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絵本 母と暮せば 評論 寅さんの人生語録(書籍) 対話 山田洋次〈1〉人生はつらいか 対話 山田洋次〈2〉映画は面白いか 山田洋次の<世界>切通理作 日本映画の展望;総索引 〜講座日本映画 (8) 日本映画の現在 〜講座日本映画 (7) 日本映画の模索 〜講座日本映画 (6) _(書籍) |
2020 | ||||||||
2019 | 男はつらいよ お帰り 寅さん 監督・原作・脚本 | |||||||
砂の器 構成 | ||||||||
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2018 | 妻よ薔薇のように 家族はつらいよ III 監督・脚本 | |||||||
あにいもうと 脚本 | ||||||||
遙かなる山の呼び声 原作・脚本 | ||||||||
2017 | 家族はつらいよ2 監督・脚本 | |||||||
2016 | 家族はつらいよ 監督・脚本 | |||||||
2015 | 母と暮せば 監督・脚本 | |||||||
薩チャン 正ちゃん 〜戦後民主的独立プロ奮闘記〜 出演 | ||||||||
2014 | ||||||||
2013 | 小さいおうち 監督・脚本 | |||||||
2012 | 東京家族 監督・脚本 | |||||||
いわさきちひろ 〜27歳の旅立ち〜 製作総指揮 | ||||||||
2011 | 幸福の黄色いハンカチ 監修・脚本 | |||||||
ガレキに立つ黄色いハンカチ 〜山田洋次・震災と向き合う〜 出演 | ||||||||
2010 | 京都太秦物語 監督・企画・原案・脚本 | |||||||
2009 | おとうと 監督・脚本 | |||||||
釣りバカ日誌20 ファイナル 脚本 | ||||||||
2008 | シネマ歌舞伎 人情噺文七元結 監督 | |||||||
釣りバカ日誌19 ようこそ!鈴木建設御一行様 脚本 | ||||||||
2007 | 母べえ 監督 | |||||||
釣りバカ日誌18 ハマちゃんスーさん瀬戸の約束 脚本 | ||||||||
2006 | 武士の一分 監督・脚本 | |||||||
釣りバカ日誌17 あとは能登なれ ハマとなれ! 脚本 | ||||||||
出口のない海 脚本 | ||||||||
2005 | 釣りバカ日誌16 浜崎は今日もダメだった♪ 脚本 | |||||||
祖国 原作・脚本 | ||||||||
2004 | 隠し剣 鬼の爪 監督・脚本 | |||||||
釣りバカ日誌15 ハマちゃんに明日はない !? 脚本 | ||||||||
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2003 | 釣りバカ日誌14 お遍路大パニック! 脚本 | |||||||
2002 | たそがれ清兵衛 監督・脚本 | |||||||
釣りバカ日誌13 ハマちゃん危機一髪! 脚本 | ||||||||
2001 | 釣りバカ日誌12 史上最大の有給休暇 脚本 | |||||||
2000 | 十五才 学校IV 監督・脚本 | |||||||
1999 | 釣りバカ日誌イレブン 脚本 | |||||||
1998 | 学校III 監督・原作・脚色 | |||||||
釣りバカ日誌10 脚本 | ||||||||
1997 | 虹をつかむ男 南国奮斗篇 監督・原作・脚本 | |||||||
男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇 監督・原作・脚本 | ||||||||
新サラリーマン専科 脚本 | ||||||||
釣りバカ日誌9 脚本 | ||||||||
1996 | 虹をつかむ男 監督・原作・脚本 | |||||||
学校II 監督・脚本 | ||||||||
サラリーマン専科 単身赴任 脚色 | ||||||||
釣りバカ日誌8 脚色 | ||||||||
1995 | 男はつらいよ 寅次郎紅の花 監督・原作・脚本 | |||||||
サラリーマン専科 脚色 | ||||||||
時の輝き 脚色 | ||||||||
1994 | 男はつらいよ 拝啓 車寅次郎様 監督・原作・脚本 | |||||||
釣りバカ日誌7 脚本 | ||||||||
釣りバカ日誌スペシャル 脚本 | ||||||||
1993 | 男はつらいよ 寅次郎の縁談 監督・脚本 | |||||||
学校 監督・脚本 | ||||||||
釣りバカ日誌6 脚本 | ||||||||
1992 | 男はつらいよ 寅次郎の青春 監督・原作・脚本 | |||||||
釣りバカ日誌5 脚本 | ||||||||
1991 | 男はつらいよ 寅次郎の告白 監督・原作・脚本 | |||||||
息子 監督・脚本 | ||||||||
釣りバカ日誌4 脚本 | ||||||||
1990 | 男はつらいよ 寅次郎の休日 監督・原作・脚本 | |||||||
釣りバカ日誌3 脚本 | ||||||||
1989 | 男はつらいよ ぼくの伯父さん 監督・原作・脚本 | |||||||
男はつらいよ 寅次郎心の旅路 監督・原作・脚本 | ||||||||
釣りバカ日誌2 脚本 | ||||||||
ハラスのいた日々 脚本 | ||||||||
1988 | 男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日 監督・原作・脚本 | |||||||
ダウンタウンヒーローズ 監督・脚本 | ||||||||
椿姫 脚本 | ||||||||
1987 | 男はつらいよ 寅次郎物語 監督・原作・脚本 | |||||||
男はつらいよ 知床慕情 監督・原作・脚本 | ||||||||
泣き虫チャチャ 脚本 | ||||||||
1986 | 男はつらいよ 幸福の青い鳥 監督・原作・脚本 | |||||||
キネマの天地 監督・脚本 | ||||||||
1985 | 男はつらいよ 柴又より愛をこめて 監督・原作・脚本 | |||||||
男はつらいよ 寅次郎恋愛塾 監督・原作・脚本 | ||||||||
1984 | 男はつらいよ 寅次郎真実一路 監督・原作・脚本 | |||||||
男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎 監督・原作・脚本 | ||||||||
1983 | 男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎 監督・原作・脚本 | |||||||
男はつらいよ 旅と女と寅次郎 監督・原作・脚本 | ||||||||
いとしのラハイナ 原案 | ||||||||
1982 | 男はつらいよ 花も嵐も寅次郎 監督・原作・脚本 | |||||||
男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋 監督・原作・脚本 | ||||||||
1981 | 男はつらいよ 寅次郎紙風船 監督・原作・脚本 | |||||||
男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎 監督・原作・脚本 | ||||||||
シュンマオ物語 タオタオ | ||||||||
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1980 | 男はつらいよ 寅次郎かもめ歌 監督・原作・脚本 | |||||||
男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 監督・原作・脚本 | ||||||||
遥かなる山の呼び声 監督・脚本 | ||||||||
1979 | 男はつらいよ 寅次郎春の夢 監督・原作・脚本 | |||||||
男はつらいよ 翔んでる寅次郎 監督・原作・脚本 | ||||||||
俺たちの交響楽 原案 | ||||||||
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1978 | 男はつらいよ 噂の寅次郎 監督・原作・脚本 | |||||||
男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく 監督・原作・脚本 | ||||||||
俺は上野のプレスリー 原作 | ||||||||
俺は田舎のプレスリー 原案 | ||||||||
分校日記 イーハトーブの赤い屋根 製作 | ||||||||
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1977 | 男はつらいよ 寅次郎頑張れ! 監督・原作・脚本 | |||||||
男はつらいよ 寅次郎と殿様 監督・原作・脚本 | ||||||||
幸福の黄色いハンカチ 監督・脚本 | ||||||||
1976 | 男はつらいよ 寅次郎純情詩集 監督・原作・脚本 | |||||||
男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け 監督・原作・脚本 | ||||||||
俺たちの時 原作 | ||||||||
1975 | 男はつらいよ 葛飾立志篇 監督・原作・脚本 | |||||||
同胞(はらから) 監督・原作・脚本 | ||||||||
男はつらいよ 寅次郎相合い傘 監督・原作・脚本 | ||||||||
1974 | 男はつらいよ 寅次郎子守唄 監督・原作・脚本 | |||||||
男はつらいよ 寅次郎恋やつれ 監督・原作・脚本 | ||||||||
砂の器 脚本 | ||||||||
東京ド真ン中 脚本 | ||||||||
1973 | 男はつらいよ 私の寅さん 監督・原作・脚本 | |||||||
男はつらいよ 寅次郎忘れな草 監督・原作・脚本 | ||||||||
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1972 | 男はつらいよ 寅次郎夢枕 監督・原作・脚本 | |||||||
故郷 監督・原作・脚本 | ||||||||
男はつらいよ 柴又慕情 監督・原作・脚本 | ||||||||
喜劇 社長さん 脚本 | ||||||||
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1971 | 男はつらいよ 寅次カ恋歌 監督・原作・脚本 | |||||||
男はつらいよ 奮闘篇 監督・原作・脚本 | ||||||||
男はつらいよ 純情篇 監督・原作・脚本 | ||||||||
喜劇 女は男のふるさとヨ 脚本 | ||||||||
泣いてたまるか 脚本 | ||||||||
1970 | 家族 監督・原作・脚本 | |||||||
男はつらいよ 望郷篇 監督・原作・脚本 | ||||||||
新・男はつらいよ 原作・脚本 | ||||||||
男はつらいよ フーテンの寅 原作・脚本 | ||||||||
1969 | 続・男はつらいよ 監督・原作・脚本 | |||||||
男はつらいよ 監督・原作・脚本 | ||||||||
喜劇 一発大必勝 監督・脚本 | ||||||||
喜劇 女は度胸 原案 | ||||||||
1968 | 吹けば飛ぶよな男だが 監督・脚本 | |||||||
ハナ肇の一発大冒険 監督・脚本 | ||||||||
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1967 | 喜劇 一発勝負 監督・脚本 | |||||||
愛の讃歌 監督・脚本 | ||||||||
九ちゃんのでっかい夢 監督・脚本 | ||||||||
女の一生 脚本 | ||||||||
1966 | なつかしい風来坊 監督・脚本 | |||||||
運が良けりゃ 監督・脚本 | ||||||||
おはなはん 第二部 脚本 | ||||||||
おはなはん 第一部 脚本 | ||||||||
暖流 脚本 | ||||||||
1965 | 霧の旗 監督 | |||||||
1964 | 馬鹿が戦車でやってくる 監督・脚本 | |||||||
いいかげん馬鹿 監督・脚本 | ||||||||
馬鹿まるだし 監督・脚本 | ||||||||
続・拝啓天皇陛下様 脚本 | ||||||||
1963 | 下町の太陽 監督 | |||||||
あの橋の畔で 完結篇 脚本 | ||||||||
あの橋の畔で 第3部 脚本 | ||||||||
1962 | あの橋の畔で 第2部 脚本 | |||||||
九ちゃん音頭 脚本 | ||||||||
あの橋の畔で 第1部 脚本 | ||||||||
寛美の我こそは一等社員 脚本 | ||||||||
1961 | 二階の他人 監督 | |||||||
恋の画集 脚本 | ||||||||
ゼロの焦点 脚本 | ||||||||
1958 | 明日をつくる少女 脚本 | |||||||
1931 | 9'13 大阪府で誕生 |
男はつらいよ お帰り 寅さん | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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寅さん(渥美清)が亡くなって四半世紀の時が流れた。七年前に妻に先立たれ、娘のユリ(桜田ひより)と二人暮らしを続けつつ、それなりに小説家として名を挙げていた満男(吉岡秀隆)は、書店でサイン会を開いたところ、目の前にかつて恋人だった泉(後藤久美子)が現れる。イタリアに住み、通訳として帰国したという泉に付き合って死の床に就いている泉の父の元を訪れることになるのだが、折に触れ思い出すのは、かつて恋愛指南をしてくれた寅さんのことだった。 日本映画界の最長シリーズとなった男はつらいよが終了して四半世紀が経過した。その間にも何度か続編の企画も結構あったらしい。例えばキャストを一新して寅さんをもう一度やるとか、満男を中心とした作品を作るとか。ただどちらも帯に短したすきに長しと言った感じで、流石に映画にするにはきつい企画だったと思われる。キャスト一新の場合、寅さん役が相当大変で酷評必至だし、満男を中心にすると「北の国から」の続編と変わりなくなる。 だからこそこれだけの時間待つ必要があったのだろう。満男が結婚して子どもをもうけ、妻と死別してという過程を経て中年となったことでやっと企画が通ったという事になるだろうか。 それで出来たものは、基本的に満男と泉の交流を中心に、これまでのシリーズに登場した存命の人々を登場させ、更に思い出の寅さんとの記憶をフラッシュバックさせて一本の映画を作った。 内容そのものは中年男女の恋愛未満の友情物語で、地味で古くさい物語で、随分昔風な雰囲気を持った話になっている。だがそれこそが本作の狙いであり、この懐かしさは決して悪くない。 それにこの作品の場合、かつての男はつらいよの名場面や、時折ふっと寅さんの声が聞こえてきたりするので、ノスタルジーという意味でも見応えある。 全般的に言うと懐かしさの固まり。でもこう言う落ち着いた作品もあって良い。むしろこう言うのが観たかった感じだ。これくらいに地に足の付いた映画が邦画には必要なのだ。 |
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家族はつらいよ2 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2017日本アカデミー助演男優賞(西村雅彦)、助演女優賞(夏川結衣)、脚本賞、撮影賞、照明賞、美術賞、録音賞、編集賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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家族はつらいよ 2016 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2016日本アカデミー作品賞、脚本賞、撮影賞、照明賞、美術賞、録音賞、編集賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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かつて最前線のサラリーマンだった平田周造(橋爪功)は、今は郊外で三世帯同居の引退後の悠々自的な生活を送っていた。そんな周造の糟糠の妻富子(吉行和子)がある時不意に離婚届を突きつけられてしまう。いつもと全く違わない富子のそぶりに、驚きを隠すことが出来ない周造。そしてそれはこども達全部を巻き込んで、平田家の大騒動へと展開していく… 山田洋次監督はすでに老境に入っているが、日本映画のトップランナーとして、ほぼ毎年映画を作り続けているが、毎年作る作品が全部傾向が違うというのが面白いところで、本作は監督としては久々のコメディ作品となる。 基本的に前に作った『東京家族』と同じキャスティングで、立場は変わり雰囲気も随分違うが、きちんとはまって物語が作れているところが流石と言うべきか。 作品としてはどこの過程にでもあるような、傍から観ると他愛ない、それで家族にとってはそれなりに深刻な事態をコミカルに描いて、そつない作りと言っても良い作品で、どんな世代の人でも肩の力を抜いて観られるようなものになっている。 私自身も、大いに笑うと言うほどではないが、心地良い空間に身を置けたので、気分良く映画館を後に出来た。 この作品のストーリーラインを眺めつつ、安心して笑うも良し、細かに張り巡らせられた、これまでの数多くの映画のオマージュを探すも良し(平田家はなんであんな急な階段が、しかも下の居間に直結されるように作られているのかというだけでも、これがコメディになってるのが分かるし、「髪結いの亭主め」と言われて怒るシーンなんかも、小説やら映画に親しんでいた人なら分かる笑いも多い)。いろんな楽しみ方ができる。 ただ、本作を観ていて少々思う事もある。 かつて映画が娯楽の中心だった時代、数多くの映画が作られていたが、そのかなりのパーセンテージを、ある程度の対象年齢の幅を取ったコメディが多かった。森繁久弥の社長シリーズだとか、クレイジーキャッツを始めとするコメディキャラを用いたナンセンスもの、サラリーマンの現状を描いたペーソスものなど(このタイプは市川崑がとても良い作品を輩出していたものだ)。広義に言うなら小津安二郎のファミリードラマだってコメディの範疇だ。艶笑ものを除けば、コメディは幅広い世代に受け入れられていたし、むしろ大人にしか分からない笑いを使う事によって、二重に笑わせるような笑いもあって、それが映画の幅を広げていたのではないかと思う。 それがいつの間にやら、映画は若い人の娯楽の対象でしかなくなり、幅を失っていった。その時その時に売れる路線を追求していけば、確かに若い人が対象となるのは当然だが、それを包むように万人受けする作品も作られ続けていなければならなかったのでは? 80年代であれば、年に二回男はつらいよがあったし、それからも松竹が中心となって細々と万人受け用の作品は作られていったものだが、今や一年にどれだけそう言う作品作られてる?探すのが困難なほどに少ない。 それこそ男はつらいよシリーズを作ってきた監督だからこそ、こう言う映画が必要なんだと主張しているとも思える。 ふと自分自身の年齢も鑑み、こう言う緩やかなコメディを時々劇場で観てみたいなあ。そんな風に感じるのも事実。 |
母と暮せば 2015 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2015日本アカデミー主演男優賞(二宮和也)、助演女優賞(黒木華)、作品賞、主演女優賞(吉永小百合)、助演男優賞(浅野忠信)、脚本賞、照明賞、美術賞、録音賞、編集賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1948年8月9日。長崎で助産婦をして暮らす福原伸子(吉永小百合)の前に、3年前に長崎に落ちた原爆で死んだ息子の浩二(二宮和也)が現れる。他の人には見えない浩二と会話を重ねつつ、多くの人達との間に日常生活を送る伸子だが… 井上ひさしによる戯曲「父と暮せば」と対となる作品。「父と暮せば」が広島原爆で亡くなった父が現れる話だが、こちらは長崎原爆で亡くなった息子が現れるという違いがある。 過去黒木和雄監督による宮沢りえ主演の『父と暮せば』(2004)があるため、敢えてそれに対にしようとしたと思わせる部分はある。ただ、『父と暮せば』の出来が良く、わざわざそれをリメイクする必要はあるの?と言う思いもあるが、監督の思いを拝見。 一つ納得したのは、本作は『父と暮せば』とは、ちゃんと差別化はなされている。あの作品は、過去に引きずられていた娘が死んだ父と語らうことによって、前を向いて生きようという気持ちをもらうという物語だったが、本作の場合、主人公が家族全員を失った母親と言うこともあって、本人の生きる力ではなく、彼女に関わる多くの人達の未来を祝福するという形へと転換しているのだ。だからより広い意味でのドラマになっている。個人ではなく、日本という国そのものへの応援を謳うという意味を持っているのだろう。その意味では、本作はきちんと作られていると思う。 ただ一方では、まさにその点がドラマとしては致命的部分でもある。基本この手の作品は、物語は最終的に個人に落とし込み、物語を収縮させていかないと収まりが付きにくいのだが、本作の場合、個人から始まって、より多く人へと向かう、拡大傾向を持っている。そのため物語が収まらない。主人公が命を失うことで強引に物語をまとめているけど、そこにはやっぱり強引感しか感じないし、誰に向かって話が収まっているという事がないため、感情移入がしづらい。 作りとして、山田監督がやりたかったことは理解した気にはなるけど、その上で言わせてもらうと、「日本人を応援する」という作りは大上段に構えすぎていて気持ち良くない。 キャラに関しては申し分ない。ヴェテランの境地にある吉永小百合は勿論、二宮和也も器用さを見せている。この二人がしっかり画面を締めていることで、ぐっと作品の質を上げている感じ。画面の端々に登場する子役が巧くはまってる。過不足ない起用の良さを感じさせてくれる。 強いて言うなら、主役の二人が年齢重ねすぎているということかな?母親を演じるにしては、吉永小百合の実年齢は…ってのもあるけど、二宮和也も一回り以上若い年齢を演じてるわけだし。 その辺いろいろあって、良い作品であることは認めるけど、どうにも監督の自慰的作品と思ってしまえて、あんまり点数上がらないなあ。 |
小さいおうち | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2014日本アカデミー助演女優賞(黒木華)、作品賞、脚本賞、音楽賞、撮影賞、照明賞、美術賞、録音賞、編集賞 2014ベルリン国際映画祭銀熊賞(黒木華) |
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東京家族 2012 | |||||||||||||||||||||||||||
2013日本アカデミー作品賞、主演男優賞(橋爪功)、主演女優賞(吉行和子)、助演女優賞(蒼井優)、監督賞、音楽賞、撮影賞、照明賞、録音賞、編集賞 | |||||||||||||||||||||||||||
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瀬戸内海の小島に暮らす平山周吉(橋爪功)と妻のとみこ(吉行和子)は、子どもたちに会うために東京へやって来る。郊外で開業医を営む長男の幸一(西村雅彦)と、美容院を切り盛りしている長女の滋子(中嶋朋子)の家に行き、そこで歓迎は受けるものの、忙しい二人はあまり両親に構っていられなかった。そんな中、とみこは独身の次男昌次(妻夫木聡)から恋人の紀子(蒼井優)を紹介される… かつて小津安二郎監督によって制作され、『七人の侍』(1954)と並び、世界的にもっとも有名な映画の一本『東京物語』。それを、今や日本を代表する映画監督の山田洋次監督によってリメイクされた。 もちろんこれだけで充分“観なければならない映画”である。そして折角だからこれは劇場で観なければ。そんな思いで劇場へと足を運んだ。 それで、折角だから『東京物語』と本作の違いを中心にレビューしていきたい。 まず背景だが、これは言うまでもないことだが、『東京物語』は“戦後”を大きなキーワードとして持っている。あの作品では三人の子供の末っ子は戦死しており、婚約者を失い、自らを未亡人として位置づけている婚約者との交流が重要になっている。 それに対して本作は“戦後”に対するキーワードとして“東日本大震災”を持ってきた。確かにこれは戦後に対抗できるほどの大きさとは言えないかもしれないが、それでも日本全体に大きな負の衝撃を与えたものとして充分だろう。実際劇中でも地震によって亡くなった人のことが言及されているし、末っ子はボランティアで東北に行っていたとなっている。 あれくらいに衝撃的な事件なしには本作は成立できないのだから、不謹慎ながら、あの地震でやっと本作が成立できたとも考えられる。本作が単なる『東京物語』のコピーに終わることがなかったのは、このお陰だ。 次に家族構成となると、これは上二人の子に関してはほぼ完全にオリジナルを踏襲している。二人とも決して両親を嫌っているわけではないものの、自分の生活が忙しく、両親が東京に来ることで、幾ばくかの拘束感を持っていて、両親を少し自分たちから離しておきたいという感情を持っている。これに関しては時代を経ても変わってないと思わされることだらけだ。オリジナル版では、敗戦のショックを乗り越え、これから立ち上がっていこうという気概を肯定も否定もせずに描いていったが、ここではどうだろう?もう日本は良くなることはないという前提条件あっても、やはり同じことをしてしまっていると考えれば、大変皮肉なものと思えてしまう。戦後から既に70年近く。それでも日本の教育関係や仕事関係は同じことをしてるのか…日本はなにも変わってないのでは?なんてことも考えてしまう。 それでオリジナルと本作の大きな違いは、末っ子の存在となる。オリジナルの方では戦死しているが、本作ではちゃんと存在している。この違いが本作を特徴づけている。たぶんここに山田監督の思いが詰まっているのではないだろうか。 彼はこども時代、特に父親からは期待されておらず、本人もその事を知っていた。そして自分のやりたいことを見つけるために定職にもつかずに、半分アルバイトのようなことをずっと続けている存在として描かれている。 多分監督が描こうとしていたのは、ここなのだろう。全くのリメイクではなく、“今”の姿として。彼は震災のボランティアに行く程度には社会に意識はあるが、自分自身の道を見つける途上であり、そんな彼がようやく父に認められるまで、そしてその彼女である紀子と結ばれるまでを描く。このオリジナル部で、ようやく本作が小津監督作品ではなく、山田洋次監督作品になったのだから。 しかし、本作を観ていて思うのだが、折角だから同じ素材を10年位のスパンでその時々の邦画を代表する監督に作らせてみたら面白そうだと思う。 |
おとうと 2009 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2009日本映画批評家大賞撮影監督賞 2009日本シアタースタッフ映画祭助演男優賞(加瀬亮) 2010日本アカデミー作品賞、主演男優賞(笑福亭鶴瓶)、主演女優賞(吉永小百合)、助演女優賞(蒼井優)、監督賞、脚本賞、音楽賞、撮影賞、照明賞、録音賞、編集賞 2010映画芸術ワースト第3位 |
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母べえ 2007 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2008日本アカデミー作品賞、主演女優賞(吉永小百合)、助演男優賞(浅野忠信)、助演女優賞(壇れい)、監督賞、脚本賞、音楽賞、撮影賞、照明賞、美術賞、録音賞、編集賞 2008キネマ旬報日本映画第7位 2008HIHOはくさい映画生涯功労賞(吉永小百合) |
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1940年東京。野上佳代(吉永小百合)は夫で作家の滋(坂東三津五郎)と初子(志田未来)と照美(佐藤未来)と共に、つましいながらも幸せな毎日を送っていた。家族の呼び名に“べえ”と付けて呼び合い、笑いの絶えない野上家だったが、ある夜、戦争反対論者であった滋が特高刑事に逮捕されてしまった。突然一家の大黒柱を失い、途方に暮れる野上家。だが愛する二人の娘のため、夫のため佳代は警察に日参しつつ、働きに出る。そんな家族を優しく見つめる滋の教え子山崎(浅野忠信)を始めとする人々。太平洋戦争という時代を挟み、力強く生きた“母べえ”の奮闘を描く。 いわゆる黒澤組と言われる黒澤明監督子飼いのスタッフで監督作品の大部分のスクリプターを務めた野上照代の描く自伝をヴェテラン山田洋次監督が映画化。 野上照代と言えば、黒澤映画のDVDBOXを先に買った時、ほとんど全ての映像特典に登場しているのでなんか顔なじみという気がしていたが、作家としても活動しているとは知らなかった。原作は未読だが、子供の頃の記憶をさほど粉飾することなく、淡々と描いているのだろう。と言う思いにさせられる。本作には極端にドラマチックな物語が描かれている訳ではないし、戦時下における庶民の生活が淡々と描かれていると言った感じ。それこそこの手の作品は邦画の得意とする分野だったはずなのだが、特に近年になって本当に観られなくなってしまったので、こう言うのを時にスクリーンで観るのはとてもほっとした気分にさせられるものだ。やや賞に対する色気が垣間見えなくもないが、ユーモアも含め、山田監督の思い入れが感じられる作品に仕上がっている。 陰日向に家族のために働く彼女の姿は、一見家族への犠牲行為に見えてしまうのだが、しかし実際はこれこそが彼女の喜びだったんだろうね。久々にそういう物語が観られたことには満足。 ただ、最近この手の作品が作られていないというのはこういう事か。という一抹の寂しさをも感じさせられる作品でもあった。 おそらくは映画としてこういう母の役を演じられる人、少なくとも山田監督クラスの目で見て、それに見合うだけの女優がいなくなってしまったのでは無かろうか? 確かに吉永小百合は落ち着いた演技でしっかり役をこなしていたし、満足いくだけの存在感を示してはいたものの、流石に年齢的に無理があるだろう。それでも吉永小百合でなければ本作は成立しなかったと言うところで、こういう役所が出来る女優がいなくなってしまった事を如実に感じさせられる。 これからは映画でも「ALWAYS 三丁目の夕日」に示されるように古くても昭和30年代。もう少し行けば古い庶民の作品を作っても、40年代、50年代と時代が下っていくことになるんだろう。 あるいは、TVで作られる以外では、このタイプの作品はこれが最後の大作になるのかも知れない。それも映画の時代の流れか? |
武士の一分 2006 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2006日本アカデミー助演男優賞(笹野高史)、撮影賞、照明賞、作品賞、主演女優賞(壇れい)、助演女優賞(桃井かおり)、監督賞、脚本賞、音楽賞、美術賞、録音賞、編集賞 2006ブルーリボン新人賞(壇れい) 2006日本映画批評家大賞新人賞(壇れい) 2006キネマ旬報第5位 2006毎日映画コンクール男優助演賞(笹野高史)スポニチグランプリ新人賞(壇れい) 2006アジア映画作品賞 |
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東北の小藩に仕える三十石の下級武士三村新之丞(木村拓哉)は妻の加代(檀れい)と侍従の徳平(笹野高史)との慎ましやかな生活を送っていた。ただ、城勤めの彼の役目は毒味役で、張り合いのない役目に不満を持ちながら、行く行くは剣術の町道場を持つことを夢みていた。ところが、ある時毒味で貝の毒にあたっってしまう。一命は取り留めたものの失明してしまった。絶望の中、加代の励ましで生きていくことを決意していく三村だったが、武士としての勤めがかなわなくなった三村は藩の沙汰次第では生活もままならなくなる。そこで加代は、嫁入り前からの顔見知りだった上級武士の島田藤弥(坂東三津五郎)に相談を持ちかけるのだったが… 山田洋介監督による『たそがれ清兵衛』、『隠し剣 鬼の爪』に続く藤沢周平原作の時代劇で、本作で三部作となる。 山田監督の時代劇はとても安定していて、安心して観ていられるが、本作もその通りで、素直に入ってくるし、観ている間、とても心地良い気分にさせられる…“心地良い”というのは物語がゆるいと言う訳ではなく、身構えることなく、画面に没頭できると言うこと。特に劇場で映画観る場合、折角金を出したのだから。と言うことで身構えてしまう私のような人間にとっては、こういう作品は貴重だ。 結局2時間あまりの時間を何にも考えることなく、ただ「映画観た」という気分にさせられ、とても心地良い気分で劇場を後にすることが出来た。 それだけで評価はすべきなのかもしれない。 ただ、改めて現実の生活に戻って色々考えてみると、やっぱり色々不満が出てくるのは致し方ないところ。 山田監督の演出にごまかされてはいるが、安心して観ていられる。と言うことは、裏返してみると、それだけ物語がシンプルだと言うことで、つまり、当然起こるであろう物語展開のレールに乗っていればいいので何にも考える必要がない。と言う事に他ならない。何度も繰り返し観ている歌舞伎の演目を役者が変わったから。と言う事で観に行くのとあんまり変わらない(映画でそんなことが出来ると言うだけでも貴重ではあるのだが)。言ってしまえば、テレビで1時間枠でやっている時代劇を、わざわざ映画館に観に行っているのと大して変わりない。 それに、山田監督が惚れ込んで主役に据えたというキムタクが、どうにも侍っぽくないのも気にかかるところ。喋らないか、動いているかすると良いのだが、しゃべり始めると、途端に薄っぺらくなってしまう。改めて考えてみると、本作は時代劇の体裁を取っていても、人間は現代劇を演じているのとあんまり変わらない。 ひょっとして山田監督がキムタクを選んだのも、立ち居振る舞いは時代劇的に、言動は現代的に。と言うコンセプトで選んだとか?だとすれば慧眼だけど、それは考え過ぎかな? その軽さを逆に“見慣れたもの”として安定して演出したのが実は山田監督の手腕だったのかも知れないな。それも踏まえて考えるのならば、本作は演出が突出して良い作品。と言うことは出来るだろう。 |
隠し剣 鬼の爪 2004 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2004日本アカデミー美術賞、作品賞、主演男優賞(永瀬正敏)、主演女優賞(松たか子)、助演男優賞(吉岡秀隆)、監督賞、脚本賞、音楽賞、撮影賞、照明賞、録音賞、編集賞 2004キネマ旬報第5位 2004毎日映画コンクール助演女優賞(田畑智子) 2004報知映画主演女優賞(松たか子) |
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東北にある海坂藩は幕末を迎え、兵の近代化に余念がなかった。その中でかつて師から“隠し剣鬼の爪”という秘剣を伝授された下級武士の片桐宗蔵(永瀬正敏)がいた。ある日彼は町でかつて自分の家で働いていたきえ(松たか子)をみかける。すっかりやつれ果てたその姿に同情を覚えるが、やがて彼女の嫁ぎ先の虐待が分かり、憤慨した片桐はきえを奪うように自分の家に連れてくるのだった。その頃、片桐と共に剣を学び、江戸に遊学に行っていた狭間弥一郎(小澤征悦)が藩の江戸屋敷でおこった謀反騒動の首謀者として藩に送り返されてくるのだった。否応なく藩の陰謀に巻き込まれていく片桐だったが… 山田洋次監督による『たそがれ清兵衛』に続く藤沢周平作品の映画化。 そんなに読んでる訳じゃないけど藤沢周平の歴史小説は暖かみがあってとても好き。特に不器用にしか生きられない男とか、一途ながらそれを言えない姿勢の女性の姿とか、見事にツボにはまる。 それで本作は本当に私が観たいと思った、そのものの姿がそこにあり、なんか凄くほっとした。流石山田洋次監督。藤沢世界を本当に素直に映像化してくれてる。これをしみじみ良いと思えるのはやっぱり私も日本人だなと思うよ。 そう言えば時代劇を劇場で観るのは一年ぶり。しかもその一年前って『ラストサムライ』(2003)で、細かい設定の矛盾がどうにも鼻についたものだが、こちらは設定で言えば申し分なし。冬から春。秋から冬へと移り変わる東北の情景が大変心地よい。しかも小さな家の部屋の調度に至るまで、よく練り込まれている。刀の描写だって手を抜いてない。片桐が兄弟弟子の狭間を斬らねばならなくなった時、砂に一太刀、一太刀突き刺して切れ味を増していたり、刀の柄にギリギリと紐を締め直すなんて、そこまで描くとは凄いもんだ。更にその敵となる狭間も錆び付いた刀を突き出し、「錆びちゃいるが切れ味はなかなか」と言う時の凄味もある。火縄銃から新式銃へと移行しているのも、弾ごめのシーンでしっかり演出。細かいところに配慮が行き届いてる。 人物描写も、設定や描写については申し分ない。冒頭の3年前で青々としていた片桐の月代には無精髪(?)があって、そこを世話してくれる人がおらず、生活が落ち込んでいるのが分かったりするのがなかなか(目立つんだよね)。 ただ、人物そのものの描写はどうかな?と言うところ。はまってない訳ではないけれど、もっとふさわしい人もいたんじゃないか?なんてのも思わされる。永瀬正敏よりもはまった人間はいそうだし、友人の吉岡秀隆だって、もう一つ言うなら、初の悪役という緒方拳も、もうちょっと…悪くはなかったけど、もっとふさわしい人がいたんじゃないかな?それを感じてしまったよ。カメオで倍賞千恵子とか光本幸子とかがちらっと登場してるのが、なんだかとても嬉しいものがあったけどね。 物語については緩急が上手くついていて、コミカルな部分あり、もどかしいほどの恋物語あり、息詰まる殺陣あり、最後に明らかになる“隠し剣鬼の爪”の本当の役割とかがあって割と長いながら全然飽きさせないし、何より美しい描写と相まって、しみじみ良い作品だと思う。 |
たそがれ清兵衛 2002 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002日本アカデミー作品賞、主演男優賞(真田広之)、主演女優賞(宮沢りえ)、助演男優賞(田中泯、小林稔侍)、監督賞(山田洋次)、脚本賞、音楽賞、撮影賞、照明賞、美術賞、録音賞、編集賞、新人俳優賞(田中泯)、助演女優賞(岸恵子) 2002ブルーリボン作品賞、助演女優賞(宮沢りえ) 2002キネマ旬報第1位 2002毎日映画コンクール日本映画賞、男優主演賞(真田広之)、女優助演賞(宮沢りえ)、撮影賞、録音賞、技術賞 2002報知映画作品賞、監督賞、主演女優賞(宮沢りえ) 2002ヨコハマ映画祭第3位 2002オンライン・ムービー・アワード第15位 2003米アカデミー外国語映画賞 |
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本物の時代劇を作ろうという意気込みはあり、その分明るくなってしまった現代時代劇に対するアンチテーゼも入っている。 |
十五才 学校IV 2000 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2000日本アカデミー新人俳優小(金井勇太)、作品賞、助演男優賞(赤井英和、丹波哲郎)、助演女優賞(麻実れい)、監督賞(山田洋次)、脚本賞、撮影賞、照明賞、美術賞、録音賞 2000毎日映画コンクール日本映画優秀賞、脚本賞 2000ヨコハマ映画祭第10位 |
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学校III 1998 | |||||||||||||||||||||||||||
1998日本アカデミー新人俳優賞(黒田勇樹)、作品賞、主演女優賞(大竹しのぶ)、助演女優賞(余貴美子)、監督賞(山田洋次)、脚本賞 1998ブルーリボン助演女優賞(余貴美子) 1998毎日映画コンクール日本映画優秀賞、助演女優賞(余貴美子) |
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ボイラー技士の専門学校に集う者達は、それぞれ様々な軋轢により実生活で失敗した者達だった。その中にいるシングルマザーの小島紗和子(大竹しのぶ)、大手証券会社からリストラに遭った高野周吉(小林稔侍)は、お互い反発し合っていくのだが… それぞれ多彩な学校を舞台にしたシリーズとしての「学校」もここで第3作。今回は専門学校を舞台にした物語となる。 物語そのものとして考えるならば、中年の淡いラブストーリーと言った感じで、周防正行監督の『Shall We ダンス?』(1996)っぽい雰囲気もあり。強いて言えば、バブルがはじけた世相、不況による閉塞感に包まれた時代を反映させた社会派的要素を取り入れたって感じだろうか。当時の流行りのキーワードが「リストラ」だったから、それを巧く物語に取り入れているのだろう。 作品として評価できるのは、リストラや徐々に格差社会へと移行する日本という国を描いているのに、決してそれを暗くしておらず、それでも力強く生きていく事をポジティブに描こうとしているところだろうか。 ただ、今回は職業学校ということもあって、普通の大人がを描いてる分普通の作品なんだよな。学校側の苦労も描かれていないし、特別な意味合いはない。 物語としては質は高いと思うんだが、「学校」のタイトルを冠する作品とは違う気がするな。 |
学校II 1996 | |||||||||||||||||||||||||||
1996日本アカデミー作品賞、主演男優賞(西田敏行)、助演男優賞(神戸浩、永瀬正敏、吉岡秀隆)、監督賞(山田洋次)、脚本賞、撮影賞、照明賞、美術賞、録音賞、編集賞 1996キネマ旬報第8位 1996毎日映画コンクール日本映画優秀賞、男優助演賞(吉岡秀隆)、録音賞 |
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北海道の竜別高等養護学校。三年生の卒業を控え、大忙しの教師青山竜平(西田敏行)だったが、卒業を間近に控えた二人の学生緒方高緒方高志(吉岡秀隆)と久保佑矢(神戸浩)が寮に戻ってこないと報告を受けた。二人が旭川で行われているコンサートに向かっていることが分かり、青山は新任教師の小林(永瀬正敏)の車で一路旭川へと向かう。その車中、二人との関わりを思い出していく… スマッシュヒットを飛ばした『学校』から3年。今度は養護学校に舞台を変えて話が展開していく。 養護学校を題材にすると言う事は、かなりデリケートな問題を扱うこととなるため、なかなか手が付けられてこなかったジャンルである。確かにこれまでにもドキュメンタリーや、学校の創立秘話などはあったが、そこでも相当な配慮をしないとならなかった。それを敢えてフィクションでやってみせた事には敬意を表す。監督がそれだけ大監督になったという証拠であると共に、映画作りの挑戦を続けていることにも頭が下がる。 それで敢えて「学校」という素材においてかなり生々しい実態を踏まえて作られた本作は、一作目よりも遥かに踏み込んだものとなっていた。勿論一作目のヒットという事実はあるにせよ、その攻めの姿勢には素直に感心するし、本当に良く作ったと思う。 本作の攻めの部分はやはり学校内での失禁やパニック描写などが、日常の出来事として行われているということ。これまで出来るだけ観ない見ないようにしてきたことを敢えて出すことで、養護学校の実態というものをほんの僅かでも見せようとしているところに表されている。 その上で、そこに働く教師達がどれだけ酬われない労働に従事しているのか、そしてその中で喜びを得ているのかという事にも踏み込んでいるところに深さがある。一作目『学校』の場合は、教師が踏み込んではいけない部分が物語の中心になっていたが、本作の場合は逆に教師でしか踏み込めない部分というものを強調したものとなっている。それを真っ正面から描いたのが凄いところである。 一作目も良かったが、二作目の本作も又多くの人に観てもらいたい作品ではある。ただ、観ていて心が高揚することはあまりなく、ちょっとよどんでしまうこともあって、それなりの覚悟で観てもらうことをお薦めする。 |
男はつらいよ 寅次郎紅の花 1995 | |||||||||||||||||||||||||||
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満男(吉岡秀隆)の元に泉(後藤久美子)が訪ねてきた。照れくささからなかなか喜びを表に出せない満に、泉は何と、医者の卵との縁談話があると発言する。動転した満男は、思わず泉の縁談を祝福する事を言ってしまい、その縁談がまとまってしまった。その後、思い悩んだ満男は結婚式当日、その妨害をしてしまう。警察に突き出され、後悔した満男は放心状態のままあてど無い旅へ出かけ、奄美へと流れてしまう。さくら(倍賞千恵子)に頼まれ、満男を探しに来た寅次郎(渥美清)も奄美へとやってきて、そこでリリー(浅丘ルリ子)と再会する…シリーズ第48作目にして一応の最終作(その後『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』がリメイクされたが)。 冒頭で阪神大震災という時事ネタを盛り込んで作られた作品。本作の主役はやはり寅ではなく満男の方だが(ここで『卒業』ネタを使うとは思わなかったが)、これが四度目の登場となるリリーとの関係にも言及があり、なかなか見所は満載(やっぱり最後だって言うのが頭にあったかな?)。相変わらずリリー役の浅丘ルリ子の啖呵には迫力があり、むしろ彼女の方が物語を引っ張った感じだった。ただ、寅さんの元気のなさぶりは観ていて痛々しかった。これまで泉と満男の仲を取り持ち、応援していたはずなのに、結婚式をぶちこわした満男に対してはたしなめるようなことを言っていた。それは確かに寅の生き方だったかも知れないけど、急に常識ぶったように見えてしまう(逆にそのフォローをリリーがしている)。 本作は最終話を目して作られ、最後は加計呂麻島へとリリーと共に帰っていく寅の姿が描かれているのだが、やっぱり最後は又寅は旅に…山田監督としても、終わらせる気はあっても、やっぱり寅は永遠の愛の探求者であって欲しかったのだろうか。ラストが二つあるのは、苦渋の選択だったのかも知れない。 ただ、撮影時、渥美清は既に肝臓癌の告知を受けており、それだけに本作の撮影は相当な苦労があったという。撮影隊の大部分はその事を知らなかったようだが、いつになく無表情で不機嫌な渥美清に、現場はピリピリしっぱなしだったとか。それでも最後まで撮りきったと言う所に本作の最大の功績があるだろう。 私にとってはこの作品にはもう一つ想い出がある。 公開後、大分経ってのことだが、旅行で奄美大島に行ったことがあり、そこでちょっと脚を伸ばして加計呂麻島まで出かけていった(連れが行きたがったから)。そこで舞台となった海岸に行ったのだが、良くこんな所にロケバスが入ったもんだ。と思えるほどの狭い道が印象に残ってる。なるほど。満男も傷心を癒すにはここまで来る必要があったのか。と少々感慨深いものがあった…その後、私自身が傷心を負うというおまけも付いたが。 世界最長のシリーズ。それを走り抜いた渥美清に最大のエールを送ろう。 |
男はつらいよ 拝啓 車寅次郎様 1994 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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靴屋に就職して半年の満男(吉岡秀隆)はセールスマン仕事にすっかり嫌気がさしていた。そんな時に柴又にふらりと現れた寅次郎(渥美清)に諭される。その後、長浜に住む先輩に誘われ、そこでの祭りに参加することになった満男だったが、先輩から妹の川井菜穂(牧瀬里穂)を紹介される。反発し合っていた二人だったが、祭りを通してうち解けていく。そんなところに不意に寅が現れるが… シリーズを通して満男が主人公だと今ひとつ面白く思えなくなる。それに本作は特に話にまとまりが無い作品で、まともに考えるなら一言「面白くない」と言いたいところなのだが、本作に関しては何故か意外にも結構楽しめた。 なんでだろう?と理由を考えてみたら、満男の存在感が苛立たないからだと気が付いた。後藤久美子との恋愛が描かれる場合、その優柔不断さがどうにも苛つかせてくれて、腹が立つばかりだったのだが、本作の満男はプチ寅さんって感じで、温かい目で観ることが出来た。すっかり分別くさくなったとは言え、寅さんの恋愛も凝縮されてた感じだったし。渥美清の動きが今ひとつ緩慢になってた気がするけど、その分マドンナのかたせ梨乃が上手く言葉をフォローしていたのも良し。 それにやっぱり学生気分そのまんまでモラトリアムに陥ってる青年よりも、社会に揉まれて悩む青年の方が観ていて面白いもん。 実はこの作品がクランク・アップした時には渥美清は既に癌の宣告を受けていたと言うことが後になって分かった。そう言われるとなるほど。妙に力が抜けた感じは、満男を立てたんじゃなく、既にいっぱいいっぱいだったのか。 |
男はつらいよ 寅次郎の縁談 1993 | |||||||||||||||||||||||||||
1993日本アカデミー美術賞、編集賞 | |||||||||||||||||||||||||||
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大学卒業間近ながら、未だに就職先が見つからない満男(吉岡秀隆)は、さくら(倍賞千恵子)と博(前田吟)の労りの言葉に激昂し、突然一人旅を始めてしまう。久し振りに葛飾に帰った寅は、事情を聞いて満男を連れ戻すことを安請け合い。さっそく、手紙が来た瀬戸内海の小島・琴島へ出掛ける。そこで洋子(松阪慶子)の元に居候しながら、村の手伝いをしている満男を見つけ出すのだが… 満男を主人公とした作品。寅さんもそれなりに恋愛してるけど、なんだかパワー不足の感は否めない。『浪花の恋の寅次郎』に続き2回目のマドンナ役となった松阪慶子も落ち着きすぎてしまった分、かつてのような魅力が感じられず。更に満夫の相手役だった城山美佳子が魅力低いのもあかんね。純情さよりも献身ぶりをもっと出して欲しかった気分。そう言えば第1作でのマドンナ光本幸子がちらりと登場してるが、見事におかみさんしてる…第1作がもう24年前だもんな。 内弁慶で親にだけは高圧的な態度を取り、責任を全部親のせいにする満男の姿も、親しみを持つよりむしろ腹が立つ存在でしかない。 満男が主人公の話がどうにも好きになれないのは、ひょっとして同族嫌悪なのかも知れない(笑) |
学校 1993 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1993日本アカデミー作品賞、主演男優賞(西田敏行)、助演男優賞(田中邦衛)、監督賞(山田洋次)、脚本賞、録音賞、新人俳優賞(萩原聖人)、助演女優賞(裕木奈江、竹下景子)、音楽賞、撮影賞、照明賞 1993キネマ旬報日本映画第6位 1993毎日映画コンクール日本映画優秀賞、日本映画ファン賞、優秀宣伝賞 1993ヨコハマ映画祭助演男優賞(萩原聖人) |
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東京下町にある夜間中学校に勤める黒井(西田敏行)はこの学校とここに通う生徒たちを愛し、何度もあった移動の話を蹴りつつ、何らかのトラブルを抱え、それでも学校に通う生徒達に学ぶ喜びを伝え続ける。そんな彼らの卒業が近づき、文集を読んでいく黒井だが… 松崎運之助の自伝的ドキュメンタリー「青春 夜間中学界隈」をベースに、山田監督が長年暖めてきた企画を映画化。リアリティのある作品でスマッシュヒットを飛ばし、夜間中学校の知名度が一気に上がったという。 事実を元にしていると言う事もあって、内容的には、解決がつかない切ない問題に押しつぶされそうな大人達と、それに関わりはしても、出来る事に限界がある先生の立場から観る人生模様と言った感じ。 ここに登場する人達は、もう自分自身の生活を持っていて、その中で学の無さを痛感している人達であり、学ぶ喜びというものを辛い現実を忘れるために用いているところが垣間見えたりする。 普通に義務教育を経ている身としては、中学なんて鬱陶しいだけのものだったが、この映画観てると、なんと贅沢な思いをしてきたんだろうという気にさせられてしまい、なんだか身に迫る。 それに応える役者陣がベテラン揃い。全員本当に生き生きした存在感を見せてくれてる…多分邦画にとって“失われた10年”の間、こう言う演技を求められてなかった役者側としては、本当に待ち望んでいた役だっんだろう。実に生き生きした演技を見せてくれている。 学校を通して人の人生を垣間見るというこの設定はとにかく優れているので、これを観た当時「これは続編出るよな」と思ってたものだが、この後4作も続くとは思わなかった。でも監督を変えて、今でも続けて構わないんじゃないかという気もしてる。 |
男はつらいよ 寅次郎の青春 1992 | |||||||||||||||||||||||||||
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寅次郎(渥美清)は宮崎の港町で理髪店の主人蝶子(風吹ジュン)のもとに居候していた。一方、満男(吉岡秀隆)の思い人である泉(後藤久美子)は東京のレコード店に就職していたが、高校時代の親友の結婚式で宮崎に出かけ、偶然、寅に出会う… 「髪結いの亭主」を下敷きとした物語。満夫と泉、寅と蝶子という組み合わせで話が展開していくのだが、ウェイトはどうやら満男の方にあるようで、モラトリアム青年でありながら、恋することは寅さんばり…はっきり言わしてもらうと、全然満男君には共感しないし、それが寅さんに対し分かったような口を利いてる。それが妙に腹立つし、寅さんも寅さんでほとんど状態。しかも惚れた相手を傷つけたまま去ってしまう…正直、これは私には駄目だ。観てる内に腹が立つばかりで全然面白くなかった。何より、寅の気持ちを満男が全部代弁してしまったのがいかん。映画というのは言葉で説明しては一気に陳腐化してしまう。それが分からない山田監督でも無かろうに。満男の存在はどうにもいやだ。 良かったのは永瀬正敏が田舎の純朴且つ不敵な漁師役をやっていて、その描写だけが良かったくらいか? 近年のシリーズでは満男と寅さんが交互に中心となる話が展開していたが、本作では連発して満男が中心となっている。これは、渥美清のガンが発覚し、動けなくなってきたから。と言うことが真相らしい。 |
男はつらいよ 寅次郎の告白 1991 | |||||||||||||||||||||||||||
1991日本アカデミー脚本賞 | |||||||||||||||||||||||||||
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名古屋に引っ越した泉(後藤久美子)が就職のために上京してくる。実はそれは、母の再婚話にショックを受けた泉が家出同然にやってきたことだった。しかし就職活動は上手くいかず、泉は一人鳥取に旅に出る。泉の出した絵はがきでそのことを知った満男(吉岡秀隆)も早速鳥取に向かうが、そこには何故か寅次郎(渥美清)が… 満男君が主人公となった話はどうにも好きになれない。あのイジイジした性格や、内弁慶で両親にだけ反抗する姿が、なんか昔の自分を思い出させるから(笑)…いや、まだ成長してないかも? 寅さん独自の物語としてはそこそこ面白い部分もあるんだが、なにせ主人公が満男だけに、基調が情けない作品に仕上がってしまった。 ところで、満男君、ここではえらく鋭い寅さん批評をしてる。寅さんは高嶺の花に憧れるけど、それが寅さんになびくと、途端に臆病になる。か。事実その通りなんだが。 ところで、この映画が作られた時代は日本ではバブルの末期。泉の就職活動があんなに難航するのはちょっと変じゃないかな?それともバブル弾けた後だって演出だったのか?(私もこの年に就職したから、実体験として分かるんだけど)。 |
息子 1991 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1991日本アカデミー作品賞、主演男優賞(三國連太郎)、助演男優賞(永瀬正敏)、助演女優賞(和久井映見)、新人俳優賞(和久井映見、永瀬正敏)、監督賞(山田洋次)、音楽賞、撮影賞、照明賞、美術賞、録音賞、編集賞 1991ブルーリボン助演男優賞(永瀬正敏) 1991日本映画批評家大賞作品賞 1991キネマ旬報日本映画第1位 1991毎日映画コンクール大賞、監督賞、撮影賞、男優主演賞(永瀬正敏)日本映画ファン賞 1991報知映画作品賞、主演男優賞(永瀬正敏) 1991ヨコハマ映画祭第8位 |
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男はつらいよ 寅次郎の休日 1990 | |||||||||||||||||||||||||||
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大学に入ることができた満男(吉岡秀隆)だったが、なんだかパッとしない毎日を過ごしていた。そんなある日彼の初恋の相手で今は名古屋に住む泉(後藤久美子)がやって来た。泉は愛人と同居しているという父・一男(寺尾聰)を説得しに来たのだった。そして親探しの旅に出る泉に同行し、九州まで行く満男だったが… この辺になると、物語は寅さんじゃなくて完全に満男と泉の方が中心となっていく。シリーズが方向転換しているのは分かるけど、やっぱりこれは男はつらいよじゃないよなあ。それにこの話は後藤久美子と夏木マリの二人だけ目立って、吉岡秀隆はおろか、渥美清さえも全然目立たせることが出来ずに終わってしまった。それと夏木マリの個性がちょっときつすぎ。なんか悪女っぽい印象もあるし。 いくつかシリーズを通しての楽しいシーンなども散らばらせてはいるのだが。 |
男はつらいよ ぼくの伯父さん 1989 | |||||||||||||||||||||||||||
1990日本アカデミー助演男優賞(吉岡秀隆)、助演女優賞(後藤久美子) | |||||||||||||||||||||||||||
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柴又に帰ってきた寅次郎(渥美清)にさくら(倍賞千恵子)は息子の満男(吉岡秀隆)が大学受験に失敗して悩んでいるので力になってほしいと頼まれる。気軽に引き受けた寅だったが、飲み屋に誘って話し合う内、満男の悩みとは受験だけではなく、初恋の相手泉(後藤久美子)についてと言うことが分かる。佐賀に越してしまったという泉と満男を引き合わせるべく寅は一肌脱ぐことにしたが… シリーズもこの辺から中心は寅じゃなくて満男の方に流れていくのだが、本作がその皮切りとなる。どうもこのストーリー展開が好きになれなかった。テレビ・シリーズの『北の国から』での純役で慣れ親しんだ吉岡秀隆が、本当にそのまんまの役で登場してるんで、どうにもこのイジイジした青年が中心となってしまうことに苛々させられるし、それに根本的に後藤久美子が好きじゃないから… まあ、ここで満男に苛々するのは、要するに私も同じような状況にあったことがあって、つくづく自分が内弁慶な人間であることを痛感させられたお陰でもあるのだが。 それにしても寅さん、ちょっと引きすぎじゃないの?相手の壇ふみが人妻役だからどうしても引かざるを得ないのは分かるのだが、満男のためだけに必死に弁解する姿とか、これじゃ良い伯父さんになりすぎだよ。 そろそろこのあたりから渥美清の健康状態がきつくなってきたという事情があるにせよ、どうにも好きになれず。 |
男はつらいよ 寅次郎心の旅路 1989 | |||||||||||||||||||||||||||
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旅の途中の寅次郎(渥美清)は、自殺を図ろうとしたサラリーマン坂口兵馬(柄本明)を助けた。精神を病んでいた坂口は、寅と一緒にいたいと言って、一緒にウィーンへ行こうという。軽い気持ちでOKしてしまった寅は、ついに初めて日本を離れ、ウィーンへ。そこで坂口とはぐれてしまった寅は偶然に知り合った江上久美子(竹下景子)という美人の日本人ツアーコンダクターと、日本人マダム(淡路恵子)と出会う… シリーズ中ではメインの舞台が日本以外の場所なのは本作のみ。かなり思い切ったことをやったが、やっぱりバブルの影響がこんなところにも現れているのかも知れない。 ウィーンの町並みは綺麗だし、物語として破綻してはいない。それにやってることは全く同じなんだけど、やっぱり寅さんは日本にいてこそだ。海外に行ってしまうと、シリーズのパロディのように思えてしまった。結果として、なんかはまりきれないものを感じてしまった。 竹下景子はシリーズではこれで3回目の登場。3回とも全く違った役割で登場してるんだが、相性が良いんだろうかな?倍賞千恵子に続くキャラとして考えていたのかも知れない。この人の登場回はオープニングが寅の夢でないことも一致してたりする。 今回はむしろキャラとして立ってたのは柄本明の方だったな。変な役やらせるとやっぱり巧い(ひょっとして素?)。 ところで、2009年になってこのウィーンで「寅さん公園」なるものが出来たというニュースがあり。いつの間にやら世界的に知名度が上がっていたようだ。 |
男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日 1988 | |||||||||||||||||||||||||||
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旅先の信州で寅次郎(渥美清)は中込キクエ(鈴木光枝)という老婆の家で一晩世話になった。その翌日に迎えに来た原田真知子(三田佳子)に連れられ、彼女は入院することになったが、寅が真知子に一目惚れしてしまって… ベストセラーとなった俵万智の短歌集「サラダ記念日」をジョイントした作品。この時代では結構珍しくなった寅さん自身の恋愛が主軸の作品で、ストーリー的には好みだし、久々にやんちゃくれの寅さんが観られる上に、大学の講義での寅さんの奇矯な行動が笑えるので(後半は変に善人になっちゃうからなあ)、小編としてはかなり好きな作品。シリーズ初期にちょくちょく現れていた社会問題への提起もここでは行われていて、医師の悩みとして、寿命を延ばすのが果たして本当に正しいことなのか。と言う事も改めて語られており、その辺現実問題に入り込んできてる(とはいえ、寅さんのお陰で真剣な話にはならないのだが)。 ただ、短歌を挿入する演出はどうなんだろう?なんとなくあざとすぎる気もするんだが…う〜ん、でも結構はまっていたような気もするし。その辺評価は難しいかな? 今回マドンナ役の三田佳子だが、どっちかと言えば彼女の姪役の三田寛子の方がしっとりした良い演技を見せてたけどね。 |
男はつらいよ 寅次郎物語 1987 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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とらやに秀吉(伊藤祐一郎)という男の子が一人で訪ねて来た。実はこの子は寅の香具師仲間の子で、寅が名付け親だという曰く付きの子。父の“般若の政”のあまりの横暴に母のふで(五月みどり)は蒸発し、政も死亡し、身寄りのない秀吉は寅を頼ってきたのだった。名付け親の責任と、秀吉を連れてふでを探す旅に出る寅だったが、吉野の旅館で秀吉は高熱を出してしまう。大あわての寅だったが、たまたま隣室にいた高井隆子(秋吉久美子)という女性が看病を手伝ってくれた。成り行き上寅と隆子はお互いを「とうさん」「かあさん」と呼び合うようになるが… この年公開された前作『男はつらいよ 知床慕情』に引き続くようにシリーズ中特異な位置にある作品。なにせここには表だって恋愛感情は存在しない。その代わりとして既に夫婦になってしまってるけど(笑)。年齢的には渥美清と秋吉久美子とでは釣り合いが取れないが、不思議とそれがはまって見えるのが不思議。出来れば後半で話を変えないで、これをずっと続けて本物のロード・ムービーにしてしまえば面白かったのに。 それだけじゃなくて、本作は私にとって思い出深い作品でもあった。学生時代に北海道までバイク旅行に出かけ、帰りにフェリーに乗った際、船のスクリーンで上映していた作品だったのだ。その時までにシリーズはさほど観ていなかったけど、なんだか意外なストーリーで、かえって興味が惹かれた…尤も、その時は旅の疲れであんまり記憶がないんだが…とりあえず寝はしなかったよ(笑) これまで作品名が分からなかったが、たまたまテレビで放映していて、やっと再会できた。 寅さんは常に旅に出ているけど、旅そのものを題材とした作品って実はこれだけなんじゃないかな? |
男はつらいよ 知床慕情 1987 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1987ブルーリボン助演男優賞(三船敏郎) 1987キネマ旬報日本映画第6位 1987毎日映画コンクール日本映画優秀賞、男優助演賞(三船敏郎) |
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久々に柴又に帰ってきた寅次郎(渥美清)はおいちゃんが入院した事を聞き、一念発起。店を手伝うと申し出る。だが、上手くいくはずはなく、さくら(倍賞千恵子)には叱られるわ、おばちゃんはこんな男に店を継がせるのは嫌だとごねてしまう。それで又しても旅に出た寅は北海道の知床で武骨な獣医・上野順吉(三船敏郎)と出会い、彼の家に居候することになった。人嫌いで通っている順吉だったが、ぶっきらぼうながら彼の世話を焼いてくれるスナック“はまなす"のママ・悦子(淡路恵子)に憎からず想いを寄せていることに寅は気づいた。そんな時、東京から順吉の娘、りん子(竹下景子)が帰ってくることになった。親子の仲を取り持っている内に、りん子に惚れてしまった寅だが… 1987年邦画興行成績4位。 色々とこれまでのシリーズとは異なった部分が多い作品。定番の冒頭での夢が無く、寅の花見の想い出から始まり、おやおや。とか思っていたら、メインヒロインが竹下景子。あれ?この人3年前の『男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎』でもマドンナ役やってるじゃない?全く違う役を演らせてるなんて、らしくないな…と、思ったら、内容もかなりいつもとは違う。 本作は「男はつらいよ」の体裁を取っているものの、実質的には三船敏郎を中心とした、その個性を活かしたコメディ作品である。特にラストの、無骨な声で振り絞るように愛の告白をしたシーンは、三船ファンにとってはたまらない名シーンとなった。 出来としては老いたりとは言え、三船敏郎が無骨な“漢”って感じで好演してるし、三船と淡路恵子の恋物語は完全に寅さんを脇に追いやってしまっていた。 二度目の竹下景子も落ち着いた雰囲気でかなり感じ良し。落ち着きすぎて、確かに好意は持っているにせよ、本当に恋愛感情を持ってるのかどうかも分からないくらい。これから。と言うときに寅の方が逃げ出してしまった。 後、やっぱり北海道を舞台にしただけあって自然の描写がかなり良し。三船敏郎をあまりに意識しすぎてるためにストーリー的には取り立てて言うべきところが無いのがちょっと難点だが(笑) |
キネマの天地 1986 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1986日本アカデミー新人俳優賞(有森也実) 1986ブルーリボン助演男優賞(すまけい) 1986毎日映画コンクール日本映画優秀賞 1986報知映画助演男優賞(ますけい) |
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1933年。病弱の元人気芸人喜八(渥美清)を支えて浅草の活動小屋で売り子をしていた田中小春(有森也実)は松竹キネマの小倉監督(すまけい)にスカウトされて蒲田撮影所の大部屋に入る。だが演技の出来ない小春は当の小倉監督によって罵倒されてしまう。そんな彼女を支えたのは小倉組の助監督島田健二郎(中井貴一)。彼のお陰で女優としての勉強を続け、スターの階段を上り始める小春。だが、彼女の女優生活を快く思わない父の喜八や、映画作り以外に情熱を持たない島田の間で、彼女は揺れ続ける。そんな時、最後の蒲田大作となった作品『浮草』で主演の川島澄江(松阪慶子)が失踪してしまうという事件が起き、その代打にヒロイン役が小春に巡ってくるのだった。 1936年に大船に移転する直前の松竹蒲田撮影所を舞台とした一種のバックステージ作品で、1986年邦画興行成績5位。 邦画斜陽と言われる1980年代の邦画界だったが、この時代にこんな古いタイプの作品が13億円の配給収入を得たのが興味深いところ。製作の野村芳太郎の目が確かで、山田洋次監督の実力があったのは確かだが、同時に本作が映画の「古き良き時代」を切り取って出してくれたと言うことで古い映画ファンに受け入れられたと言うのが大きいだろう。流石に50年前の蒲田撮影所を覚えてる人は少なかろうが、邦画ファンだったらビデオやテレビなどで当時の映画を知っているし、それに映画に活気があった時代とはどんなのだろう?と言う好奇心もそこにはあってのことだろう。 物語自体は一人の少女が本物の女優となるまでの成長物語だが、数多くの映画にまつわる小ネタがふんだんに使われていて、その遊び心がなんとも心地良い。多分私が知ってるのもほんの一部に過ぎないのだろうけど、知ってる人間が観るなら、更に「あー、これはここからだ」というマニアックな楽しみ方が出来るんじゃないだろうか?事実私が最初に観た時は全然ネタが分からなかったものだが、今観たら笑える細かい描写が結構発見できた(松竹だけあって、明らかに小津映画を拝借してみたり、島田の下宿にあった映画の本を読んだ公安が「やっぱりマルクス持ってやがる」とか呟いてみたり…)。もうちょっと邦画をたくさん観るようになったら、又観直してみたいものだ。 映画そのものに愛情を持って作られているのがよく分かるが、なにせ山田洋次が松竹を舞台として作っただけあって、渥美清、倍賞千恵子、下條正己、笠智衆、前田吟、吉岡秀隆と言った、男はつらいよシリーズの出演者ほぼ全員が顔を揃えている。それぞれに役柄が違っているのだが、渥美清は寅さんだけじゃない名優であることを改めて示すことも出来たのが大きいだろう。 ちなみに当初主役の小春役には藤谷美和子が予定されていたが、降板してしまい、新人の有森也美が大抜擢されたという。まるで物語そのもの。 |
男はつらいよ 幸福の青い鳥 1986 | |||||||||||||||||||||||||||
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寅次郎は旅した筑豊で昔ひいきにしていた旅役者一座の座長の訃報を耳にし、焼香に行った寅次郎はそこで残された娘・美保(志穂美悦子)と出会う。その後寅次郎を頼って上京した美保がチンビラにからまれていたところを看板書きの仕事をしている健吾(長渕剛)に助けられるのだが… 1987年邦画興行成績7位。 かつて寅さんが『男はつらいよ 寅次カ恋歌』(1971)で関わった旅芸人の一座の少女が成長して寅さんの前に現れた。当時は岡本茉莉が演じていたが、ここでは志穂美悦子となって。 寅さんがキューピット役を務める作品って実はあんまり好きじゃない。寅さんはやっぱり自分の恋を貫いてこそ、寅さんらしい。でも、いくつか気に入った作品は確かにあって、これはその筆頭かな?だって、当時ファンだった志穂美悦子と長渕剛の二人が出ていたし(学生時代に挫折感を味わうと、当時は長渕剛か尾崎豊に流れるのが普通だった…と、思うんだが?)、後でこの二人が結婚したと聞いて、なんか祝福したくなった。割合後々まで残った作品だった。 長渕剛ってこの頃(今もか?)アウトローを気取っていて、本作でも極めてぶっきらぼうな役で登場してるのがなんだかほほえましかったし、あんなに強かった(?)志保美悦子がこんなに健気な役をやるのも新鮮な気分。 それと恥ずかしい話だが、新米画家役の長渕剛がはまっていたので、「やっぱり芸術家は違うな」と思った記憶がある。こりゃファンの贔屓目なんだが、私も単純だったんだなあ、と今になってしみじみ。(後になってふざけた言動が多くなりすぎたため、現在はファンは止めてしまってるけどね) |
男はつらいよ 柴又より愛をこめて 1985 | |||||||||||||||||||||||||||
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タコ社長の娘あけみ(美保純)が家出した。伊豆下田にいるというあけみはとらやに電話をかけ、一言「寅さんと会いたい」とだけ伝える。偶然にも丁度柴又に帰ってきた寅次郎(渥美清)は早速あけみを連れ戻しに伊豆に向かう。昔の仲間のツテをたどって首尾良くあけみを見つけ出すことに成功した寅だったが、偶然式根島の教師真知子(栗原小巻)と出会い、一目惚れしてしまう… 1986年邦画興行成績8位。定番となったとらやでの喧嘩は本作にはなく、危機を前に一致団結する姿が描かれているのが物語り前半での違いか?それで今回は寅さんの恋愛が主軸となっているのだが、キャラクターが立っているのは渥美清よりもむしろ美保純の方。そっちの方にウェイトがかかってしまったので、寅さんの恋愛が少々目立たなくなってしまった感じがあり。 今回は寅さんが自分主体で恋愛に動くと言うよりは、栗原小巻の方が頭で考えるインテリ的恋愛観を蕩々と述べ、それを寅さんに投げかけると言った感じで、寅さんの方が受け身になってしまったのも問題かも。結果的に翻弄されて一方的にふられてしまった。 ラストは『二十四の瞳』(1954)をパクり。これも確かに一つの手なんだろうけど、ネタがなかったの?更に言えば、なんで副題が「柴又より愛をこめて」なんだろう?ちょっと疑問。 |
男はつらいよ 寅次郎恋愛塾 1985 | |||||||||||||||||||||||||||
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長崎の五島列島にテキヤ仲間のポン州(関敬六)とやって来た寅次郎(渥美清)。二人はケガをした老婆、江上ハマを助けたことから、その晩一宿のもてなしを受けることになった。その晩一人暮らしのハマの家でドンチャン騒ぎをするのだが、翌日「楽しかった」との言葉を遺し、ハマは息を引き取る。讃美歌流れる葬儀の日、寅はハマの孫娘で東京に住む若菜(樋口可南子)と出会う。柴又に戻った寅は早速若菜に会いに行くが、彼女のアパートには司法試験を目指し勉学中の青年、民夫(平田満)と合う。彼が若菜に恋心を抱いていることにピンっときた寅は、民夫に恋愛の極意を伝授しようとする… 1985年邦画興行成績8位。寅さんが恋愛から一歩引き、キューピット役をするパターン。シリーズ中これが一番嫌なパターン。まあ、男優の方に魅力があれば別なんだが。平田満は良い役者だと思うけど、これに関してはちょっと魅力が足りなかったか?樋口可南子も魅力という点では今ひとつ。しかも徹底したパターンで終わってるし。むしろアイコンタクトで状況を伝え合う寅とさくらの演技の方が見所かも知れない。 ただ、メインエピソードではないけど、ここでは寅の相棒として登場するポン州が面白い。地で「レ・ミゼラブル」をやってくれる役回りなんだけど、そこだけが笑えた。本作で評価できるのはそれくらいか。 |
男はつらいよ 寅次郎真実一路 1984 | |||||||||||||||||||||||||||
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久々にとらやに帰った寅次郎(渥美清)だが、早速社長と喧嘩をやらかし、上野の焼き鳥屋でヤケ酒を煽っていた。そこで知り合った証券会社に勤める富永健吉(米倉斉加年)にごちそうになる。お礼のつもりで翌日健吉を飲みに誘った寅だったが、その日もへべれけに酔っぱらい、彼の家にやっかいになる。そこで出会った健吉の妻ふじ子(大原麗子)に一目惚れ。相手は人妻。ぐっと我慢する寅だったが、なんと健吉が家出をしてしまい、ふじ子が寅を頼ってくる。ふじ子と共に健吉の故郷鹿児島に向かうのだが… マドンナに二度目の大原麗子を迎えての作品で1985年邦画興行成績5位。人妻のよく似合う大原麗子は、しっとりしたはまり役だったが、この人が画面に登場すると、途端に時間の流れが遅くなってしまうように思えてしまうのがミソだろう。渥美清と一緒に出ていると、物語のペースそのものが全く違ってくる。これも大原麗子という女優の持つオーラなのかも知れない。そのスローモーションぶりが、無意識な媚態になってしまうので、それはそれで本作にはぴったりの役柄にもなってる。 今回相手役が人妻だと言うことで、道ならぬ恋であり、最初から寅さんのことなど恋愛対象でなかった訳だが、だからこそ寅さんの揺れる心情がよく現れてたのが何とも上手いところだ。一目惚れから、身を引こうとぐっとやせ我慢する姿。傍らにふじ子を伴うことで、恋心を抑えながら、あるいは?と言う希望を持つ姿。ふじ子のために旦那の健吉を探しながら、探せない方が良かったと思いながらそれでも探さねばならない姿。結局渥美清の演技を見るための作品だって印象が強い。そう言えば寅がふじ子を突っぱねるシーンで「俺は汚ねえ男です」と呟くのは、あれは『無法松の一生』かな? ただ、本作の場合、一つだけ涙が出るほど嬉しいシーンが…言うまでもないが、オープニングの夢のシーンに他ならない。科学者となった寅さんの前に現れた怪獣の姿、これは涙を誘う。東宝にはゴジラが、大映には大魔神とガメラがいる。そして松竹にはギララがいるんだ。ただ、この作品『宇宙大怪獣ギララ』(1967)一作しか作られてなかったし、その知名度となると、ほぼ致命的に低い。なにせあの姿を見た博が「ゴジラだ!」と叫ぶほどの…更に言うと、一度も「ギララ」と呼んでもらえない。これだけ自虐に溢れていながらも、ちゃんと登場させてくれただけでも、なんかとても嬉しいもんだ(ちなみにここで怪獣を出したのは、この年に復活した『ゴジラ』にエールを送るためだったとも言われる)。 |
男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎 1984 | |||||||||||||||||||||||||||
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北海道へ渡った寅次郎(渥美清)は釧路でフーテンの風子こと木暮風子(中原理恵)と知り合う。一緒の宿に泊まった寅次郎と風子は女房に逃げられたという福田栄作(佐藤B作)と相部屋になった縁で、彼の女房探しを手助けする羽目になる。更に風子の恋人のトニー(渡瀬恒彦)と出会うが、風子はトニーから逃げるようにして東京へ… 1984年邦画興行成績6位。 邦画の不振に呼応するかのように男はつらいよもこの辺の年代は今ひとつのが続いてしまっている。今回もやっぱりちょっと好きになれず。結局我が儘な女の子と、情けない男に振り回されっぱなしで終わるし、最初から最後まで自分が渡世者であることを強調しっぱなしで、結局逃げて終わる寅の姿も嫌らしく感じる。「とらや」の面々も今回に関しては魅力が無かったし。更に笑いを取ろうとしてるのが見事に全部失敗。二件の結婚式があったけど(社長の娘あけみと風子)、それがアンバランスさの元だったかと思われる。 そしてやっぱりラストのあの熊。見事なくらいの外し具合。 …なんだかな。全部見事に外して終わってしまった感じ。これに限らずこの近辺の年の邦画は概ね好みから外れているもんだが、そう言う時期だったのかな? |
男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎 1983 | |||||||||||||||||||||||||||
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備中高梁にやってきた寅次郎(渥美清)。ここには義弟の博(前田吟)の父の墓があり、その三回忌に墓参りに来たのだった。そこで寺の和尚(松村達雄)と娘の朋子(竹下景子)、そしてその弟の一道(中井貴一)に出会う。和尚と意気投合した寅はその晩大いに飲んだは良いが、翌日和尚は二日酔いで大切な法事に出ることが出来なくなった。責任を感じた寅は袈裟を身にまとい、和尚の代わりに法事に出かけ、大受け。更に悪のりした寅はなんと博の父の三回忌にまで出かけていくのだが… 1984年邦画興行成績5位。都合三回マドンナとして登場する竹下景子が初めてマドンナになった話(ちなみに吉永小百合や浅丘ルリ子とは異なり、三作全部別人役)。 久々に悪のり寅の姿が見られる作品で、和尚の代わりに出た法事で、口から出任せをぽんぽん出して、大笑いさせて、それでも説法として受け取らせるあたりは、観てるこちらとしては本当に大笑いだったし、博とさくらの前に袈裟姿で登場した時のお互いの表情のやりとりには大笑い。 今回は寅さんだけじゃなく中井貴一扮する一道の恋物語も絡めて描かれるが、それが後半のバランスを崩してしまった感じ。前半部分に力を入れすぎたかな? それでも竹下景子との恋愛劇はかなりしっとりした話で、上手くいきそうな雰囲気も強いんだけど、結局寅さんの方が逃げちゃって終わり。ラストはやや月並みっぽいかな?ちょっと残念。 |
男はつらいよ 旅と女と寅次郎 1983 | |||||||||||||||||||||||||||
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相も変わらず柴又で家族と喧嘩をしてしまい、寅次郎再び行商の旅へ出る。新潟に出、佐渡へ渡る際、失恋の旅に出た演歌歌手の京はるみ(都はるみ)に出会う。彼女のことに気付かぬまま意気投合した二人だったが… ヒロインに都はるみを配し、しかも彼女自身を思わせる演歌歌手という設定で見せようとした作品。この作品の出演前に都はるみは引退宣言をしているが、自身を思わせるこの役で、それを表現して見せようとしたのだろう。 ただ、それは分かるんだが、なんだか最初っから恋愛を無視してるんじゃないか?真相が分かった途端、恋する寅さんは及び腰になっちゃうし、積極的にアプローチをかけるどころか逃げようとしてるし。これではシリーズの魅力も半減。そりゃ、都はるみファンにとっては、ちゃんと歌ってくれるから嬉しいんだろうけど、中途半端以前の問題だ。終わった途端「なんじゃい。これで終わりかい」と言うつぶやきが出てしまった。 |
男はつらいよ 花も嵐も寅次郎 1982 | |||||||||||||||||||||||||||
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大分の湯平温泉で寅次郎(渥美清)は東京で動物園に勤める青年三郎(沢田研次)と出会った。一月ほど前に病死した母の骨を故郷に埋めに来たという親孝行ぶりに感心し、供養を開く。その際、旅行に来ていた二人のOL螢子(田中裕子)とゆかり(児島美ゆき)を供養会に参加させたのだが、この地を去る際、三郎は螢子に付き合って欲しいと言う。そして東京に戻った二人は付き合い始めるのだが… 1983年邦画興行成績4位。 寅さんがぎこちない恋物語を応援する話。シリーズ中期から後期にかけてこのパターンは増えていくが、正直このパターンはあまり好きじゃない。寅さんが良いおじさんになりすぎなんだよ。 それで重要となるのは、寅さんではなく、競演する男優の魅力にかかっていくが、沢田研二を登場させた本作はその中では比較的健闘した方だと思う。あの、フェリーに乗る田中裕子を見送る時、思わず駆け寄って、「つきおうてくれませんか?」と訛りむき出しで告白するシーンはかなり見応えあり。元より沢田研二は関西出身なので、関西弁丸出しの方が映えるのは事実(これまではそう言う役をやらせないようにプロダクションの方も手を回していたらしいが、多少人気に陰りが出てきたため、ようやく素が出せるようになってきたのは皮肉な話でもあり)。 寅さんに絡まない分、田中裕子に少々魅力が感じられないのはなんだが、結局この二人結婚してしまうわけだから、そう言う意味では一つの見所でもあるのか? |
男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋 1982 | |||||||||||||||||||||||||||
1982ブルーリボン主演男優賞(渥美清)、助演男優賞(柄本明) 1982助演男優賞(柄本明) |
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葵祭でにぎわう京都で寅次郎(渥美清)はひとりの老人と知り合った。老人は加納という有名な陶芸家で、妙に寅を気に入ってしまい、寅もしばらくの間、そこに居着くことになるのだが、そのお手伝いのかがり(いしだあゆみ)が恋破れ、逃げ出す姿を見てしまう。その後、旅の途中でかがりの故郷丹後へとやってきた寅はかがりと再会し、一晩宿を借りることに… 1982年邦画興行成績9位。 男はつらいよのシリーズではいくつかのパターンがある。その内数はさほどないけど、女性から惚れられているのに、意気地なく逃げてしまうと言うのがある。今回の話はまさにそれ。パターンとしては悪くないんだけど、なんだかとても歯がゆい気がしてならない。特に今回はちょっと演出も今ひとつって感じで、どうにも乗り切れなかった。特に今回はいしだあゆみ扮するマドンナかがりが積極的な分、空回りになってしまった。 それと、今回に限ってのことだと思うのだが、いしだあゆみが娘に添い寝するシーンで、ここまでにはほとんど存在しなかった色っぽさの演出もある。でもなんかそれが妙に違和感を感じさせてしまう。 キャラについては、いしだあゆみが艶っぽい役で好演してるが、なんかそれだけって感じ。別れもあっさりしすぎだし。むしろ本作で映えていたのは柄本明の存在の方。この人の場合、地なのか演技なのかよく分からないけど、不思議な魅力があるな。 |
男はつらいよ 寅次郎紙風船 1981 | |||||||||||||||||||||||||||
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九州へ旅に出た寅次郎(渥美清)はたまたま旅館で愛子(岸本加代子)と言う娘と相部屋となる。二人暮らしの兄の元から逃げ出したという愛子は寅さんと意気投合し、商売のサクラをするまでになった。そんなある日、寅さんは、自分の兄貴分のテキ屋仲間常三郎(小沢昭一)が病気になったと聞き及び、彼の元に急行する。死を覚悟した常三郎は寅さんに、自分が死んだら女房の光妓(音無美紀子)をもらってくれと頼むのだが… 1982年邦画興行成績6位。 男はつらいよのシリーズは時期により寅さんの性格が変わってくるように思えるのだが、私が好きなのは前期の頃、本当に与太者然とした寅さんの姿。元々が社交的ではないくせに大きな口を叩き、知り合いからつまはじきにされてしまうような役柄。とても人間が好きなのに、正直になれなくていつも喧嘩ばかり(中期になるとそれが女性限定となり、後期になると全く人当たりが良くなってしまう。これも寅さんの成長なんだろうと私は捉えてる)。 本作の前半部分、同窓会のシーンは初期のシリーズを思わせる演出で(それでも随分当たりは良くなったけど)、昔の寅さんが帰ってきたなあ。って感じで好ましい。 兄貴分の常三郎との会話も良かった。浮き草稼業のテキ屋は本当に何も持たずに世界から身を引く。そんな潔さも覚える演出が良い。 ただ、今回マドンナを二人用意してしまったため、中盤から話に一貫性がなくなってしまったのが残念なところ。一応音無美紀子の方がメインとなるはずだが、岸本加世子の存在感が妙に高いのが、物語にややちぐはぐさを与えてしまった。 良いところも多い話だったのだが、話があっちに行ったりこっちに行ったりしていた分、作品としてはちょっと評価しづらいな。 |
男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎 1981 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1981毎日映画コンクール女優助演賞(倍賞千恵子) 1981報知映画主演女優賞(松阪慶子) |
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瀬戸内海の小さな島で寅次郎(渥美清)はふみ(松阪慶子)という女性に出会った。実は彼女は大阪の芸者で、たまたま今度は大坂に行商に来た寅と再会する。彼女には生き別れになった弟がいて、二人でその弟英男を探しに行くのだが… マドンナに松阪慶子を迎えての作品。1981年邦画興行成績5位。ここでの舞台は大阪だけに、大阪芸人が大挙して出てくるのが特徴と言えば特徴。 今回の松阪慶子は芸者役とあって、艶っぽさは申し分なし。ちょっと大阪弁がわざとらしすぎる気もするが、その分人情味に相当重点が置かれている。 今回は完全に寅のことを惚れているマドンナを、寅自身が保護者になってしまったためにふられてしまった。優しさが、逆にマドンナを傷つけてしまったことになったわけだ。中〜後期のパターンだが、これはこれでかなり寂しい終わり方でもある。 ただ、この終わり方は寅次郎忘れな草と同じで、ちょっと使い回しっぽくはあるな。 |
男はつらいよ 寅次郎かもめ歌 1980 | |||||||||||||||||||||||||||
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柴又に帰った寅次郎(渥美清)はさくら(倍賞千恵子)が家を買った事を知り、奮発してお祝いを贈るのだが、それが元で又しても喧嘩してしまい、再び旅へ。そして北海道で昔のテキ屋仲間が病死したことを聞き、奥尻まで墓参りに行くのだが、そこでその娘すみれ(伊藤蘭)と出会う。東京に出て働きながら学校に行きたいというすみれを東京に送り届ける寅だったが、すみれのことが心配でならない。結局夜間学校にまで入り込んですみれを見守ることに… 1981年邦画興行成績4位。伊藤蘭をマドンナに迎えての話だが、どう見ても寅さんとは年齢が合わないので、結局今回は寅さんは保護者っぽい役割を演じることになる。すみれに対する寅さんの愛情は、むしろ父が娘を見守るタイプとなっているが、これはこれで結構良かったんじゃないかな?伊藤蘭も純情そうに見えながら、結構やることはやってる娘の役を巧く演じていたし、それが良く似合っていた。 ただむしろ今回は寅さん自身の話術の魅力が映えていた。これまで何度か寅さん自身が喋っていたけど、子供の頃の話が面白かった。こういう役を演じることで、新しい魅力を出してるんだな。保護者を自認する寅が、徐々に惹かれていくという過程も楽しめる。今回は純粋に渥美清自身の演技を楽しむ作品として考えるのが正しいかも。 又、今回は意外なさくらの性格の悪さが出ているのも面白い。社長の前でボーナスの話を出して落ち込ませるとか…これが天然なのか、母の強さなのかは不明だけど。 ちなみに本作は夜学が舞台になっているが、これは後に山田監督が撮ることになる『学校』の脚本を考えてる時に思いついたのだとか(実際に夜学は『学校II』の方だが)。新シリーズのプロトタイプとしての意味合いもあったらしい。 |
男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 1980 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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柴又に帰ってきた寅次郎(渥美清)宛てにやってきた一通の手紙。それはかつて寅が出会ったキャバレー歌手のリリー(浅丘ルリ子)からだった。彼女は沖縄のクラブで唄っていたが、急病で倒れ、入院中だという。そして、手紙には「死ぬ前にひと目寅さんに逢いたい」と書いてあった。とらやの一同は、飛行機嫌いの寅次郎を説得して沖縄へ送り出す。寅の顔を見て病状が回復したリリーと寅は、療養がてらに漁師の家を借り、そこで住むようになるのだが… 1980年邦画興行成績7位。リリーの登場する3回目のお話。とうとう同棲まで始めてしまい、今回こそ上手くいきそうな寅とリリーの意地の張り合いが楽しい。二人ともとことん普通の生活が似合わないが、最終的に結婚と言うことを考えるリリーと、リリーのことを好きではあるが、むしろ仲間意識で共同生活を送っている寅の意識の違いが出てくる。一方、車屋でのラストシーンでは全く逆に寅の方が結婚の話を持ち出し、逆にリリーはその結論から逃げていた。なかなか噛み合わない二人だ。 3度目ともなると、二人の呼吸は大分合ってるし、話としては結構見せてくれるのだが、その分柴又での話が端折られてる感じも受ける。 シリーズ内シリーズとして、ごく真っ当な話って所かな? |
遥かなる山の呼び声 1980 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1980日本アカデミー主演女優賞(倍賞千恵子) 1980報知映画主演女優賞(倍賞千恵子) |
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男はつらいよ 寅次郎春の夢 1979 | |||||||||||||||||||||||||||
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久々に故郷に帰ってきた寅次郎(渥美清)はとらやの二階に薬の行商人マイケル=ジョーダン(エデルマン)というアメリカ人が下宿していることを知り、しかも彼のためにごちそうを作っているのを知って外人嫌いの寅はおいちゃんに向かって怒る。しかもマイケルがさくらの頬にキスするシーンを見てしまったため、怒り心頭に発する。だが、その通訳を買って出た高井圭子(香川京子)を圭子を見て一目惚れした寅はすぐにマイケルと表面上仲良くしようとする。一方行商がどうしても上手くいかないマイケルは落ち込みを深める… 1980年邦画興行成績8位。うだつの上がらない、しかも寅によく似たアメリカ人を登場させることで、国際化を計ろうとしたのだろうか?しかしそれは見事に失敗してる。結局この話、主人公が二人になってしまってる。実際マイケルと寅の接点って、喧嘩しただけで、後はお互いに別々に行動してるので、話が二つに分かれてしまって、別々の話で終わってしまう。そのために非常にまとまりのない話になってしまった。 それにあれだけ苦労してるにもかかわらず、マイケルが最後まで報われずに終わってしまうのも哀しい。寅の方も寅の方で、全然マドンナとの話が進展しないまま。香川京子の印象が薄いし、娘役の林寛子の存在意義もなし。 なんにせよ、作品単体としての出来は悪すぎ。 |
男はつらいよ 翔んでる寅次郎 1979 | |||||||||||||||||||||||||||
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北海道を旅する寅次郎はそこで一人旅をしているひとみ(桃井かおり)と出会った。行きがかり上旅を共にした寅次郎は彼女が結婚を前にして悩んでいることを知る。その後、娘は社長令息の邦男(布施明)との結婚式を途中で抜け出し、ウェディング姿のまま寅さんを頼ってとらやへやってくるのだった… 1979年邦画興行成績4位。 このシリーズは基本的に好きなのだが、やはり48作もあると時折「おお!こいつは面白い!」と思えるのが出たり、逆に「何じゃこれは?」的なものが出ることがあるが、本作は後者。 時代は1979年。70年代前半で激しかった学生運動も終息し、その記憶から抜け出せない学生たちは自分たちの内に燻る炎をモラトリアムという形で表現し始めた時代。要するに、何もかも面白くない。だけど、どうやってもこの時代は変わりっこない。と最初から自分の可能性を放棄し始めた時代だ。疑似恋愛のマンガに逃避したり、あるいは刹那的な喜びがあれば事足りると思うようになった時代の先駆けとも言えるだろう(今もそれが続いていると言え無くないが…) 本作の桃井かおり演じるひとみも、まさにそれで、それが分かっていない寅さんはとまどいながら彼女を受け止めてやるしかなかった。特に、何もかも投げ出して物憂げな桃井かおりの姿は観ているうちに腹が立ってくる。 だけど寅さんの魅力ってのは人の良さを前面に出すのじゃないはず。自分勝手に生きて、人のことなど考えてないように見えながら、実は優しさを持っている。って感じが魅力じゃない?その寅さんはここにはいない。 やや『卒業』というか、『或る夜の出来事』っぽい物語展開もちょっと消化不良か?それに布施明を振る桃井かおりって、普通考えられないという問題もあり。 そう言えば、本作は珍しく最初からヒロインにふられることが分かってしまったと言う珍しい作品でもある。 |
男はつらいよ 噂の寅次郎 1978 | |||||||||||||||||||||||||||
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旅を続ける寅次郎(渥美清)は偶然博の父、諏訪一郎(志村喬)と出会う。最初一郎を巻き込んでの乱痴気騒ぎだったが、一郎から人生のはかなさを諭され、「今昔物語」を借りて柴又へと戻る。とらやの面々の前で人生の無常を一席ぶち上げた寅だったが、修行の旅に出るという、丁度の朝にとらやで新しく働き始めた荒川早苗(大原麗子)と出会ってしまう。夫と別居してるという早苗の相談相手になる寅だったが… 1978年邦画興行成績5位。1979年邦画興行成績3位。2年にわたってヒットを記録した作品。私もこの作品はかなり好き。 この時代のシリーズは結構色々と試行錯誤して新しい試みがなされていたのだが、本作は原点回帰っぽい作風に戻り、寅の恋愛を主軸に展開。マドンナも大原麗子だし、まっとうな切ない恋愛物語が展開されてる。 ただ、それだけじゃなく、久々に名優志村喬が再登場して、「今昔物語」の話を語って聞かせたり、泉ピン子が個性ある役回りで登場したりと、色々盛りだくさん。逆に言えば、それだけまとまりがない話だとも言えるけど… 志村喬扮する諏訪一郎が語った「今昔物語」はそれで充分聞き応えがあったけど、これが渥美清によって脚色されると、これが又、実に味わいが増す。子供の頃これを聞いて「今昔物語」に興味を持ったことを思い出した。結構深い内容を持った作品。 最後は静かに身を引く寅さんの姿も良し。 |
男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく 1978 | |||||||||||||||||||||||||||
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肥後の温泉にやってきた寅次郎(渥美清)は、そこで後藤留吉(武田鉄矢)という若者と知り合った。失恋してがっかりしたところを寅に励まされた留吉は寅を先生と慕うようになる。そして再び柴又に帰ってきた寅はさくら(倍賞千恵子)のかつての同級生で今はSKDの花形スターになった紅奈々子(木の実ナナ)と出会った寅は理由をつけては浅草国際劇場に通いはじめる。そんな時に寅の元を訪れる留吉は、寅と共にSKDの公演を観に行き、すっかりはまりこんでしまうのだった… 1978年邦画興行成績3位。 前作『男はつらいよ 寅次郎頑張れ!』の成功もあり、女優だけでなく、恋する男優にもスポットが当てられるようになってきたシリーズ中期の特徴を良く表す作品。それで今回の相方が武田鉄矢というのが面白いところ。この人、「金八先生」というはまり役を得るまでは常にふられ役ばかりやってきていたから。その期待を裏切ることなく、今回も見事な振られっぷりを見せてくれる。それで安心していられる部分もあるけど、ちょっと虐めすぎじゃない? 今回寅さんの恋の行方はパターンで振られる役だけど、同じSKDを舞台にしてるとは言え、二つの恋物語が変にちぐはぐになってしまってて、バランスが良くない感じ。 浅草国際劇場でレビューされていた今は無きSKD(松竹歌劇団)を後押しすべく作られた作品なんだろうけど、かえってその舞台裏の汚さというものを見せることになったのは失敗じゃないかな? |
男はつらいよ 寅次郎頑張れ! 1977 | |||||||||||||||||||||||||||
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柴又に帰ってきた寅次郎はとらやの二階に下宿人がいる事を知り、又しても大げんか。しかしその下宿人の“ワット君”こと島田良介(中村雅俊)と酒を交わす内に意気投合。彼の恋する大衆食堂の幸子(大竹しのぶ)との間を取り持つことになる。一旦は振られ、自殺未遂まで起こした良介と共に幸子の故郷平戸島へと行く寅だったが、良介の姉、藤子(藤村志保)に一目惚れしてしまい… この辺りから寅さんは他人の恋路を応援するようになってきた。女優だけじゃなく、男優の方にも力を入れようとしたんだろうけど、その分寅さんの個性が薄れていく。 今回はその過渡期ってことか、中村雅俊×大竹しのぶ、渥美清×藤村志保。と言う二組の恋愛劇が描かれることになるのだが、中心となる物語は中村雅俊×大竹しのぶの方。野暮ったい中村雅俊の姿は、テレビシリーズで培ってきた青年役の延長と言った感じで、違和感がない。思いこんだらまっすぐで、自殺未遂までするのは結構笑えたりする…大体あんな古い日本家屋でガス自殺出来る訳無いのに… その辺のギャグ編もあったりして中村雅俊は結構頑張っているのだが、その一方ではやっぱり寅さんの扱いがちょっと雑。だってマドンナの藤村志保よりも中村雅俊の方との関わりの方が長いんだし。よりそれに寅さん、今回あっさりとふられすぎ。タイトル負けしてるよ。 水戸黄門状態となる寅さんの始まりの作品。 |
男はつらいよ 寅次郎と殿様 1977 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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さくら(倍賞千恵子)と博(前田吟)は息子の満男のために大きな鯉のぼりを買い、とらやの庭に飾っていたが、そんな時に玩具の鯉のぼりを買って意気揚々と柴又に帰ってきた寅次郎(渥美清)は必死に鯉のぼりを隠そうとした博を見て、水くさいと怒りを爆発させるのだった。更にとらやで飼い始めた野良犬に「トラ」と名付けたことを知り、大げんかをやらかして再び旅に出てしまう。愛媛県大洲市の城下町にやって来た寅はそこで大洲藩十八代目当主・藤堂宗清(嵐寛寿郎)と出会い。意気投合する。だが、世間知らずの殿様は寅に東京で鞠子という名前しか知らない娘を捜し出してくれるように頼まれてしまう。安請け合いする寅だったが… マドンナに真野響子、そして好々爺の殿様に嵐寛寿郎を迎えての作品で1977年邦画興行成績9位。 本作の最大の問題とは、マドンナよりも嵐寛寿郎の方が遙かにキャラが立っていたって事だろうな。さすがに往年の大スター。老いたとは言え、見事な好々爺ぶりを魅せてくれる。更に彼に仕えると言う設定で登場した三木のり平が実に良いコンビ。そこに渥美清が入ることで、「殿、殿中でござる」なんて劇をやってくれるところが又良い感じ(大まじめでそんなことをやった後、「宮仕えはつらいねえ」とぼやくシーンがあるのも良し)。結果的に真野響子の出番は端折られてしまうことになる。まあ、これはこれで思い切り笑えるんだからそれで良いか。 一応本作が真野響子の映画代表作と言う事になるのだろうが、ちょっと「う〜ん」って感じかな? |
幸福の黄色いハンカチ 1977 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1977日本アカデミー作品賞、主演男優賞(高倉健)、助演男優賞(武田鉄矢)、助演女優賞(桃井かおり)、監督賞、脚本賞 1977ブルーリボン作品賞、主演男優賞(高倉健)、助演女優賞(桃井かおり)、監督賞 1977キネマ旬報日本映画第1位 1977毎日映画コンクール日本映画大賞、監督賞、脚本賞、男優演技賞(高倉健)、音楽賞、録音賞 1977報知映画作品賞、主演男優賞(高倉健)、新人賞(武田鉄矢) |
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新車を駆り夢の北海道旅行にきた欽也(武田鉄也)。彼の目的はナンパで、網走の駅前でようやく朱美(桃井かおり)という女性を引っ掛けることができた。だが海岸で突然キスを迫ってしまったため、朱美は車から逃げ出してしまった。そんな朱美をかばったのが偶然そこを通りかかったのが島勇作(高倉健)であり、いきがかり上、旅は三人旅へと変わっていった。言葉少ないながら島が向かっているのが夕張と分かり、欽也は車を向けるのだった。旅の道中、島が実は六年の刑期を終えて一昨日刑務所から出所したばかりであり、妻の光枝に会いに行きたいのだが、その勇気を持てないと言う事実を知っていく… 本作は日本映画界においていくつものトピックを残した作品である。 一つには言うまでもないが、本作が日本アカデミー賞最初の受賞作となり、しかも賞を総ナメにしてしまった事。日本アカデミー賞はメジャー系の作品ばかりが受賞する上、幅がないので今ひとつ面白味に欠けるが、それでもその実績は馬鹿には出来ない。 そして一つには、物語性よりも演出の派手さに陥りがちだった当時の邦画界に、ベタでもストーリーの良さで見せられると言う当たり前の事を明確に打ち出せたこと。過激に走りがちな当時の流れにアンチテーゼを叩きつけることで、一旦映画の作り方そのものを振り返る機会を与えてくれた。 男はつらいよシリーズで既に日本を代表する監督となっていた山田洋二だが、あくまでそれは男はつらいよという頭文字がついた限定的なもの。その山田監督の引き出しにはまだまだ奥があることを感じさせてくれた。過激流行りの中、一貫して人間の物語を描き続け、それは進歩し得ることを明確に打ち出せた。同じような作品を作り続けながらも、時代時代で代表作を作ることができるのは監督の実力であろう。 それに本作は高倉健、武田鉄也双方にとっても幸運な作品となった。高倉健にとってはそれまでアクションスターとしか知られてなかったのが演技派俳優として一皮むける事ができた。心に情熱を持ちつつ、自分に厳しく寡黙に生きる。と言う現代の高倉健の姿を確立したのが本作だった。一方、既に歌手としてデビューしていた武田鉄也が俳優としても一本立ちできる実力があることを示すこともできた…今やこの人が歌手であったと知る人も少ないわけだから、天職にめぐり合えたと言うべきなのかも。多少軽すぎのきらいはあるものの、この物語は彼の軽さは必要だった。桃井かおりも持ち前の気の強さが良く出ている。高倉健はこれで本当に自分にしか演じることの出来ない適役を見いだしたことになる。 一瞬とはいえ最後においしいところを全部持って行ってしまった倍賞千恵子の演技も光る。実際この作品はキャラクタに助けられた部分は大きい。 物語はかなりベタなものには違いないが、ロケ地を北海道に選んだことで雄大な風景をバックにでき、解放的な演出ができたのも良かった。暗くなりがちな物語の舞台には一見ミスマッチなのだが、上手く緩和できていた。男はつらいよで培った技術がここで活かせたと言うことか。それで最後のあの一杯の黄色いハンカチ…これ以上の出来すぎはない位のラストなんだが、結構これがドキドキするもんなんだよ。思わずどっちだどっちだ?と思わせておいてあのコントラストを見せてくれる訳だから。 なんだかんだ言っても今観ても充分良い作品だよ。 |
男はつらいよ 寅次郎純情詩集 1976 | |||||||||||||||||||||||||||
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小学校に入学したさくら(倍賞千恵子)の息子満男の家庭訪問に美人の柳生雅子先生(壇ふみ)がやってきた。だが、折悪しくそこに帰ってくる寅次郎(渥美清)。案の定家庭訪問は滅茶苦茶になってしまう。それで又しても大げんかをやらかして旅に出てしまうが、信濃で無銭飲食をやらかし、しょげた顔で柴又に戻ってくる。さすがにしばらくおとなしくしていた寅だったが、前に合った雅子に連れられ、彼女の家で母の綾(京マチ子)と出会う。実は綾は寅の幼なじみで、子供の頃の寅のあこがれの君だった。病気がちの綾の話し相手となる寅だったが… 1977年邦画興行成績6位。 シリーズでもやや特異な位置にある一本。マドンナが二人出てくることと、死によって仲が裂かれると言う衝撃的なラストによって。確かに別れさせるにはこういった方法もあるんだな。 しかしマドンナを二人にしたことで、どうも話が一貫してない感じだし、それに京マチ子はややミスキャストっぽい。死に至る病にかかってるってのに、ちょっとばかし元気すぎるんだよ。一方もう一人のマドンナとなった壇ふみはちょっと若すぎる感じ…結局この後42作『ぼくの伯父さん』で再登場することになる。 後半まで割と明るい感じで物語が展開していたのに、ラストで突き落とされるってのは、ちょっと寂しいな。 本作で繰り返し語られる「どうして人間は死ぬのでしょう」という問いかけは、徳富蘆花の「不如帰」から。このあたりからだんだんそう言った主題を取り入れるようになってきた感じもある。 |
男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け 1976 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1976キネマ旬報日本映画第2位 1976毎日映画コンクール日本映画優秀賞 1976報知映画助演女優賞(太地喜和子) |
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4月。さくら(倍賞千恵子)の息子満男の入学式に合わせるように柴又に帰ってきた寅次郎(渥美清)だが、満男が入学式で寅の甥だと言うことで笑われてしまったことに憤慨。更においちゃんが、笑った父兄より、笑われる寅が悪い、と言われ、喧嘩。その夜、家を出た寅は酒場で一人の老人(宇野重吉)と意気投合し、酔いに任せて家に連れてきてしまう。翌朝、すっかりお世話になったから。と言うことでお礼にとさらりと絵を描く老人だが、それを神田に持っていった寅はその絵が7万円で売れて驚く。実はこの老人、日本画壇の第一人者・池ノ内青観だったのだ。そして旅先の兵庫でばったり重吉と出会った寅は彼を介して芸者のぼたん(太地喜和子)と出会うのだが… 1976年邦画興行成績4位。 作品としてはパターンを踏襲しているのだが、惚れたマドンナのため、必死で動き回る寅さんの姿がとてもすがすがしい佳作。 今回は法律が色々絡み、そう言うことは何も知らない寅さんが、社会というものに押しつぶされるような役割をしているのだが、それに対し、怒鳴ることしかできない。そして自分に何が出来るのか。そのことを真剣に考えている描写があって、そこが巧い作りとなっている。シリーズ中盤は金の話題が多くなるが、本作はその最も端的な例。 結局自分の無力さを知らされることになる訳だが、そこで寅さんを癒してくれるのは、やっぱり人情だった。重い物語だったけど、ラストで救われた。 特に本作はキャラも良し。不良老人役の宇野重吉が飄々とした良い演技を見せるし、ほとんどちょい役でしかない寺尾聰の情けなさっぷり、それにマドンナの太地喜和子が又良い。割と鉄火肌の姐御と言った感じなのだが、その面倒見の良さが、自分の窮状をなかなか人に言えない状況を作り出してしまう。性格と役柄が上手く合っていて、より金のきつさを感じ取ることが出来る。その分恋愛は割とさらりとしているが、サブストーリーのウェイトが重い分、それは致し方ないのだろう。 色々な意味で楽しめた作品だった。 |
男はつらいよ 葛飾立志篇 1975 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ある日葛飾に一人の少女最上順子(桜田淳子)が訪ねてくる。彼女はなんと寅次郎(渥美清)を「父」と呼んでいた。それは誤解であることを諭した上、山形に彼女の母の墓参りに訪ねた寅は、寺の住職(大滝秀治)から「己を知るために学問をする」という言葉を聞く。柴又に帰ってきた寅次郎は、さっそく二階に下宿していた考古学を勉強する礼子(樫山文枝)に家庭教師になってもらい、学問を始めるのだが… 1976年邦画興行成績3位。実はこの作品、私ではなくて私の母が大好きな作品で、母は数回観ていたはず。母はよく「朝(あした)に道を聞くも、夕べに死すとも可なり」と言う孔子の言葉を寅さんが「明日道を聞こうと思ったら夕べの内に死んじまった」と寅さんが間違えてしゃべったことを笑いながら何度も私に話したものだ(どうやら彼女にとってこれがツボだったらしい)…そのため、本シリーズの中では私にとっても結構思い出が深い作品となった(笑) 今ひとつ桜田淳子の存在意義が見いだせない気もするが(ただ出してみたかったから?)、下心のために受けている授業で眠りそうになる寅さんとか、ヘビースモーカーでとても奥手な考古学の教授役の小林桂樹とか(身につまされるんだよな。あのキャラクターは)、私好みに展開してくれる。これも寅さんが早とちりしなければ結ばれていたパターンだったんだけどね。二人ともふられてしまうと言う悲惨なはずのラストがカラッとしているのも良いね。 ところでマドンナである樫山文枝演じる礼子は考古学の助手だそうだが、その教授って小林桂樹。で、よく聞いてみたら、この人の名前田所博士というらしい…おい! |
男はつらいよ 寅次郎相合い傘 1975 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1975ブルーリボン主演女優賞(浅丘ルリ子)、助演女優賞(倍賞千恵子) 1975キネマ旬報第5位 1975毎日映画コンクール女優演技賞(浅丘ルリ子)、美術賞 |
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旅先の東北で、家から逃げ出してきたという兵頭謙次郎(船越英二)と言う男と成り行きで旅をすることになった寅次郎(渥美清)だったが、兵頭が行きたいという小樽の町で、なんとリリー(浅丘ルリ子)と偶然出会ってしまう。離婚したというリリーを加え、結局三人で旅を続けることになるが、ひょんな事からリリーと寅は仲違いしてしまって別れてしまう。その事にすっかりしょげ返った寅は故郷葛飾に戻り、さくら(倍賞千恵子)達にリリーのことを尋ねるのだが、その時偶然にもリリーがとらやへとやってきた… 1975年邦画興行成績2位(1位は『寅次郎子守唄』で、1、2フィニッシュを飾った)。 『寅次郎忘れな草』以来二度目の登場となる浅丘ルリ子扮するリリーをマドンナに迎えての作品。二度目と言うこともあってか、前半部分はリリー自身だけじゃなく、兵頭という男も加えての物語となってる。心に傷持つ三人の旅はなかなか良いトリオぶりを見せてくれてたが、果たして兵頭の物語は必要だったのか?これを二つの物語を並行して描くとするなら、兵頭の物語はあまりに手を抜きすぎ。 しかし、一方でリリーと寅さんとの物語に絞って考えるなら、これが又、実に良い作品なんだよな。浅丘ルリ子はシリーズ最多登場だけど、それもよく分かる、見事なマドンナぶりを見せてくれる。前作で売れない歌手がやっと見つけた人並みの幸せ。しかし、そもそも放浪者であるリリーにはそこに安住することが出来なかった。それが哀しみと共に演出される。仕草の一つ一つに寂しさを覚える浅丘ルリ子の演技は見事だ。しかも気性の激しさ故に、寅を好きになっても、結局喧嘩ばかり。寅とタメを張って言いたい放題言えるのはリリーくらいだ。 最後は結局お互いの意地で結ばれないままなんだけど、この二人はほとんど夫婦状態と言っても良いくらい。これまで散々寅と喧嘩しっぱなしのとらやの面々でさえ、リリーに「よく言ってくれた」と頭を下げるくらいだから。そう言えば最初にリリーが会いに来たのは寅ではなくさくらであったのも暗示的。 これで物語があんまり安易且つバランスが悪くなければ最高の作品だったんだが。 |
男はつらいよ 寅次郎子守唄 1974 | |||||||||||||||||||||||||||
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寅次郎(渥美清)が九州・唐津の宿で赤ん坊連れの若い男と意気投合し、痛飲した翌朝、置き手紙と赤ん坊を残し男は消えてしまう。子連れで柴又へ戻ったから大騒ぎになったが、そのお陰で看護婦・京子(十朱幸代)と知り合いとなる。京子のコーラス仲間のリーダー・弥太郎(上条恒彦)が京子に憧れているのを知り、弥太郎に愛の告白をけしかけるが… 1974年邦画興行成績3位および1975年邦画興行成績1位。本作は長いシリーズの中でも最も観客動員数が多かった作品である。 初期の作品で寅さんがキューピット役になるのは珍しいというか、多分これが初めての話になる。まあ、ここでは寅さんは絶対に恋が成就しないだろうと思ってけしかけた形だったけど… 後、本作では寅さんが赤ん坊をあやすシーンがあるが、シリーズの後期では結構出る演出がここでなされている。前期シリーズにありながら、後期シリーズに近い演出がなされている珍しい作品だと言えるだろう。 テレビスターではあったが、それまで代表作に恵まれなかった十朱幸代にとっても本作は転機となった作品で、本作を皮切りに、実力派女優として以降積極的に映画に登場するようになっていくことになる。 ただ、どうにもすっきりしない気がするのは、やっぱり十朱幸代と上条恒彦の絡みが気恥ずかしすぎたからだろうか?都合2回観たが、2回ともすっきりしないまま終わった。 |
男はつらいよ 寅次郎恋やつれ 1974 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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旅先の温泉津の温泉旅館で働いていた寅次郎(渥美清)は、夫が蒸発中の絹代(高田敏江)という人妻と所帯を持とうと決心し、さくら(倍賞千恵子)と社長を引き連れて絹代に会いに行った。ところが、その絹代は寅の顔を見るなり、夫が戻って来たことを、嬉しそうに告げるのだった…失恋の旅に出た寅は津和野でなつかしい歌子(吉永小百合)と再会した。二年前、小説家の父の反対を押し切って陶芸家の青年と結婚した歌子だったが、今は夫を亡くし、待ちの図書館勤めをしていた。やつれた彼女の姿を見た寅は是非柴又のとらやを訪ねるようにと勧めるのだった… 1974年邦画興行成績4位。 吉永小百合を二度目のマドンナに迎えた作品で、色々新機軸を持ち出しているのが本作の特徴。最初の寅の夢が現実の物語に影響を与えたり、『柴又慕情』(1972)でのマドンナだった歌子を本人役で再登場させたり(複数の話でマドンナになる女性はいるが、同じ役で出ているのはリリー役の浅岡ルリ子と本作の吉永小百合くらい)、なかなか面白い話に仕上がっていた。ただ、今回はマドンナは恋愛対象と言うよりは、自立しようとする女性として描かれており、寅もそれを後押しするような位置づけになっている。 『柴又慕情』で親の反対を押し切って結婚した歌子がこんな事になっているのはちょっと驚かされるが、多分それは前回できなかった親と子の和解を前面に出してみたかったんだろうと思える。ここでの吉永小百合もなかなか良い役やってるし、古いタイプの親父役の宮口精二が、自分の方から手をさしのべるシーンは、なんかとってもほっとする。そこに相変わらずの空回りぶりを見せてくれる渥美清の狂言ぶりも、この辺ではまだ良い味になっていたし。 |
男はつらいよ 私の寅さん 1973 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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さくら(倍賞千恵子)と博(前田吟)は、おいちゃん夫婦に九州旅行をプレゼントした。そしていよいよ明日は旅行という日になって、寅次郎(渥美清)がふらりと柴又へと帰ってくる。旅行のことがばれてむくれる寅だったが、結局留守番を買って出ることに。そして暇をもてあましていたところで同窓会の通知がやってきて、級友との旧交を温めるのだが、旧友の柳文彦(前田武彦)の家に行った寅はその妹で画家のりつ子(岸恵子)と出会う。会って早々喧嘩してしまう二人だったが… 前作『寅次郎忘れな草』が割合オーソドックスな出来で、本作もその程度か?と思ったが、意外も意外。本作についてはかなり気に入った。 最初の部分で大概おいちゃんたちと喧嘩別れして始まるのだが、本作では少し違い、むしろ寅が引くことで話が始まっている。ここがちょっと違うかな?あれ?早々にマドンナの岸恵子と喧嘩してるじゃないか。結構パターンからは外れてる。家族ではなく他人とぶつかるのは久々の描写。 それから惹かれ合う二人。そして身を引く寅。とパターンが続くのだが、明らかにここでの女性像は大きく変わっている。女性が男に依存するのではなく、自立することが本作では完全に主題になっているのだ。結果的にりつ子が求めていた寅さんは、仲間であり、友達であった。むしろ彼女は絵筆一本で自立する道を選び、スペインへと旅立ってしまう。随分意識が異なってきたものだ。 ただ、本作の場合は、そう言う設定部分よりも最後の最後がとても好きな一本。 阿蘇で虎の絵をたたき売る寅さんの脇に“非売品”と書かれた一枚の絵が…その中で最高の笑顔で微笑んでいる寅さん本人の顔。そんな所に、寅さんの気持ちが詰まっているような気になり、最高の余韻を持つことが出来た。ラストがとても気に入ったよ。 |
男はつらいよ 寅次郎忘れな草 1973 | |||||||||||||||||||||||||||
1973キネマ旬報日本映画第9位 1973毎日映画コンクール監督賞、脚本賞 |
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寅次郎(渥美清)とさくら(倍賞千恵子)の父の二十七回忌がとらやで行われていた。そこにぶらりと現れた寅だったが、そのお陰で法事は滅茶苦茶になり、更にさくらが満男にピアノを買ってやりたいと言う言葉を聞いて勘違い。又しても喧嘩して旅に出てしまう。北海道で偶然であった三流歌手のリリー(浅岡ルリ子)と意気投合するが… 歴代のマドンナの中で最多出演となる浅丘ルリ子演じるリリーとの第1作目となる作品。後に何度も邂逅することになるリリーだが、一貫しているのは、彼女が寅同様フーテンであると言う事。それ故に二人は引き合うことになる。いや、この二人は同じフーテンでも大きなところで違う。帰れば、暖かく迎え入れてくれる家族がある寅に対し、その家族が重荷であるリリー。結局この違いが二人を引き寄せ、離れさせる。 この作品を最初に観たのは私の故郷の公民館。母に連れられて子供用の映画を観たついでに観た作品だった。シリーズ中一番最初に観た作品となる。 この作品で登場したリリーはキャラが立っており、最初に出た蓮っ葉なヒロインでもあった。ロケの北海道の雄大な景色も結構良し…それ以外は取り立てて言うことはないか… いや、もう一つあった。 リリーが最後に結婚した相手って…毒蝮三太夫?うわあ。ミスマッチのような…いや、かえって似合ってるような…結局分別れてしまうんだけど。 |
男はつらいよ 寅次郎夢枕 1972 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1973毎日映画コンクール監督賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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故郷柴又に帰り、今度こそ嫁さんをもらうと宣言した寅次郎(渥美清)だったが、寅の噂は柴又中に広がっており、誰も相手にしようとしない。それですっかり憤慨した寅は又しても喧嘩別れ。しかし、旅先で知り合いの香具師が行き倒れになったという事実を知り、再び寅は柴又に帰ってくるのだった。自分の部屋が御前様の甥でT大の助教授岡倉(米倉斉加年)が貸りており、又しても気分を害してしまうが、幼な馴染の千代(八千草薫)がすっかり美しくなって訪ねて来たので、とたんに気嫌が良くなってしまう… 1972年邦画興行成績堂々のトップ作品。 後半では当たり前になるのだが、寅が恋の橋渡しをしようとする最初のお話。研究一本槍でこれまで恋を知らない大学の助教授と幼馴染みの千代との橋渡しをしようとしてるうち、逆に千代が自分を好いていることを知ってしまい、慌てて逃げ出してしまう。これは結構珍しく、寅の方がマドンナを振ってしまう回となった。勘違いとはいえ、実はこれが初めての話である。 今回は木曽路の秋の風景がとても綺麗で、その中で香具師の無情やかすかな人情なども入り込み、演出はなかなかにすばらしい。全般的に情景が綺麗だった。 シリーズではおなじみとなる米倉斉加年の初登場もあるが、八千草薫がほとんど素のままとぼけたマドンナ役を巧くこなしている。 しかし、改めて考えてみると、全般的に哀しい作品だったんだよな。ほのぼのした終わり方の割に、誰も幸せになってないし。最後の秋の情景が目に沁みる。 |
男はつらいよ 柴又慕情 1972 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1972キネマ旬報日本映画第6位 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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久々に柴又に帰ってきた寅次郎(渥美清)はとらやの店の前に「貸間あり」の札を見て仰天。結局喧嘩別れしてしまう。その後金沢に旅した寅は東京から旅に出てきた三人の娘と出会う。その内の一人歌子(吉永小百合)は寅に会いに来る。彼女の悩みに耳を傾ける寅だったが… 吉永小百合をマドンナに迎えての一本。名実共にトップスターを迎えることによって、本作は国民的シリーズへと脱皮する。 流石吉永小百合の効果か、テレビではよく放映するらしく、実は私はこれを3回も観てしまった。 尤も、3度目を観るまで物語自体はたいして覚えていない。ただ一つ。三人娘と寅さんが写真を撮る際、「バタ〜」と叫ぶシーンだけ、とても印象深く覚えている位。 しかし改めて観てみると、なんだか印象が薄いんだよなあ。話自体寅さんの勘違いで終始してしまうし、対する吉永小百合も本作では魅力が薄い。決して吉永小百合が悪いのではなく、むしろその演技は流石!と唸らせるものを持っているのだが、寅さんとの絡みになると、途端に精細を欠いてしまう気にさせてしまうのだ。これは多分吉永小百合という存在そのものがコメディとは一線を画した存在だから。と言ってしまっても間違いがないと思う。これはつまり、まず吉永小百合ありで、そこから物語が作られていったという事。物語の順序が逆転してるのだ。だから吉永小百合が出ると、彼女一人芝居になってしまい、彼女がいなくなってようやくコメディ調に話を戻すことが出来る。結果として話がちぐはぐになってしまったのはそのせいじゃなかろうか? 結局寅が狂言回しで終わってしまうし。 シリーズもここからパターンへと移っていくことになる。 |
男はつらいよ 寅次郎恋歌 1971 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1971キネマ旬報日本映画第8位 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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博(前田吟)の母が亡くなり、弘の故郷岡山に直行する博とさくら(倍賞千恵子)。その葬儀の時、ひょっこりそこに現れた寅次郎(渥美清)。トンチンカンなことばかりして葬儀をしらけさせてしまった寅だったが、博の父風一郎(志村喬)の淋しい生活に同情した寅はしばし岡山に留まるが、そこで風一郎から、これまでの人生をふりかえって人間らしい生活をするよう勧められる。そして柴又へ戻った寅はとらやの近くに開業した喫茶店の女主人六波羅貴子(池内淳子)に一目惚れする。自閉的な息子学を心配する貴子の相談相手を務めている内に良い雰囲気になるのだが… 毎年の定番となった本シリーズだが、ここに来てようやくその本領発揮というか、ここから邦画ベスト10には大抵名を連ねるようになっていく。本作は最初にこの年の興業収益のトップとなった作品でもある。これまでの作品が試行錯誤だったとするなら、本作が本当の意味でシリーズを完全に確定した作品であるとも言えよう(ただし本作に限って冒頭のユメのシーンはカットされている)。 シリーズ初期の作品は良作が多いが、これも確かに。車寅次郎という人物の魅力がよく現れている。前半部分の葬儀の場面ですっかり浮きまくり、しょげてしまう姿とか、失意の博の父を励まそうとしてる内、逆に諭されてしまうとか。それに今回のマドンナ池内純子とのやりとりも良し。特にこの場所に縛られている者と、放浪者の対比が素晴らしい。お互いにないものを求め合うと言う意味ではここでの二人のやりとりはシリーズの方向性そのものをしっかりと描ききっている。でも一番良いのは最後だろう。今回はどう見ても恋が成功してるはずなんだけど、最後の最後に躊躇してしまい、一人去っていく姿も良し。寅さんは分かってるんだよね。自分のことが…でも、このオチはシリーズを総括してしまってるよ。これじゃ後の作品は全てヴァリエーションでしかなくなってしまう。 物語としては死を扱ってる分かなり重めだが、それを受け止める志村喬の名演と、本作が最後となった森川信の味のある演技が花を添えている。 細かいことだが、冒頭で旅芸人に500円札のつもりが5000円やってしまったことは37作の「男はつらいよ 幸福の青い鳥」でも言及されてる。よほど腹が立ったんだろうね。それと、ここで旅芸人の少女役小百合が、メインヒロインとなっていることにも注目(ここでは岡本茉莉が演じる少女だが、「幸福の青い鳥」では志穂美悦子が演じている)。 |
男はつらいよ 奮闘篇 1971 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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旅に出た寅次郎(渥美清)は旅先で津軽から出稼ぎに来たは良いが、どうしても紡績工場になじめない少女花子(榊原るみ)と出会う。故郷に帰りたいと涙を魅せる花子に柴又を訪ねるよう勧めた寅だが、その後久々に柴又に帰ると、とらやで花子が働いているのを見かける。そして寅を見た花子は喜色を見せ、なんと寅のお嫁さんになりたいと宣言する… やっぱり男はつらいよは初期の作品が良い。内容的にかなり重くなりがちな題材を使っていながら、しっかり人情話に持って行ってるし、寅さんも傍若無人ぶりをみせ、魅力ある人物像に仕上がっている。 そうだよ。寅さんの姿って、やっぱりこうあって欲しい。単純な人情家じゃないし、根っからの悪人でもない。だけど、人の輪に入ると微妙に食い違ってしまい、結局喧嘩してしまう。そしてそれを猛烈に反省する一方、ちょっと経ったらころっとその事を忘れて又同じ事を繰り返す。それがやっぱり魅力だ。今回の場合、マドンナは榊原るみの方だが、その寅の落ち込み方を真剣に心配し、わざわざ青森にまで行ってしまうさくらの存在感も映える。どっちかと言えばこの話はさくらが物語の中心となってた感じ。 一方寅さんに恋する花子の設定が微妙で、おいちゃんとかは生まれてくる子供のことを心配するシーンがある。確かに現代もその問題を抱えているけど、当時の情勢からすると、切実な問題なんだろう。時代というものをも感じさせてくれる。そう言えばこれまでのパターンは寅が追いかけ、マドンナが無意識的にするっと身をかわすパターンばかりだったが、今回はマドンナの方が積極的に寅に迫り、庇護者として寅さんがいる。以降のパターンの始まりの話だったのかも。 正直、ここで結ばれても文句なかったくらい。 ただし、寅さんは花子に最もふさわしい人物に後を託して又旅に出る。それでもやはり結ばれなかったからこそ、シリーズとなり得たんだろう。ちょっとジンっとするいい話だよ。ここでも母親役でミヤコ蝶々が登場。意外に仲良くやってるじゃない。 |
男はつらいよ 純情篇 1971 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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長崎五島列島に来た寅次郎(渥美清)はそこで絹代(宮本信子)とその父千造(森重久彌)の対面を目にする。駆け落ちして戻ってきた絹代をつっぱねる千造の姿を見た寅は旅愁を感じて故郷柴又へと戻ることにした。自分の部屋に下宿してる人間がいると言うことが元で、又しても大喧嘩し、家を出ようとするのだが、その下宿人明石夕子(若尾文子)の姿を見た途端、寅は… ここでほぼパターンを確立した感のある一作。五島列島でのサイドストーリーと言い、故郷柴又での人間関係と言い、なかなか練り込まれていて、パターンとは言ってもとても嬉しい作品となっている。 今回はゲストが豪華。冒頭の五島列島での宮尾信子と森重久彌との会話は、これだけでメインにしても良いんじゃないかと思える力の入った出来だったし、若尾文子の色っぽさも凄いもんだ。まさに何というか、妖艶と言うべき存在感だった。尤も、前半に力が入りすぎたため、彼女の出番は思ったより少ないけど。 それと博と社長のやりとりなんかも面白い。寅を間に挟むことで、完全に話が食い違ってしまって、それに「俺なんか全く関係ねえよ」といった顔してる寅の存在感が又。これはやはり山田洋次の芸風か? マドンナ役の若尾文子はそれまで女の情念を感じさせる作品ばかりに出演していたので、こういう軽めの役を演じるのは良いストレス発散になったんじゃないかな?それでも充分すぎるほどの色っぽさを醸してるけど。 以降連綿と続くことになるベタな物語には違いないけど、充分すぎる面白さ。 |
男はつらいよ 望郷篇 1970 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1970キネマ旬報日本映画第8位 1970毎日映画コンクール脚本賞、女優主演賞(倍賞千恵子) |
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旅先でおいちゃんが病気で倒れる夢を見て胸騒ぎを起こした寅次郎(渥美清)は故郷の柴又に帰ってくる。たまたま暑気あたりして寝ていたおいちゃんを見た寅は、すわ正夢とばかりに早速葬儀社に連絡し、そのため大喧嘩をすることに…丁度そんな時に舎弟である登(津坂匡章)がやってきて、昔寅さんが世話になった札幌の竜岡親分が重病で、寅さんに逢いたがっていることを知らせに訪ねてくる。義理と人情を信条とする寅さんは、さっそく登を連れて札幌に向かった。そこで昔華やかだった親分がすっかり落ちぶれ、息子にまで愛想を尽かされているのを自分の未来に重ね合わせ、「かたぎになる!」と宣言するのだが… 2作に渡り、監督が違っていたが、ここで再び山田洋次監督に戻しての作品。シリーズの特徴とも言える冒頭の夢のシーンが初登場。 色々と話が詰め込まれ、ややまとまりの無い話になってるが、寅さんの描写はとても良し。いくら啖呵を切ったところで、将来に対する不安はあり。それで気質になろうとは思うのだが…そこで寅さんの性格がよく現れていた。舎弟の登を殴ってわざと自分の元から離れさせ、それで最後は再会して抱き合うなんて、やっぱり寅さんだ。 それだけでなく、今回のマドンナ役の長山藍子は、実は映画に先行するTVシリーズでのさくら役だったとか。確かに雰囲気は良く似てる。今回のマドンナの役割も、基本的に寅の思いに気付かず、無神経なものの言い方が、寅を傷つけることになるのだが、むしろ悪びれることなくさっぱりした役柄がコメディとしては小気味よく、キャラクターの描写は大変良かった。この辺まではまだ寅も暴力的で、さすがかつて「ヤクザに憧れてた」というだけのことはある(以降どんどん丸くなっていくわけだが)。 シリーズの3作目と4作目は山田監督の手を離れたが、その出来にはどうやらあまり感心しなかったらしく、本作以降は基本的に山田洋次自らが監督することになった。これによって、男はつらいよは松竹のシリーズものではなく、山田洋次のシリーズと変化することになる。 |
家族 1970 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1970キネマ旬報日本映画第1位 1970毎日映画コンクール日本映画賞、脚本賞、女優主演賞(倍賞千恵子)、男優主演賞(笠智衆) |
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長崎伊王島に住む風見精一(井川比佐志)と民子(倍賞千恵子)の夫婦。二人の子供にも恵まれたが、精一は北海道の開拓部落に入植して、牧場主になるという夢があった。そして自分の会社が潰れたことを機会に、父源三(笠智衆)を含む家族全員で北海道移住を決める。そして長崎、弟の力(前田吟)のいる福山、万博開催中の大阪、東京と旅を続けるが、万博の人混みでひきつけを起こした娘早苗はそのまま東京で急死してしまった。そして家族の旅は続く。一路中標津へと… 山田洋次監督が五年間温めつづけてきた構想を、日本列島縦断ロケと一年間という時間をかけて作り上げた作品。 思えばハリウッドでは多くの傑作があるのに、日本ではロードムービー、特に家族での旅を描いたものが少ない。スタジオ・システムが確立されていることと、対策になると金がかかりすぎると言うのがその理由ではないかと思うのだが(低予算だったら例えば大島渚監督の『少年』(1969)なんてのがあるけど)、この70年代にそれが作れたと言うのはやはり山田監督の実力って奴だろう。 何となく物語自体が『怒りの葡萄』(1940)そのものっぽくあって、その部分が多少引っかかりもあるのだが、メインとなる家族の物語は骨太で大変重いものになってる。特に昔気質で引き際をわきまえてるお父さん役を演じた笠智衆が枯れた良い役を演じてる。他にも脇を固める山田組の常連役者達が良い感じ(ただし倍賞千恵子と前田吟が義理の姉弟って役は、どうしても男はつらいよ思をい出させてしまって…)。 ただ、本作の最大の売りは1970年というその時を切り取ってくれたという点にこそあったのかも知れない。万博に沸く大阪を始め、高度成長時代の浮かれた日本の姿と、それに乗り切れない人たちの寂しさのようなものが上手い対比になっている。特に万博は本当にそのまんまだからね。 その万博の中で乗りきれない家族の姿。これはまさに日本の縮図そのもの。日本の高度成長政策が国民を幸せにしているわけではないと言うことが如実に示されているのだろう。 記録としても、物語としても、未来に残すべき邦画の一本だろう。 |
続・男はつらいよ 1969 | |||||||||||||||||||||||||||
1969キネマ旬報日本映画第9位 1969毎日映画コンクール監督賞、男優賞(渥美清) |
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旅から旅へとふらつきながら生活している寅次郎(渥美清)は、懐かしさで故郷の柴又を訪れる。そんな寅を歓迎してくれるさくら(倍賞千恵子)やおいちゃんたちの優しさに、ついつい逗留をのばし、更に中学時代の先生である坪内先生(東野英次郎)の家に寄った際、その娘夏子(佐藤オリエ)に一目惚れ。いつの間にか先生の家で大宴会を繰り広げることに…。 思わぬ大ヒットを博した第1作『男はつらいよ』に気をよくした松竹が急遽作った続編。物語のフォーマットは変えず、寅次郎の失恋をメインに取る形は本作で確立されたと言っても良い。 現時点では私にとって『男はつらいよ』シリーズ中最も好きな作品。内容の密度が非常に高いものに仕上がっている。 身近な人の死を目の当たりにすることや、母親との葛藤、悲恋に終わる失恋…後々のシリーズとは違い、非常にウェットな作品でもあった。 この作品では寅さんのキャラクター描写がとても良い。家を飛び出して、自分が受け入れられないのではないかと思いこんで家に帰ることを本気で躊躇してる姿と言い、一旦受け入れられてしまうと、今度はやりたい放題やらかしてしまう姿…寅さんの心は身内とそうでない人という境界しかないんだろう。だからこっち側に来た人は無条件で信用するが、逆にそうなるとずかずかと相手の嫌がるところまで踏み込んでしまう。そしてやりすぎたことを反省するが、やっぱり同じ事を繰り返してしまう。そんな姿がたまらなく魅力として映る。 更にこの話だと、今まで行方不明だった母お菊(ミヤコ蝶々)と出会うのだが、思い出の中にあった優しい母親はそこにはおらず、銭勘定だけで生きていて、息子が来ても金のことしか口にしないような、そんな現実を見せつけられる。その時の複雑な寅さんの表情が又良い。泣き笑いになってる寅さんの顔って、本当に子供っぽい。ここにもぐっとくるものがあるよ。そして敬愛する先生の死と失恋…。しかも散々ショックを受けたところでとらやの面々の無遠慮な台詞でますます傷つけられる。この辺が軽妙に、コミカルに描かれるところで、寅さんのショックは更に増す。 しかし、どんなショックにもかかわらず、寅さんはたくましく生きてる。自らに課したフーテンと言う生き方しか出来ないことをよく知ってるのだ。 かなり救いようのない物語として終わると思うや、母親との関係でラストで救いが…泣けたよ。 |
男はつらいよ 1969 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1969キネマ旬報日本映画第6位 1969毎日映画コンクール監督賞、男優賞(渥美清) |
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“フーテンの寅"の異名を持つ車寅次郎(渥美清)は父と喧嘩して家を飛び出して以来、故郷の柴又とはすっかり疎遠になっていた。旅していた寅が風の便りに両親の死を聞きつけ、ひょっこり帰ってくる。唯一の身内さくら(倍賞千恵子)の成長した姿を見て感激した寅は、さくらの見合いにまで付いていき、そこで縁談をぶちこわしてしまった。その夜酔って帰った寅はおいちゃん(森川信)と大喧嘩し、奈良へ旅に出る。そこで柴又の“御前様”坪内日奏(笠智衆)と、その一人娘の冬子(光本幸子)と出会う、子供の頃は一緒に遊んだものの、すっかり美しくなった冬子に一目惚れして又柴又に帰ってきてしまう。そこでさくらに惚れている裏の工場の職工の博(前田吟)の告白を聞き、一肌脱ごうとするのだが… …これから長く邦画を支え続けた記念すべきシリーズ第1作。実は先行してテレビシリーズがあって、本作はその続編になる。TV版では寅さんは最後にハブに咬まれて死んでしまうのだが(人気が無くて打ちきりだったという話もある)、それに対し、多くの抗議の電話がテレビ局に殺到したため、それに押された形で映画化の運びとなった。ただし、最初の構想では本作一本だけの単発の予定だったらしい…まさか48作も続くとは誰も考えてなかっただろう。 やっぱり最初って事は、シリーズの良い部分が凝縮されていて、粗野で乱暴で、それでも人一倍優しさを持つ寅さんの魅力というのが余すところなく出ている。感情の表出もストレートで、冬子に惚れたとあっては、陰口もなんのその。ひたすら寺に日参。周り中から笑いものにされていても構わずにひたすら尽くし続ける。一方、寅のことを幼なじみとしか見てない冬子は全く悪気無しに寅に辛辣な言葉をかけてくる。 話の中心は柴又で、寅さん自身よりもさくらの恋愛物語が中心となっているのだが、これが又。やっぱり中心人物としてのさくらと博の恋愛劇は無くてはならないだけに、力入ってるね。 それに、本作が私の好みってのはもう一つ。とにかく食べるシーンが多いこと!なにせ食べてるのが寅さんだけに、極めて下品に、そしてひたすら食べるのに集中してるのがなんと言っても良いよ。特にラスト、泣きながらラーメン啜る姿は、ぐっと来るよ。 そう。男は人前で泣いちゃいけないんだ。空意地でぶっきらぼうに振る舞い、見てないところで涙を流す。本当にタイトル通り「男はつらい」んだよな。 …フラれて当人の前では泣けない。泣いちゃいけない。逃げて泣く…一体何度やったことか。わはは。 松竹は不人気TVシリーズの映画化と言うことで、大変難色を示したらしいが、しかし山田監督は、「この映画が失敗したら会社を辞める」と言い放ち、製作を開始したという逸話があったそうだ。山田監督の偉大さが分かる逸話だ。本人はこの作品を不出来だと思い込んでいたそうだが、それも思い入れのなせる技だろう。 |
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100%寅さん! 「男はつらいよ」の幸福論 寅さんが僕らに教えてくれたこと |
運が良けりゃ 1966 | |||||||||||||||||||||||||||
1966ブルーリボン主演男優賞(ハナ肇)、監督賞(山田洋次) | |||||||||||||||||||||||||||
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馬鹿が戦車(タンク)でやって来る 1964 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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馬鹿まるだし 1964 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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シベリヤ帰りの粗暴者松本安五郎(ハナ肇)は、行く当てもなく立ち寄った四国のある町で浄閑住職と知り合う。浄閑が同じ戦地帰りと言うことを知って浄念寺にころがりこんだ。しばらく無為徒食で過ごすうち、浄閑の妻の夏子(桑野みゆき)に密かに恋心を抱くようになる。やがて安五郎の怪力が町に知れ渡るようになると、彼の元に半端者達が集まってきて、いつの間にやら一家を構えるまでに至っていた。安五郎の望みは夏子に一言褒めてもらいたい。その一途な心で子分をとりまとめ、町のもめ事に介入していく。そんな時事件が起こる… 男はつらいよシリーズで邦画を引っ張ってきた山田洋次監督だが、実はその前に一つ、どこか寅さんを思わせる男を主人公にしたシリーズを作っている。 「馬鹿シリーズ」という、あまり大声で言いにくいシリーズで、主人公はハナ肇で一貫させ、流れ者の粗暴者でありながら、気が良く、困った人を前にすると黙っておられず、惚れた女にはとことん尽くす。実際これが寅さんのプロトタイプとまで言われるまでよく似た主人公像を作り上げている。1964年に集中して3作作ってそれで終わってしまったが、今観ても大変面白いので、これだけで終わってしまったのはちょっと残念なところ(それが「男はつらいよ」に流れていったのだとも言えるが)。 その第一作となるのが本作で、どこか『無法松の一生』(1943)の松五郎に似た物語だが、主人公が基本的にあまり深く物事を考えないタイプで、更に祭好きでどんなことにも首を突っ込むという人物にしたため、かなりコメディ調に仕上げられているのが特徴。 主人公安五郎のその一途な心を、笑いにくるめながら大切にしてるのがよく分かる作風で、その恋心を知らないのが当の御新造さん本人だってのが歯がゆく、実ることのない恋をしゃにむに駈けては馬鹿を見る安五郎のおかしさと愛おしさに溢れている。笑わせつつ最後はぴちっとまとめ上げた山田監督の技量も特筆すべきだろう。 それと、本作の背景も考えておきたい。本作の舞台となるのは小さな町だが、工場の誘致も成功しているから地方ではあっても結構開けている。おそらくは都会には近い。それ故組合などもかなり強く、彼らが言う“正義”を周囲に納得させられる土壌が揃っていた。地方やくざにとっては、彼らはあまり嬉しくない存在であるのだが、そんなことを全く知らない安五郎は組合闘争に首を突っ込んだ挙げ句、工員の方を勝たせてしまう。結局それが自分自身の首を絞めることになってしまう。旧来の伝統と悪習が“近代化”の波に飲み込まれる姿をしっかりと描いていることもポイント。 そう言う意味でとてもバランスの取れた作品だと言えるだろう。ただ一つタイトルで損をしていることを除けば。 |
下町の太陽 1963 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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荒川沿いの化粧品工場で働いている寺島町子(倍賞千恵子)は、母のいない家を支明るく健気に支えている。同じ工場で働く恋人の毛利道男(早川保)は本社勤務を目指し、猛勉強中。そんな時町子の弟の健二(柳沢譲二)が不良仲間の北良介(勝呂誉)にそそのかされて万引きをしてしまったという。心を痛める町子だが、相談に行った道男は一心不乱に勉強していて、そんな事に構っていられない態度をとり続ける… 山田洋次監督にとっては監督デビュー二本目に当たる作品で、脚本も自ら書いている。折しも倍賞千恵子が歌手としてデビューして大ヒットソング「下町の太陽」を歌っており、その歌詞を元に、彼女自身を主役として製作。 倍賞千恵子にとっては、女優としてもしっかりした演技が出来ることを証明したこととなったが、何よりこれより長く山田洋次監督とのつきあいが始まったことになる、一種の記念的作品。 内容的には、丁度高度成長期と言うこともあり、日本は最も活気づいていた時代であり、一方ではそのひずみが様々なところに出始めていた時代。何より貧富の拡大と、労働者の待遇改善が叫ばれていた時代であり、本作も単なる恋愛物語と言うよりは、そう言った時代背景を元にした社会的な意味合いが強いものに仕上がっている。恋愛よりも仲間や家族、何より“此処にいること”を大切にする姿勢は後の山田監督作品に共通するものであり、それが“車さくら”倍賞千恵子の役割であり、既にコンビを組んで第一作で役割が確立しているのが面白いところ。ただ、全てが類型という訳ではない。彼女の存在感は「いつでもそこにいてくれること」にある。帰るべき場所にいてくれる安心感と言うべきだろうか。それがあるからこそ、これから長くつきあっていったのだろうね。 本作は社会派的作品と見なす事も出来るだろう。そうすると、彼女は人を蹴落として自分が偉くなろうとする出世街道よりも、ここに残ってみんなのために戦うことを選んだ、自由の闘士と見なすことも出来る。本作を観て、最初の内は私もそんな風に思っていたが、今は少々変わっている。むしろ戦うことよりも、今ここにいて、周りの人を幸せにしたいと願うことが彼女の選んだ道なんじゃないかと思うし、その姿勢が山田監督の原点じゃないかと思う。 こう書いていて思ったが、山田監督が倍賞千恵子に望んでいたものは、どれほど歳が若くても、「お母さん」だったんじゃないかな? |