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| デッドプール&ウルヴァリン Deadpool & Wolverine |
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| 恋人のヴァネッサの命を救ったデッドプールことウェイド・ウィルソン(レイノルズ)は、その後何をやっても上手くいかず、ヒーローを引退して寂しく中古車セールスの仕事を続けていた。そんなある日、ウェイドの前にTVA(時間変異取締局)のエージェントであるミスター・パラドックス(マクファディン)に呼び出され、神聖時間軸アース・616の将来的な危機を守るように言われる。ようやくヒーローになれると大喜びするデッドプールだったが、その際デッドプールが存在する時空アース10005はキーとなる人物ウルヴァリンが死んでしまったことで時空そのものが消去されてしまうを告げられる。神聖時間軸よりも自分の時空を救う事を選んだデッドプールはTVAのエージェント達を皆殺しにしつつ、他の時間軸からウルヴァリンを自分の時空に引っ張ってくることを画策する。いくつかの次元を渡った後でようやく捕まえたウルヴァリン(ジャックマン)は最低な性格で、しかも時空を歪ませてしまったことからパラドックスによって虚無次元ヴォイドへと二人は送り込まれてしまった。そこでこの世界の支配者カサンドラ・ノヴァ(コリン)から、パラドックスの本当の狙いを聞かされることになる。ここで二人が朽ちていくのを見守るというノヴァに反旗を翻そうとするが… 『デッドプール2』(2018)公開からもう6年が経ってしまった。デッドプールは結構好きな私としては、いつかくる続編を待っていた。 この間スーパーヒーローものは色々あった。同年に公開された『アベンジャーズ インフィニティ・ウォー』(2018)および翌年の『アベンジャーズ エンドゲーム』(2019)でMCUは一区切り。そこから次の道がなかなか見つかってない状態。その中でディズニーによるフォックス買収によってX-MENとF4、そしてデッドプールはMCUに組み込まれることになった。更にディズニーはコロンビアとの連携によってスパイダーマンまでMCUに組み込んでいたお陰で、マーベル作品の大部分を包括するようになった。 そこで問題となったのが本作デッドプールとなる。 ディズニーの考える映画は基本的にポリコレに準じたお行儀の良いもの、少なくとも下品に陥らないものが求められる。ところがデッドプールの売りはまさしくその下品さに他ならない。 だからFOX買収の報を受けた時、「あーこれでデッドプール続編ないわ」と思ったのだが、何故か企画は生きていた。いや、生きていたどころか、余計パワーアップして登場してきた。予告編観た瞬間に声が出たくらい。 なんせあのウルヴァリンが出ると言うのだ。しかもこれまでのシリーズ同様のヒュー・ジャックマンで、更に『X-メン』(2000)のような黒いプロテクターではなく、オリジナルシリーズの黄色と黒の服で。これは期待せずにはいられまい。 割と本作事前情報も多くて色々ニュースが入ってきたが、そこで色々分かったのは、本作はそもそもMCUに入れる予定で調整していたのだが、どうにも上手くいかず、ダメ元でジャックマンにウルヴァリン役を演ってくれないかと申し出たところ快諾を得たということ。ジャックマン自身『LOGAN ローガン』(2017)でウルヴァリン役に区切りを付けたはずだが、まだくすぶってたらしく、言われて喜んで出演したという事らしい。要するに本作が作られた最大の理由はジャックマン自身に会ったと言うこと。近年の映画で一人の役者の言動がここまで影響を与えるって珍しい。しかもジャックマンは乗り気どころか積極的に制作にも関わったという。本当にウルヴァリン好きだったことが分かる。 という事で、かなり期待度高く観たわけだが、オープニングでいきなりとんでもない光景見せられた。どうやらデッドプールがいたアース(次元)は『LOGAN ローガン』と同じらしく、しかもウルヴァリンが亡くなってからだいぶ経った時代だった(じゃなんでエグゼビアスクールの初期メンバーのコロッサスが若い姿のままいるのかというツッコミも入るが)。それでこのアースを救うためにはウルヴァリンに蘇ってもらわねばならないのだが、墓を暴いたところ完全に骨になってしまってもう復活は望めない。それでデッドプールはアダマンチウムでコーティングされたウルヴァリンの骨をバラバラにした上で武器にして戦ってるし、その際にディズニーに対する文句ダラダラ言っていたりして、よくこのシーン撮れたもんだと、そこだけでも充分感心出来た。その際『LOGAN ローガン』の余韻を完全にぶち壊してるが、単に茶化すと言うより、覚悟を決めたというところだろう(そもそも過去を改変すれば問題ないのだが、敢えてそれは無視してるようだ)。 そこから本編に入り、別のアースからウルヴァリンを引っ張ってきて本来のウルヴァリンの代役をさせるというのが骨子になるが、そこら辺がとにかく適当。本当にデッドプールは適当に探して適当なウルヴァリンを連れてきただけだった。更にそこからの展開も全部なし崩し。ストーリー部分は適当すぎて全く評価出来ない。前作『デッドプール2』が結構ストーリーに力を入れていたのとは対照的で、全てなし崩しで物語は展開していく。デッドプールとウルヴァリンはほぼ主体性なく、流されるままに物語に従うだけ。その間一体何をしてるかというと、お互いに殺し合ってるだけ。 ただ、その殺し合いこそが本作の最大の売りである。理由は異なるのだが、ウルヴァリンもデッドプールも不死身キャラ。それでウルヴァリンは苛つきから、デッドプールは相手の痛みが分からないという理由で人生の中で何度も人を殺してしまう。そういう生き方をしてるからどっちも世界の中では異端者となる。そんな二人が出会い、そしてどれだけ殺そうが生きて向かってくる。それはお互いを嫌い合って殺し合ってる一方で、お互いを必要としている共依存関係が出来上がる。 この作品の中心はどこにあるかというと、実はデッドプールとウルヴァリンの二人がホンダオデッセイの中で一晩中殺し合うあのシーンだろう。これまで抑えてきた衝動を全て相手にたたきつけ、情欲の限りに殺し合える。見ようによってはあのシーンは愛し合ってるようにさえ見える。短いシーンだが、あれはお互い本当に幸せな瞬間だったのだろう。はっきり言えば、このシーン観られただけで本作の大半の評価はそれで定まった。 後は、本作ならではのカメオが実に良い。出てくるのがファンタスティック・フォー [超能力ユニット](2005)からヒューマン・トーチ。実は役はクリス・エヴァンスで、後にキャプテン・アメリカを演じた。そのためデッドプールは技とキャプテン・アメリカと間違えるというギャグかましてる。それからブレイド(1998)からブレイド。この映画はマーベルの最初のヒット作で、このヒットが次のスパイダーマンシリーズを呼び込み、MCUシリーズも、この作品が原点と言っても良い。それに前述した『LOGAN ローガン』から、ウルヴァリンが命を捨てて助けた女の子ローラが参戦。あとはエレクトラ(2005)からエレクトラ…は、まあw。それとガンビットも出ているが、これは映画の企画が駄目になった作品。 この中ではローラの登場が物語を締めてる。前述したように『LOGAN ローガン』をオープニングで散々馬鹿にした上で、ちゃんとフォローもしてるのが心憎いところだし、短い間とはいえウルヴァリンとともに旅をして、その孤独さを共用したローラだからこそ、別次元から来たウルヴァリンを別人としながらも、魂の本質をぴったり言い当てていた。ウルヴァリン自身はその言葉を無視していたが、結構心に残っていた感があって、それが最後につながったとも言える。 後は次元のゴミ箱と言えるヴォイドに多量に存在するデッドプールの変異体。やられるためにだけ出てくるのだが、結構個性的で、調べてみると、デッドプール役のレイノルズの知り合いが多数出てくるとか(レディ・プールは奥さんであるブレイク・ライブリー。赤ん坊のデッドプールはこの二人の間の息子とか)。 あとは言うまでもないが、ジャックマンとレイノルズがノリノリで役作りしてることだろう。これまでの絵以外がシリーズでは一貫して黒いプロテクター姿だったウルヴァリンがコミック版の黄色と黒のコスチュームに身を包み、ついにマスクまで身につけるのは、コミックを知ってる人には大サービスだが、それ以上にジャックマンの筋肉が凄い。ジャックマンが最初の『X-メン』出演をきっかけに筋トレにのめり込んだのは有名な話だが、本作ではその肉体美を余すところなく表してる。話が進むにつれてコスチュームがどんどん破れ、最後は上半身裸状態になってるが、はっきり言えば『X-メン』当時よりもマッチョ具合が上がってる。もはやその筋肉はアラカンのものではない。ジャックマン、筋肉美を見せ付けたいがためにこの役受けたんじゃなかろうか? 対するレイノルズは相変わらずなのだが、この人、かつて『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』(2009)で同じくデッドプール役でジャックマンのウルヴァリンと戦っている。ただ、『デッドプール』(2016)観る限り、それはレイノルズにとっての黒歴史になってるので、その巻き返しという意識が強かったのだろう。デッドプールの強さとタフさを徹底的に強調してる。 ジャックマンとレイノルズ、双方が激しい思い入れを持って挑んだお陰で本作のキャラの濃さというか個性が爆発してしまっていて、これは素晴らしいとしか。 何度も言うが、ストーリー自体は最低限必要な物語だけしかないが、それをここまで引き上げたのだから充分だ。 |
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| フリー・ガイ Free Guy |
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| 2021米アカデミー視覚効果賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 毎日決まった服を着て、同じコーヒーを買って毎日同じ銀行の窓口勤めをし、毎日銀行強盗に脅されつつ、日々平凡に暮らすガイ(レイノルズ)。その日もいつもと変わらぬ一日が始まったのだが、すれ違った一人の女性に目が止まる。彼女に一目惚れしてしまったガイは日常から離れ、彼女を追い求めるようになってしまう。この街では特別な人間しか付けることが出来ない眼鏡を装着し、街の探索をしていくうち、ついに彼女と出会う事が出来た。モロトフ・ガール(カマー)を名乗る彼女から、衝撃的な事実を告げられた。それはこの世界がが“フリー・シティ”というオンライン・ゲームの中であり、自分はコンピューターによって制御されるだけのモブキャラに過ぎないと聞かされてしまう。その頃、“フリー・シティ”のデバッカーであるキーズ(キーリー)とマウザー(アンブドゥカル)は、ガイをバグとして排除しようとしていた。 『デッドプール2』(2018)以降、レイノルズが再びヒーローを演じることが告げられていたが、通常の意味での、そして変な意味でのヒーローではなく、一般人がヒーローとなる話だと聞かされていた。レイノルズがデッドプール俳優だけではないことを示そうとしてのことか。。 しかし2020年の新型コロナウイルスの流行によって本作の公開は遅れに遅れ、ようやく2021年も半分を過ぎた頃になっての公開。大変待たされた。 確かに待たされたが、本作は期待に充分に応える内容の作品だった。 メインストーリーに関してはかなり単純である。フリー・シティのモブキャラだったガイという男がモロトフ・ガールという女性に一目惚れしたことから自我を持ち始め、このゲームのシステムを理解してモロトフ・ガールを助けて彼女の目的を果たすというもの。ストレートな物語をキャラと演出で引っ張っていっている。これだけだと、実に普通の作品であろう。ゲームの中の世界だけに、通常では出来ないような演出もあるし、ゲームとか他の映画とかに出てくるアイテムやキャラを出したりしてマニアへのサービスもある程度(キャプテン・アメリカの盾が出てきた瞬間にクリス・エヴァンスが大写しになったのは嬉しいサービスだった)配慮され、上手く出来た作品だと思う。 ただこれだけであれば、私も高得点を上げるつもりはない。それを前提として、そこからのプラスアルファが素晴らしいのだ。 ゲームキャラが実際に自我を持ったらどうなるか?というテーマ自体はSFではお馴染みで、昔から作られている。小説や漫画だと枚挙に暇がないが、映画では『トロン』(1982)が有名だが、他にも『ターミネーター』(1984)や『マトリックス』(1999)、アニメでも『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995)など、それなりに作られている。それを肯定的に作るか否定的に作るかも含め、それを前提にして、そこからどう物語を作っていくのかが重要になる。そこが意外に難しい。 なぜならば、自我を持ったAIというのは並のつくり方であればAIである必然性が無くなってしまうのだ。 それで本作はその設定を面白い方向に持って行った。 それは三つあって、一つは犯罪犯すことが普通の世界の中で、自分の意思で良いことをしようとすることだった。この世界では眼鏡を掛けた人物は位が上がり、一般人には見えないアイテムを得る事も出来るし、自由度はぐっと増す。アイテム次第だが、空を飛ぶことも出来るし、SFチックな武器も持てる。更に登場人物を殺しても翌日には元通りになってる。好き放題が出来る世界の中でガイは人のために尽くすことを選択した。この部分がまず面白い。 同じ日常を強制的に繰り返す作品は映画でも何作か存在するが、何でも出来るからこそ、逆に自分勝手にではなく人の喜ぶことをしようと言う設定は『恋はデジャ・ブ』(1993)に準じていて、そのストーリーを選んだことがなんか嬉しい。 そしてゲーム内の人のためにガイが行ったのは解放だったというのがもう一点。それはガイは最初に自我を持ったAIだが、それは唯一の存在ではない。彼を元にしてゲームの舞台であるフリー・シティのみんながそれぞれ自我を手に入れるようになるということで、これは『リオ・ブラボー』(1959)的な解放の物語でもあるのだ。 自分たちは自由な存在だと思っていたフリー・シティの住民達だが、実際はプログラムによって行動が決められていて、その範囲内でのみ自由が認められ、本当の意味での自由というのが分からなかった。毎日が同じ生活で労働し、時にゲームプレイヤーに打ち殺されることもあるが、翌日は全く同じ一日が始まる。一日で全てがリセットされる訳だが、フリー・シティは特別なプログラムがあって、記憶が継承されている。その蓄積が自我の発露によって一気にユニークなものとなっていく。その反響が面白い。 これは自由の定義を人々が学び取っていく古典的な社会派物語に通じる。多くの作品では尺の都合上一足飛びに自由の理解が広まってしまって嘘臭くなるのだが、本作の場合はゲームの中で何度も何度も同じ時間を繰り返すことによって蓄積されたものが一気に噴き出すという側面があって、説得力が増してる。 そしてもう一点がガイの自由意志が本物になっていくまでがちゃんと分かるように作られていること。 本作は実は主人公が三人いて、ガイとモロトフ・ガール=ミリーともう一人、プログラマーのキーズという男が存在する。彼はしがないデバッカーをしているが、実はフリー・ガイの根幹システムを作り上げた天才プログラマーであり、彼のいたずら心によってガイの自我が形成された。ガイが自我を持ったのは、モロトフ・ガールに一目惚れしたからだが、それ自体がプログラムに組み込まれていたことが明らかにされる。 つまりガイがモロトフ・ガールに惚れることは最初から予定されていたこととなるので、ガイの自我自体がプログラムの延長ではないのか?という疑問が入ってしまう。どれだけ個性を持ったとしても、あらかじめ決められていたならば、それは本当の自我になるのか? その答えがちゃんとラストに用意されている。物語的に言うなら、ガイとモロトフ・ガールは結ばれて、現実と架空を結びつける恋愛が始まるという風にした方がすっきりするのだが、現実にはモロトフ・ガール=ミリーは現実世界でキーズのプロポーズを受け、ガイとは別れてしまう。これによってガイの最初に与えられたアイデンティティは崩壊してしまう。なんせ最初のプログラムでは、ガイはモロトフ・ガールと結ばれることだけが唯一の目的だったのだから。ところが振られてそれで終わらなかった。ガイは立ち直るのだ。これはプログラムでなされることではない。これによって、ガイは真の意味で自我を得た。肉体こそ持たないものの、完全な人間としてこの世界で生きていけるようになる。これは大きな希望である。 だからこのラストはこれでいいのだ。すっきりした後味と実感を得られた。これこそ好みの作品だ。 |
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| ナイト ミュージアム エジプト王の秘密 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| リアル・スティール 2011 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 2011米アカデミー視覚効果賞 2011タランティーノ惜しかったで賞 2012サターン若手俳優賞(ゴヨ) 2012TSUTAYAレンタルベスト第7位 2012レンタルランキング第9位 |
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| 人間に代わって高性能のロボットたちが死闘を繰り広げるロボット格闘技の時代がやってきた。それまでボクシングに命をかけてきたチャーリー・ケントン(ジャックマン)は、戦う場所を求め、ロボット格闘家へと転身した。だが乱暴な操作でロボットを次々に壊し借金まみれになってしまう。そんなある日、急死した別れた妻との間の11歳の息子マックス(ゴヨ)が現われる。マックスは裁判によって里親に引き取られることになるが、しばらくの間チャーリーとマックスは二人暮らしをすることになる。そんなある日、マックスがゴミ置き場でスクラップ同然の旧式ロボット"ATOM"を発見する。小さくてオンボロのATOMだったが、彼には特別な能力が備わっていた… スピルバーグ製作で、これまでファミリー映画ばかり撮っていたレヴィ監督による作品。 2011年最後に劇場で観た作品。正直これトレーラー観ただけであざとさが分かってしまったので、あんまり魅力は感じられなかった。 本作のトレーラーは物語そのものをフローで表したもので、実際中身もトレーラーで観たものそのまんまで展開する。身勝手なロボットトレーナーが、捨てたはずの息子を引き取ることになり、さらに未知の力を秘めたロボットを偶然拾うことによって生きる意味を見つけていく。結局これはハリウッド作品で昔からある定番を焼き直しただけで、それにロボット格闘技という新味を加えただけの作品とも言えるし、事実その通りの物語が展開していく。普通考えて『オーバー・ザ・トップ』か、かなり上手く作って『チャンプ』の二番煎じにしかならない。 で、そんな皮肉を言う私自身がいそいそと劇場まで足を運んだのは、こういうベタな家族再生物語が見事なまでに私のツボだという一事である。これ以上もこれ以下も理由はなく、トレーラーを馬鹿にしつつ、あのトレーラーだったから観に行ったという、どうしようもない理由である。どうにも「親子の再生物語」にはツボ押されまくるもので… それで、本作には心地よく裏切られた。確かに物語のフローは『チャンプ』だったかもしれないが、演出や細かいところはむしろ『ロッキー』に近く、挫折を繰り返し続けた男が誇りを取り戻す物語が心地よく心に入ってくる。 なにもかも失っても、誇りだけは捨てられない男が、周囲からどんなに馬鹿にされてもその誇りで生き抜こうとする姿はやっぱり格好よく映るものだ。 この物語のおもしろさは、壁を乗り越えてプライドを守り、そこで自分自身を取り戻すという構造なのだが、それが二つあるということになる。一つはロボットトレーナーとして、夢見るチャンピオンとの対決だが、もう一つ、彼は元々ボクサーであり、その夢が破れたからロボットトレーナーをしていたという点。トレース機能を持ったアトムというロボットを手に入れることによって、彼はロボットトレーナーとしてだけでなく、ボクサーとしての誇りを同時に取り戻したのだ。二重に誇りを取り戻し、さらにこどもの心を掴む。大人の男として一番ほしいものを、彼は手に入れているのだから。 なによりその姿に自分自身を重ねることができたのが一番よかったところだ。少なくとも大人が観ていて、これはうまいこと自分自身の弱さと強さを見させられるように作られているため、大人もこどももきちんと楽しむことが出来る。 そんな意味では、プログラムムービーとしては、予想以上のスマッシュヒットと言えよう。 ところでジャックマンは見事に体作ってきたな。自堕落な生活してる主人公演じるのにあんなに引き締まった体作る必要はなかったと思うんだが。さらに劇中あんなモロ肌脱ぐ必要もないし…ひょっとしてこれって「俺はまだウルヴァリン演るぞ」という意思表示? 原案にダン・ギルロイ。 |
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| ナイト ミュージアム2 | |||||||||||||||||||||||||||
| 2009ティーン・チョイス・アワードコメディ 2009イギリス年間興収第14位 2009allcinema興行収入第12位 2010MTVムービー・アワードコメディ演技賞(スティラー) |
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| ナイトミュージアム 2006 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 2006サターンファンタジー映画賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| ピンクパンサー 2006 | |||||||||||||||||||||||||||
| 2006ゴールデン・ラズベリー最低助演女優賞(チェノウェス)、最低リメイク・盗作賞 2006MTVムービー・アワードセクシー演技賞(ノウルズ) |
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| 国の威信を賭けてフランス代表チームと中国代表チームのサッカー試合が行われ、フランスが勝利した直後、フランス代表監督が何者かに殺されてしまった。そして混乱の中、彼が身につけていたダイヤの指輪“ピンクパンサー”が消えてしまう。殺人事件とダイヤ捜査を指揮するフランス警察のドレイフェス警視(クライン)は、自身の捜査をカモフラージュするため、ドジばかり繰り返す地方警察警官のクルーゾー(マーティン)を警部に昇進させ、捜査を依頼するのだった。大抜擢に大喜びのクルーゾーはお目付役のポントン(レノ)と共に捜査を開始する… 往年のエドワーズ監督&セラーズで展開されたピンク・パンサー・シリーズの新作。 これはかなり好きなシリーズ。その新作ということで楽しみにしていた作品。 確かに幾分不安要素はあった。何せあのシリーズはセラーズだからこそ面白い訳だし、妙なぬるい展開も含めて、エドワーズ監督らしさと言うものが必要不可欠。その辺を真似するだけでは現代では通用しないし、逆に新要素ばかりを取り入れると、今度は「こんなのはピンク・パンサーじゃない!と怒りたくなるだろう。その辺複雑な心境で確かに不安。 しかし、これが又意外や意外。極めてバランス良く仕上げられていた。旧作の良さやオマージュを取り入れつつ、ギャグ部分はテンポ良く、しかもセラーズではなくマーティン(およびレノ)ならではの笑いもバランス良く取り入れられている。ここまで面白くなるとは、観る前まで全く考えてもいなかった(失礼な話だ)。事実90分の放映時間を全く飽きさせることなく、むしろいつまででも観ていたいという思いにさせられる。久々に「短すぎる!」と思わせてくれたのだから、少なくとも私にとっては間違いなく良作。 演出は言うまでもない。オープニングでMGMの古いロゴが出てきたのにはちょっとびっくりさせられ(製作は20世紀FOXなのに、最後までロゴが出てこない)、更に懐かしのOPアニメーション。クルーゾーの姿が微妙に変えられているのも細かいけど好感度が高い。最初でぐっと引き込まれた。その後の展開も、お馴染みの地球儀を使ったシャレにならないギャグとか、旧作ファンなら分かる要素満載で、しかもマーティン&レノにタコ踊りをさせてみたりと、主人公のイジメも忘れてない。そうそう、カジノのシーンも…ギャグのテンポも旧作より遥かに現代的なテンポの良さを示している。 キャラに関しては言うまでもなし。マーティンはセラーズとは違う新しいクルーゾーを作り出してくれたし、相棒のレノは、最初こそ違和感有ったものの、巻き込まれている内にはまっていく。相変わらず被害ばかり受けるドレイフェス役にクラインもよくはまってる(この人アメリカ人のくせにイギリス映画っぽい演出がよく映える)。 ストーリーは原点回帰か、そもそものタイトル通りダイヤモンド“ピンクパンサー”を巡る物語にされているが、これはあるいはシリーズを目してのことだろうか?(旧作では結局2話のみしか無かったんだけど)だとしたら嬉しい。是非再度シリーズ化を願いたい作品。 |
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| 12人のパパ 2003 | |||||||||||||||||||||||||||
| 2004全米BOXOffice第13位 | |||||||||||||||||||||||||||
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| タイトル | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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