため、子どもを送り込んで欲しいというのが彼らの望みだが、それを拒否したため、交渉は決裂。無理矢理転送装置を使ってエンタープライズ号内の子どもを拉致してしまう。
さらった子どもの中にはウェスリーもいたため、色々機転を利かせてアルデア人の裏を欠くことが出来た。簡単に言えば自分の命を使って脅迫するというものだが。おそらくエンタープライズ号の中では一番優秀なクルーだろう。どんなに文明が進んでも、重要なのは機転というのはこのシリーズの特徴でもある。
文明が進んだ星の場合、その子孫は何も努力しなくても高度な科学力を手に入れることが出来る。そのためコンピューター関連の知識を何も持たなくなってしまう。これは結構皮肉な話でもある。結局コンピューターになんでも依存したため、コンピューターに対処できないことに対処出来なくなってしまうという話。
オゾン層の破壊によって遺伝子が汚染されるという時事ネタも組み込まれている。
アルデア人の要求に対して、ライカーは子どもを渡すことは絶対に出来ないと言っていたが、もう少し時間を使えば、大変優秀でアルデアに行きたいという子はたくさん出ると思うぞ。
スタートレックシリーズの最大特徴は転送装置にあるが、更に高度な転送装置が存在する時、対処が出来ないというのが面白い。最終的にアルデアも連邦と協力することになったため、転送装置はますます発達していくことだろう。
<ハリーという子は小学生くらいだが、既に微積分を勉強している。この時代の子どもの知能は凄いものだ。
さらった子どもは七人だけ。これだけでは文明をつなぐには少なすぎるな。> |
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日本映画とナショナリズムの時代──娯楽・闘争・プロパガンダ(2023) |
<A> |
<楽> |
岩本憲児 |
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04 |
映画 |
安寿と厨子王丸(1961) |
奥羽の国府岩城正氏は公明正大で知られた判官だったが、それが逆に窮屈になってしまった上司の鬼倉陸奥守は帝の森で起きた火事を岩城の責任にして都に追い払ってしまう。妻の八汐は幼い姉弟安寿と厨子王丸と動物たちを連れて嘆願のために都へと向かう。しかしその途上で人買いの罠に落ち、母と菊乃、安寿と厨子王丸は生き別れにされてしまう。母は佐渡へ連れて行かれ、姉弟は由良の長者・山椒大夫の元へ売られてしまう。そこで奴隷の暮らしを強いられた姉弟だが、山椒大夫の息子の三郎の助けもあって、二人はそこで成長していった。だが三郎と安寿が恋仲になってしまったことから、山椒大夫の怒りを買ってしまう。逃げられないと悟った安寿は入水し、その魂は白鳥の姿となり、厨子王丸を導く。
東映動画第4作。今回は古典芸能「さんせう太夫」。そしてその翻案である森鴎外の「山椒大夫」をベースにした作品となっている。有名な話なので、見ている人の大部分はこの作品がどのようなものだか良く知っているはずである。
それはつまり本作の悲劇的なラストを知っているという事。それでそれを知って尚本作を見に行くのかどうかが少々問題になる。アニメと言えばこども向きだが、子どもがワクワクするような内容というのが結構重要なはずだが、これでワクワクするのは無理ってもんだ。
では何故このようなものを作ったのかと考えると、東映は本作で学校の教材にも耐えうるものを作りたかったのかも知れない。単純に劇場で楽しむだけで無く、学校に貸し出し、定期的に観てもらえるような教材を作ることで、コンスタントに儲けが出る構図を作ってみようとしたのかも知れない。勝手な妄想だが。
重めに作られた演出は、確かに見応えがあるが、本音を言えば快楽とはほど遠い。アニメはもっとワクワクさせてくれるようなものであってほしかった。出来は良いけどあんまり何度も観ようと思うものでは無い。事実興行成績はかなり悪かったらしい。
尚、本作の制作現場はかなり厳しかったようで、林重行(後のりんたろう)をはじめとして本作で東映に見切りを付け、手塚プロに移った人たちも結構いたそうだ。 |
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29話 |
ジャマトグランプリも三回戦。今回は道長が主催する、仮面ライダー対ジャマトの三対三の一本勝負という一見正々堂々なものだったが、先鋒で出た景和のタイクーンはルークジャマトの罠にはまって敗北してしまう。そして二回戦は祢音のナーゴだが、今日誕生日を迎えた祢音は気もそぞろだった。
敵はビショップジャマト。そしてダンクルオステウスジャマト。
三回戦は一対一で三人が戦う試合形式だった。道長はそれを正々堂々行おうとするが、ベロバが勝手にルールを変えたお陰で明らかにジャマト側が有利な試合になっている。そのお陰で一回戦では景和のタイクーンはあっけなく敗北。
二回戦目は祢音の番だったが、ここで祢音の真実が語られる。実は幼少時に誘拐された彼女は既に死んでいたという事実が語られた。その時父の光聖がデザイアグランプリのスポンサーとなることを条件に、祢音が生きている世界を作り上げたのだとか。本人もそれを知らなかったのだが、ベロバによってそれを明かされてしまう。
本来ナーゴの試合の中でそれが暴露されるはずだったが、祢音を押しのけた英寿が試合に臨んで勝利を得た。これで仮面ライダーとジャマトの対戦も一勝一敗。
そんな祢音を応援するサポーターのキューンと祢音の関係も少しだけ進展している。手紙だと好き放題言っているが、面と向かうと憎まれ口しかきけないキューンは自己嫌悪に陥っていた。 |
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03 |
読書 |
悪役令嬢転生おじさん3
グレイスこと頓田林憲三郎は本来の主人公であるアンナと共にこの世界での生活を楽しんでいた。アンナを自分の家に招いたり、変なゲームに巻き込まれたりもして、アンナとの関係を深めていく。そしてそんなグレイスを現実世界からサポートしていく憲三郎の家族達。
ミニエピソードの連続で大きな進展は無いものの、世界の根幹に関わる伏線がいくつか登場しているところ。現実世界での知識が異世界ではまっていく光景は読んでいて楽しいので、それだけで充分。 |
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01 |
映画 |
アントマン&ワスプ:クアントマニア(2023) |
アベンジャーズの一員として世界を救ったことにより、 スコット・ラング(ラッド)と ホープ・ヴァン・ダイン(リリー)スーパーヒーローとしてみんなに迎えられるようになった。かつて犯罪者として追われていた自分と今を較べ、自由を満喫していたスコットだったが、娘のキャシー(ニュートン)が、ホープの父ハンク(ダグラス)の指導で、量子世界への探索装置を作り上げた。ところがそのデモンストレーション最中に装置が暴走し、ジャネット(ファイファー)を含めた五人は量子世界の中に放り込まれてしまう。散り散りとなってしまった五人は、それぞれ量子世界の旅を始めるが、この世界の中で長く過ごしてきたジャネットは、大変焦り、急いで現実世界に帰りたがっていた。その理由とは…
MCU新シリーズももう7作目。シリーズは色んな方向に拡大してきてきたが、シリーズを通して概ねの方向性は見えてきた。それがマルチバースというもの。いくつもの並行世界を渡り、そこにいる複数の自分自身や少しだけ異なるヴィラン達と戦うと言うものになっている。
今までは単純に旅をするくらいしかマルチバースの使い道が無かったのだが、ここにきてやっと真の敵カーンが登場することによって方向性が見えてきた。その意味では記念すべき作品となった。本作に登場したカーンはヴィランとしてはかなりレベルが高いようで、これからのMCUに関わる敵ということになるだろう。
だから本作は結構重要な位置づけにあるのだが、作品単体としての本作をどう評価すれば良いのかが難しい。
本作は『アントマン&ワスプ』の直接の続編で、そこで開示された量子世界(この概念が『アベンジャーズ エンドゲーム』(2019)で重要な要素になるのだが)をもっと掘り下げる形で展開する。
そしてその量子世界というのは、現実の世界の常識が通用しない、見たことのないような不思議な世界になるかと思ったら、なんか凄く当たり前の世界だったことに失望した(『スター・ウォーズ エピソード2 クローンの攻撃』(2002)で地球のダイナーそっくりな店が出たことを思い出した)。登場するのもビル・マーレイそのもののような普通の人間だし、会話も普通に通じるし常識も共通する交流が可能な者ばかり。
これでは単に舞台が地上にないと言うだけの梵百のSFだし、物語に至っては古典的な西部劇そのまんま。SFで言うなら『スターゲイト』(1994)とほとんど構造が同じ。
更にMCU前作である『ブラックパンサー ワカンダ・フォーエバー』(2022)と較べても演出が無茶苦茶落ちてる。どうせ異世界なんだから、全体的に暗くして、変な光りを入れたらそれっぽくなんべ。という思考が透けて見えて、この程度の演出で充分だろうと考えてるのが情けない。
全般的に安っぽいんだよ。
シリーズの一つで機転と考えればそこそこ観られはするのだが、作品の質としてはやっぱり落ちるな。
ミシェル・ファイファーとマイケル・ダグラスにビル・マーレイまで加えて高齢陣は頑張ってるので、そこだけ評価してあまり点数は落とさないでおこう。 |
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4話 |
突如襲ってきたゴッドカブトと交戦するギラたち。だが出遅れてしまったため、ゴッドカブトの一撃を受けて全員トウフの国に飛ばされてしまう。農業の国トウフで歓待を受けるギラたち。
敵はタニジーム。タニシのBNAを備えた怪ジーム。胸に高出力のレーザー砲を内包している。
四つ目の国となる農業国トウフ国にやってきた。ここの王カブラギはハチオージャーになり、ゴッドハチを操る。性格は一見豪快に見えつつ、色々画策をしている人物で、捉えどころがない。特にギラに対して何かを考えているらしくギラを翻弄し続ける。実は彼がゴッドカブトを操っていたことも分かった。
シュゴッドには格があって、ゴッドクワガタとゴッドカブトは三大守護神と呼ばれる特別なものだとのこと。基本的に自分の意思で動くものだが、ゴッドカブトとゴッドクワガタはヤンマによってコントロール装置を埋め込まれ、王族によってコントロールされる。1話を観れば分かるとおり、ゴッドクワガタはシュゴッダムの王ラクレスの言うことを聞かずギラを乗せた。ゴッドカブトはハチオージャーによってコントロールされていたが、ゴッドクワガタとの戦いで正気を取り戻したようだ。
最後にもう一人の王リタ・カニスカが現れ、ギラを捕らえてしまう。全部同じパターンだ。
<泥だらけの野菜をそのまま食べるギラ。料理人の基本とも言われるし、テレビとかでもたまにやったりするんだけど、実はこれは細菌や寄生虫の関係でやっていけない行為。子どもが真似したらまずいんだが。> |
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スター・ウォーズ STAR WARS ブラックシリーズ オビ=ワン・ケノービ(ジャビーム) |
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