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31 |
映画 |
るろうに剣心 京都大火編(2014) |
緋村剣心(佐藤健)がかつて人斬り抜刀斎と呼ばれていた時代。剣心と共に人斬りとして大勢の幕府武士を斬っていた男がいた。その名は志々雄真実(藤原竜也)。鳥羽・伏見の戦いを機に足を洗った剣心だが、その時に大火に巻き込まれて志々雄は死んだものと思われていた。だが大火傷を負い、奇跡的に命ながら得た志々雄は怪力と火を操る力を得、自らを追い込んだ明治政府と剣心への復讐を心に誓って着々と準備を進めていた。いち早く志々雄の計画を知った、現在警官となった斎藤一(江口洋介)は志々雄に迫るも剣士達に阻まれ、一歩届かなかった。志々雄が狙っているのが剣心であることを知った一は、今は江戸にいる剣心に志々雄と戦うことを頼む。
『るろうに剣心』でチャンバラ映画に新しい一石を投じた大友監督&佐藤健コンビによる第2弾。一作目の出来に自信を得たのか、今度はいわゆる志々雄編を前後編で作り上げた。売れるという確信があったからだが、気合いの入った作品である。
前作『るろうに剣心』に続いて続投のキャラのみならず、今回登場する役者も有名どころばかり。かなり豪華な話になったし、全員全力での演技は見応えあり。更に前作を超える演出もあって全般的に見応えは増している。
概ねこれで充分だが、やはり前後編という事で、やや出し惜しみしてる部分がある事と、雰囲気だけで終わってしまった部分もあること、そして雰囲気優先でストーリーをかなりないがしろにしたところもあって、私自身の評価的には伸び悩み。
前作とは異なり、実在した人物もかなり出てきてるので、そっちをもう少し演出に取り入れられれば名作入りも出来たのだが、細部が甘い。 |
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48話 |
戦いも終わり、剣士たちは思い思いに自分の道を歩み出そうとしていた。そんな時、奇妙な怪人が人間を襲い始めた。セイバーらは戦いを始めようとするが、奇妙な戦士が二人現れ、怪人を蹴散らす。変身を解除したその戦士は自らを五十嵐一輝と名乗るが、もう一人の方は飛羽真たちには姿が見えなかった。
敵はバッタデッドマン。何ものかによって放たれた新たな敵。それを追ってきた仮面ライダーリバイと仮面ライダーバイスと共同したセイバーとエスパーダが倒す。
次回作「仮面ライダーリバイス」の紹介を含めてつなぎの物語。
話としては結構コミカル風味だが、こっちの方がむしろしっくりくる。この程度のゆるさでシリーズやってくれてれば良かった。
後は「リバイス」の登場人物の軽い紹介。こんな話があっても良い。
最後に倫太郎が芽依にプロポーズしてるんだが、軽く受け流されてしまった。主人公が女性と結ばれず、脇役の恋物語が展開するのは変わってたな。強いて言うなら飛羽真も賢人とパートナーになってるけど。
<「リバイス」のキャラ達が飛羽馬のことを知ってることから、とりあえず本作と次回作の世界はつながっているらしい。客演あるかな?> |
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29 |
読書 |
人の顔
六歳になるチエ子はちょっと人と違ったところがあり、何もないところをじっと見つめる癖があった。それを気味悪がった母親は少しずつチエ子と距離を置き始める。そんな時、長く外国に行っていた父親が帰ってくる。
子どもを使ったホラー話。短いので予兆で終わってる感じだが、これを長編にして、ドラマ性を加えれば本物のホラーになるだろう。著者にその気があったら、これも相当面白い作品になっただろうに。 |
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24話 |
突如ゴッタム・シティ上空を空飛ぶ円盤が飛行し始めた。多くの目撃情報が警察に寄せられるが、バーバラが勤める図書館には突如緑色の宇宙人らしき者が現れ、その目撃情報も次々に入っていく。
タイトル通り今回はジョーカー編なのだが、事前に空飛ぶ円盤騒ぎと宇宙人騒動がある。宇宙船の方はジョーカーが作ったものだと分かるが、一方で緑色のスーツを着た男が暗躍しており、その男が何ものかというのと並行して謎解きが行われる。
バットガールに協力していたアルフレッドだが、バットガールが捕まった時に一緒に捕まってしまい、科学者に間違えられてしまう。ジョーカーのアジトに連れてこられたのを幸いバットマンにメッセージを送っていた。一方バットマンカーに爆弾が仕掛けられ、そうとは知らないバットマンとロビンが爆発に巻き込まれてしまう。二人ともピンピンしてるけど。
バットマンカーが壊されてしまったため、今回はバットコプターが活躍してる。かなり金かかってるようだ。
ジョーカーは自らの髪が緑色をしていることから、グリーンというキーワードで作戦を展開している。こういうこだわりはジョーカーではなくナゾラー向きの話だった気はするが。
<今更ながらバットマンカーがオープンカーというのはかなり問題がある。細工し放題だ。> |
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ウルトラマンTHE LIVE ウルトラヒーローズEXPO 2021 バトルステージ 「みんなの心でご唱和しようぜ!」 |
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<楽> |
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28 |
映画 |
竜とそばかすの姫(2021) |
高知県の自然豊かな田舎町。17歳の女子高生すずは幼い頃に母を事故で亡くし、父と2人で暮らしている。母と一緒に歌うことが大好きだった彼女は、母の死をきっかけに歌うことができなくなり、現実の世界に心を閉ざすようになっていた。ある日、友人に誘われ全世界で50億人以上が集う仮想世界「U(ユー)」に参加することになったすずは、「ベル」というアバターで「U」の世界に足を踏み入れる。仮想世界では自然と歌うことができ、自作の歌を披露するうちにベルは世界中から注目される存在となっていく。そんな彼女の前に、
「U」の世界で恐れられている竜の姿をした謎の存在が現れる。
アニメーション映画も近年だいぶ増えてきた。多くの作品と、その監督が輩出されているが、そんな中で監督の名前でヒット作を出せる数人の監督がいる。誰もがじっくり時間を掛けて数年に一作の割だが、彼らの作る作品は概ねヒット間違いなしとも言われている。すぐに挙げられるのは庵野秀明、湯浅政明、新海誠、そして細田守となるだろう。アニメ監督としては全員ベテランの域に入っており、これから円熟した作品が出てくるだろうし、才気溢れる新しい監督達もまだまだ出てくるだろう。
その筆頭とも言える細田だが、前作『未来のミライ』は賛否両論が激しく、思ったより興収も伸びなかったようだ。その理由はレビューでも書いたが、監督のフェティシズムがあまりに行きすぎて物語のバランスに欠け、まとまりがなくなってしまった感があったからだろう。監督が作りたいものが視聴者の求めているものから離れてしまったからとも言える。
そんな中での新作はかなりのプレッシャーではなかったかと推測される。ヒットメーカーとしてこの作品を当てねばならないプレッシャーをはねのけて大ヒット作品を作れたのは素直に細田の実力と言って良い。
確かに本作はヒットの要素はたっぷりあって、これが受けない訳がないとも思う。
まずとにかくベルの歌が凄い。主役の声を声優ではなく歌手にした理由がここではっきり分かる。アニメソングとは少し違う不思議な歌声が画面に見事に合致して、それを観てるだけで心地良い。Uの世界はちょっと古くさい感じもするが、見た目に電脳世界と分かる構造なので、これはこれで良かろう。
あと、現実世界での話を高校生活に持って行ったのは受け要素としては正解。これまでの細田監督のヒット作は主人公が高校生なのが多いため、正しい選択だろう。主人公がトラウマを伴う悩みを乗り越えるのと、高校生らしい恋物語が展開するも王道で良し。
本当にこれは受けるために総力を結集させたのだろう。そして狙ってそれが出来るのが細田監督だ。
ただし、それはある意味作家性の後退でもある。受けがあまり良くなかったとは言え、前作『未来のミライ』も前々作『バケモノの子』もとにかく作家性を前面に打ち出し、監督だけしか作れないような個性的な(変態)作品に仕上がっていたが、本作は個性(変態性)を後退させたため無難な感じになってしまった。
これは痛し痒し。作品としての完成度は絶対こっちの方が高いし、楽しめるのだが、どっちかというと作家性を楽しみたい身としてはもうちょっと監督自身のフェティシズムを出してほしかったかと思う。
それと、設定の甘さも多数目に付く。
前述したが、まず電脳世界があまりに古くさい。UのAIは『サマーウォーズ』と変わらないし、もっと言うなら20年前の「デジモン」からほとんど進歩してないので、この20年いったい何をやってたんだと言いたくもなる。Uが何故楽しいのかを描かねばならないはずなのに、Uのキャラクターはみんなぷかぷか浮いて同じ方向に飛んでるだけって、一体何が楽しいのか観ていて全く分からない。それにあれだけ巨大なシステムなのに自衛手段が全くないとかあり得ないことを平気でやってくる。世界的なシステムのくせに欠陥を全て放置するシステムは無理ある。20年ほど前のネット初期の混乱を現代の成熟したネット社会に無理矢理ねじ込んだために、大変歪んだ設定になったのだろう。竜が城や眷属を持つなど、おそらくは相当な相当な財力がないと出来ないことだが、一体その金はどこから出ているのか、そして何故秘密裏にあれだけの巨大な城を作るとが出来たのかも全く説明が無い。「ネットは何でも出来る」という命題が歪んで出ていたため、リアリティがなくなった。
あと言うなれば、主人公すずの性格が最後までつかめなかった。母の死にこだわっている割に父親との関係が単なる拒絶のまま止まってるのも変と言えば変。10年以上もこんな状態で生活出来てる説得力がなくてその空白期間の蓄積がまるで感じられない。母親を失った瞬間からここまで冷凍睡眠状態だったみたいだ。それに人を拒絶するくせに人を信じすぎるとか性格の歪みも説得力なし。そんなすずに対して周囲はまるで腫れ物を扱うように丁寧に扱っている訳だが、すずの我が儘はなんでも聞いてくれ、やりたいと言ったらすぐに背を押す理屈も説得不足。そもそもラストの東京行きなんて無茶なだけ。分別ある大人が存在しない世界。Uより現実世界の方がよっぽどファンタジーだ。
あと、声も俳優を多数使っていることもあって、全般的に声が違和感だらけ。主人公以外は普通に声優使ってくれた方が良かったと思うぞ。
結果として大変歪んだ作品だとは言える。
それで重要なのは好みか否かだけだが、少なくとも私はこれはとても好みではある。雰囲気に浸っているととても心地が良いのだ。
そう考えると、変態性が後退したかのように見えながら、しっかり違う形で個性の強い作品だったのかもしれない。 |
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24話 |
ヤツデが町内会の旅行に出ている間にバカンスワルドが現れ、交戦となる。チェンジマンの力で空高く飛ばされたバカンスワルドは空から世界中にバカンス光線を浴びせ、その光線を浴びた人間は皆バカンス気分になってしまう。戦意消失して平和な世界が訪れるが…
敵はバカンスワルド。人間の戦意を失わせるバカンス光線を発する。本人も戦う気はなく、ひたすらバカンスを楽しむことを目的としている。遊びほうけていたため、バラシタラに怒られて破壊されてしまった。そしてダイバカンスワルド。
人間に抵抗する気持ちを失わせたらそのまま侵略完了してしまう。理屈としてはその通りで、戦意消失した世界を征服するのは簡単だ。ただ、侵略者の方もバカンス気分になってしまって、侵略する気が無くなってしまうという問題があった。馬鹿じゃん。
前回が結構ハードだったが、今回はいつも通りというか、いつもよりも更にコミカル回で、全編ほぼ遊んでるだけ。バランスが崩れてる。
<合体するときにかき氷の好みの話をしてるマジーヌとブルーン。なんか倦怠期の夫婦みたい。> |
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コスライダー バック・トゥ・ザ・フューチャー マーティ・マクフライ&エメット・ブラウン博士 ノンスケールフィギュア |
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26 |
読書 |
パタリロ!13
「ベルサイユのヒマワリ」パタリロは子孫の10世の救援信号を受けて未来へと向かうが、そこでタイムスリップしてしまったヒマワリ部隊の一人を助けるよう助けを求められる。
「タロット輪舞曲」ロンドン滞在中のザカリーの予言がMI5の目にとまり、その面倒を看ることになったバンコラン。超能力を信じないバンコランに惚れてしまったザカリーは自分の能力が役に立つことを必死に訴える。
過去の実際の歴史に干渉するのは前にもあったが、何故か前の話もフランス革命だった。著者が気に入ってるのかな?もう一本は一方的にバンコランに言い寄るザカリーの構図で、なんか三角関係に移行しそうな感じ。どちらの話もパタリロは狂言回し。 |
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5話 |
100年前に人類の前に初めて現れた怪獣デスドラゴが再び現れた。出動するGUTS-SELECTだが、デスドラゴの姿を見たアキトの様子がおかしかった。無謀な攻撃を加えるアキトに不審を覚えるケンゴ。
敵は破壊暴竜デスドラゴ。100年前に初めて地球に現れた“始まりの怪獣”。何度も人類に撃退されているが、その度ごとに甚大な被害を与えている。前回出現時にはアキトの両親が犠牲になった。
アキトの過去を描く話。過去父親が怪獣に殺されてしまったことがトラウマになっているという分かりやすい話。デスドラゴを殺すことを目的としてGUTS-SELECTにいるとのこと。一方では時分を立ち直らせてくれたユナに対して騎士を自認しているので、それがトラウマを乗り越えるきっかけとなった。そこでケンゴに対しても素直になっていく。青春してるなあ。別段見たくないけど。
一方ユナがユザレの生まれ変わりだと知ったカルミラはデスドラゴに陽動させ、ダーゴンにユナを襲わせる。ユナにビンタされ、
<アキトは冷静なときには組織を鼻で笑い、敵討ちの時は死のうとして突っかかる。中二病の権化か?> |
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24 |
映画 |
ザ・ハント(2020) |
何者かによって拉致された12人の男女が突然武器を持たされて森の中に放り込まれた。直後銃声が鳴り響き、次々と殺されてしまう。武器を手に逃げ惑う彼らだが、やがて彼らは、このシチュエーションがネット上でまことしやかに囁かれていた“マナーゲート”と呼ばれるセレブが一般庶民を拉致して行うと言われる人間狩りゲームにそっくりなことに気づく。何故自分たちがターゲットに選ばれたのか、そして生き抜く条件を求めて彷徨う彼らだが、銃弾は容赦なく彼らを襲う。
2000年代になってから定期的に作られるようになったマンハントゲームに連なる作品となる。マンハントゲームというのは舞台は荒野とか駐車場とかが使えるし、そこそこ動けさえすれば良いのでさほど有名な役者も必要としないために低予算で作れるということもあって、比較的作られやすい。
それで結構作られているのだが、そうなると今度は似たような作品ばかりが量産されることになる。多くの場合、デスゲームの主催者は退屈した権力者や大金持ちで、集めた人間に殺し合いをさせて、それをゲームとして楽しむというもの。
本作もそれを踏襲しているが、近年低予算ホラー作品で個性を出している映画製作会社ブルームハウスが作っているだけに、結構個性を出そうとしている。特に本作では社会性を取り入れたものになっている。
このタイプの作品では定番の黒幕はレイシストや退屈した権力者だが、この作品ではリベラリストというのが大きな違い。彼らは実際退屈してるし、権力も持っている。ただし、彼らには世直しをするという目的があって、ネットで見つけたレイシストを集めるという話になってる。通常レイシストの方が悪役になることがほとんどなのにリベラリストが敵役というのは珍しい。
このことについて少し書くと、映画に関わる人たちはリベラルの側に立つ人が多い。理由は簡単で、製作者にとっては自由に映画を作ることが一番の目的だから。制約を可能な限り受けないとは、まさにリベラルの生き方そのものとなる。当然ながら仲間であるリベラリストを善とし、保守的な考えを持つ人を敵視することが大半となる。古来映画人はそれを下敷きにした映画作りをしてきた。
リベラリストが敵役になることが滅多にない中で、本作は敢えてそれをやったのが面白かった。実際保守だろうがリベラルだろうが、腐った考えの奴は必ずいる訳だし、過激派のような考えの者もいるし、自ら正義を行うつもりで主張の違う人間を断罪するのもいくらでもいるのだから。その事を敢えて描くことで社会派的な意味合い持たせたのは評価する。ただ、今回は今ひとつ有効には機能しておらず、空回りした感はある。
あと、一見本作は群像劇に見える作りで始まったが、中盤から主人公に絞ったのも構成としては面白い。最初から主人公が主人公っぽい行動を取ってないこともあって、中盤までは本当にサバイバルゲームの楽しさを味わい、中盤以降は高まったドラマ性で見ることが出来る。なかなか面白いバランスを持った作品とも言えよう。 |
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47話 |
ストリウスによって奈落に落とされてしまった飛羽真はプリミティブドラゴンの力によって引き戻され、戦いを再開する。だがロード・オブ・ワイズの力に仲間の剣士が一人一人倒され、現実世界とワンダーワールドの消失が進んでいた。
敵は仮面ライダーストリウス。
最終回。世界の消失は決められていたはずだが、飛羽真が全世界の人々の思いを受けて新しい物語を紡ぐことで新しいワンダーワールドを作り出し、世界の崩壊を防いでくれた…この程度で良いんだ。ふーん。
全ての知識を手に入れ、あらゆる攻撃を防げるはずのストリウスも、全ワンダーライドブックの攻撃を防ぐことが出来ずに消失。
あと、死んだと思われてた仲間達は全員生きていた。あと、全員正気に戻って良い人になってた。はいはい。
最初からずっと苛つきっぱなしの作品だったが、とにかく終わった。それだけでほっとしてる。 |
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22 |
読書 |
アクセル・ワールド24 青華の剣仙
無限フィールドに居座ってリーダー達を閉じ込める高熱球体エネミーのインティを倒すという難題を押しつけられたハルユキは、時折聞こえるようになった謎の声に導かれるように無限フィールドの更に上にあるハイエストレベルへと上る。そこでシルバー・クロウを待っていたのはかつての三代目クロム・ディザスターで、BBから排除されたはずのセントリア・セントリーだった。彼女はシルバー・クロウにBBに置ける剣の極意を教えると言う。
ここまで来て又しても新キャラ登場。しかも又しても女の子。ハルユキの周りはとんでもない状況になってる。物語はあまりにも都合良すぎる展開なのだが、それでないとストーリーが進まないという矛盾を抱えてる感じ。 |
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23話 |
中東にある精神病院から逃亡したキング・タットが再びゴッタム・シティに戻ってきた。
キング・タット二度目の登場。ブルース・ウェイン邸の地下にナイレニウム脈があることを知り、隣の土地からそれを掘り返そうと狙う。
それでバットマンもそれを知ったが、鉱脈を掘られるとバット洞窟を知られてしまうため、必死になってそれを阻止しようとする。そのため、バットマンはほとんどウェイン邸から出てないという珍しい話になった。
それでついにバットマンの正体がばれてしまったが、バット記憶喪失ガスなるご都合主義アイテムと、なんせ相手が二重人格のキング・タットだけに、頭に岩当たって本来の人格に戻ってしまって記憶を忘れた。
<トロッコに乗ったキング・タットを追うため走って追うバットマン。1マイルを2分で走ると言ってたが、ずいぶんのんびり走ってる。> |
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20 |
映画 |
ブラック・ウィドウ(2020) |
シビル・ウォー事件でソコヴィア協定否定派のキャプテン・アメリカ側に付いたことからお尋ね者にされてしまったブラック・ウィドウことナスターシャ・ロマノフ(ヨハンソン)は逃亡生活を続けていた。しばらく半隠棲をするつもりでいたが、かつてレッド・ルームという組織のスパイ時代に妹分であったエレーナから合成ガスと見られるおかしな荷物が送られてきた。直後何者かの襲撃を受け、自分が壊滅させたはずのレッド・ルームが今も残っているという事実を知らされる。
『アベンジャーズ エンドゲーム』(2019)にて完結を迎えたMCUだったが、MARVEL映画自体はまだまだ続き、新たなヒーロー達が活躍するフェイズへと移ろうとしている。それと同時に、あの戦いを経てまだ生き続けている旧来のヒーローを再評価し、新旧入り乱れて新たな戦いを展開することになるらしい。
その第一作に選ばれたのが『エンドゲーム』にて命を散らしたブラック・ウィドウだった。当然ながらその舞台は過去。しかもかなり限定的な期間で、具体的には『シビル・ウォー キャプテン・アメリカ』(2016)の終了から『アベンジャーズ インフィニティ・ウォー』(2018)に至るまでの数年の間の出来事となる。シビル・ウォーの事件でキャプテン側に付いたため、逃亡生活を余儀なくされてしまったブラック・ウィドウが、過去を清算するために戦うという話。MCUのメインの話とは関わらないが、端々にその関係性を感じさせる話に仕上がっていた。
これまでのシリーズ作品でブラック・ウィドウで分かっていたことは、かつて共産圏のスパイとして育てられ、それを引き継ぐ組織のスパイ兼暗殺者だったこと、自分の意思でS.H.I.E.L.D.に入っていたことくらい。あとは超人的な能力を持たないためにホークアイとコンビを組むことが多かったことくらいで、あとはほとんど謎の人物と見られていた。
それを主人公にしたことで、色々分かってきた。
まず彼女は元々旧ソ連の特殊部隊として育てられているが、恐らくソ連崩壊に伴い、個人の私兵集団レッド・ルームで活動していた。つまりそこにはイデオロギーはなく、ただ命令によって人を殺すというロボットのような殺し屋であったこと。そんな組織にいる事に耐えられなくなったためにS.H.I.E.L.D.に入ろうとしたということ。おそらくは彼女はS.H.I.E.L.D.に入隊した理由はこれまでの殺人を全て不問にするためであったと考えられる。そのためにレッド・ルームを壊滅させたはずだった。
ところがレッド・ルームは生き残っていて、更に洗脳の技術を上げ、スパイ時代にナターシャの妹として育ったエレーナも完全洗脳状態にしていたのだが、偶然からその洗脳が解け、ナターシャに救援を求める。
アベンジャーズから離れてしまったナターシャが戦う術はスパイ時代だった両親から情報を得ることと鳴り、結果的に本作は偽装されていた両親と娘二人の四人による家族ヒーローの話になっていた。
根本的な問題として、ナターシャがこっそり現アベンジャーズに情報を流すせばそれで話は終わってた気がするし、頼る存在として逃亡中のキャプテンやワンダ、ワカンダもあるんだが、その辺全部すっとばして家族の話にしてしまった。
そのお陰で巨大組織に立ち向かうファミリードラマと言った風情で、スケールが大きいんだか小さいんだか分からない話になってるが、素直に楽しめるだけ良かったんだろう。特に家族一丸となって戦うシチュエーションは私の大好物。アクションも相当に力入っていて、レッド・ルーム壊滅からの脱出シークェンスはまさに手に汗握る緊張感。やはり大画面で観て良かった。
初登場のヴィランとなるタスクマスターもキャラが立ってるし、後の二代目ウィドウとなるエレーナ役のフローレンス・ピューは『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』(2019)のエイミー役演ってたときも個性的な役者だと思ってたが、アクションも出来ることが分かって驚き。
大きな予算を掛けて概ね高水準にまとまっているが、まとまりすぎていて小粒感が強かったところだけが不満。 |
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23話 |
ゼンカイジュウオーとバトルシーザーロボ2号の戦いは実力拮抗で長引き、介人はステイシーに改めて勝負を挑む。仲良くなれるかもしれないステイシーに対して、その思いを受け止めるために本気で挑もうとする介人。
敵はステイシーとバトルシーザーロボ2世。
介人とステイシーとの戦いが展開する。もう後のないステイシーはなりふり構わず介人を倒そうとしており、その決死の思いを受け止めた介人も全力全開で受けて立つ。
そんな介人の思いを受け、二人の戦いに割って入ることなく、戦いをサポートするゾックス。良い感じの人間関係になってきた。
ステイシーザーにより久々に偽物戦隊が登場。シンケンジャーとオーレンジャーだった。
ゼンカイオーとゼンカイジュランが合体し、スーパーゼンカイオージュランに変形した。更にスーパーツーカイザーもツーカイオーと合体してスーパーツーカイオーへと
これでステイシーは瀕死の重傷を負うが、何故かザザが回収してイジルデの元へと連れて行った。そしてイジルデの研究室には介人の両親がコールドスリープ状態で置かれている。
<ゼンカイジュウオーとバトルシーザーロボ2世の戦いをただ見ているだけのゼンカイジャー。なんで参戦しないの?
キカイノイドは社会に溶け込んでいるが、屋台のラーメン屋までいる。器用というか、変なところですれているというか。
スーパーゼンカイザーは生身のまま巨大化してるのだが、あんな変形までしたら、介人の骨格はどうなってるんだろう?> |
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19 |
読書 |
中春こまわり君2
元同級生のジュンが内縁の夫が立ち上げる予定の会社に投資してほしいとこまわりと西条に持ちかけてくる。しかし浮気し放題のその夫に不信感を覚えるこまわりは、それとなく探りを入れてみる。
1巻からの続きとなる連作短編集だが、今巻は全部推理ものになってるのが面白い特徴。変態的な言動も誰かに求められて行うってことがほとんどで、あのこまわり君がなんでこんなにまともになるんだ?というギャップが面白い。小説家山上龍彦の原作を漫画化したって感じ。 |
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SP2 |
怪獣デバンによるウルトラマントリガーをはじめとする歴代ウルトラ戦士の紹介。トリガーマルチタイプに似たキャラとして、ウルトラマンリブット、ウルトラマンタイガ、ウルトラマンZ。パワータイプに似たキャラとしてウルトラマンタイタス、ウルトラマンZベータスマッシュ。スカイタイプに似たキャラとしてウルトラマンフーマ、ウルトラマンブルウィンド。
トリガーの敵となる闇の巨人を紹介し、悪の超人を紹介。ダークルギエル、エタルガー、ダークキラー、トレギア、アブソリュートタルタロス。 |
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図解入門業界研究 最新映画産業の動向とカラクリがよ~くわかる本 [第4版] |
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中村恵二
佐々木亜希子 |
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17 |
映画 |
空母いぶき(2019) |
20XX年12月23日。クリスマスを前に沖ノ鳥島沖にある波留間群島初島に国籍不明の武装集団が上陸した。その報を受け、自衛隊は近海で訓練航海中の第5護衛隊群に出動を命じる。その旗艦は、自衛隊初の空母という存在から、“専守防衛”を巡って国論を二分する議論の的となっていた“いぶき”だった。航空自衛隊出身の艦長・秋津竜太一佐(西島秀俊)と、海上自衛隊生え抜きの副艦長・新波歳也二佐(佐々木蔵之介)は、反発しながらもこの国難に立ち向かうこととなる。
かわぐちかいじによる同名漫画の実写映画化作品。劇場で予告を観たのだが、物理法則を無視したミサイルの飛び方観た瞬間に観る気を失った。予告はもう少し考えた方が良い。
そんなこんなでテレビ放映したのを機に観ることにした。
予想に反し、思ったよりは悪くなかった。少なくともちゃんと観られる。
本作は同じ時間を複数の視点から見る群像劇なのだが、その一部がそれなりにリアルだったのが幸いしたのだろう。これがもし秋津と新波のやりとりのみで話が展開していたら、それこそ目も当てられない作品になっていたので、群像劇にして正解。
予算の問題で派手には出来ないので、一つの事件が起こると、あとしばらくはその対策で時間を食うことになる。たたみ込むようなアクションの連続ではなく、この事態にどう対処するかの議論が必要になるのだが、正直この二人だと間が持たない。何故ならこのような危機を前にして議論する場合、テンプレにしかならないから。人権問題と国の危機の問題を俎上に載せると、どう描いても似通ったものになるし、本作はその最たるものだろう。
二人のやりとりはほぼ予想通りに進むので、観てるだけ退屈。だからこそ群像劇で、周辺の人たちの行動をたっぷり取ることで、事態の深刻さや様々な影響を可視化できたので最低限観られるものにはなっている。
テレビドラマで五時間くらいかけてやるのに丁度良い素材だろう。
周辺国の配慮もあってか、国の名前を明確にはしてなかったり、攻撃してきた人物を出さなかったりと言ったところを中途半端と見る人もいるだろうが、そちらを表面化させたら映画として成立しなくなるので、それはそれで良し。
褒める部分はそう多くないとはいえ、映画として成立させようとしてる努力は認めよう。 |
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46話 |
滅びの塔の上層部に来た飛羽真はストレウスと対峙する。そんな飛羽真に向かって、これまでの全ては全知全能の書に書かれていたと言い放ち、必ず世界は破滅すると宣言する。
敵は仮面ライダーストリウス。
これまでの全ては予定通りに進行した出来事で、滅びが定まっているのにあがく主人公。人の心こそが奇跡を起こすというのだが、これって90年代のアニメの設定でよくあったパターンで全く新しさを感じないのがなんともかんとも。
剣士達が次々と倒れていく。見所はたっぷりあるんだが、これまでの経緯ではまれなかった身としては、単に心が冷えるだけの転回。多分最終回には復活するんだろうけど、できれば倒れたままで退場してくれて、続編を作らないでくれればありがたい。
盛り上げようとしてるのは分かるんだが、乗れない自分が悲しい。
<ストリウスの絶望は自分のなしたことが全て予定の中にあったことだったそうだ。全く同意出来ないんだが、なんでそれが絶望なのかの説得力がほしい。
あと飛羽真の台詞が普通にうざい。> |
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15 |
読書 |
人でなしの恋
一人の未亡人の告白。それはさる貴族の元に嫁ぎ、幸せな家庭生活を送っていたはずの自分がいかに不幸で浅はかだったか。そして夫が本当に愛していたのは誰で、その恋愛を終わらせるためになにをしたかだった。
手紙の文体で描かれる、文字通り“人でなし”の恋を描いた話で著者の代表作の一つ。しかし今の日本ではこれは全く問題にならぬ程度のタブーでもある。それはそれで良いことなのだろう。 |
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22話 |
バットガールがシェイムに人質にされてしまい手が出せないバットマン。不本意ながらシェイムの恋人カラミティ・ジャンの母親フロンティア・ファニーを捕らえ、バットガールと交換する。そしてバットガールが持ち帰った情報は、列車強盗
シェイム編の後編。西部劇オマージュが強く、西部劇定番の列車強盗までやらかしてる。シェイムは西部の男を辞任してるためか、誇りが高く、ちょっとした挑発ですぐにムキになってくれるので、あっけなく捕まってしまう。
それでもバットマンは正々堂々一対一の勝負に持ち込んで圧倒してる。戦い方もジョン・ウェインばりに思いっきりパンチをためて殴り合ってる。
<バットマンの足を抱いて命乞いをするシェイム。顔の位置がもろに股間にあるんだが。> |
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13 |
映画 |
Arc アーク(2021) |
17歳で出産を経験し、子どもを残して放浪生活を送るリナ(芳根京子)は亡くなった人に特殊な防腐処理“プラスティネーション”を施し、生前の姿のまま保存するサービスを提供する会社の社長であるエマ(寺島しのぶ)に才能を見いだされてその会社で働くようになる。エマの弟である天音(岡田将生)そんな中、エマの弟・天音がストップエイジングの技術を完成させ、ついに不老不死が現実となる。天音と結婚し、人類で最初に永遠の命を得た女性として、30歳の身体のまま生き続ける運命を選択したリナだったが…
これは全然ノーマークだったが、質の良いSF作品があるということをネットで知ったことで出会えた作品だった。
一応形ではSFなんだが、SF的ガジェットはとても少ない。目に見えるものはプラスティネーションという死体保存技術くらいで、他は全く目に見える要素はないし、物語も基本的に大変静かに展開していく。かなり役者の演技力に負った作品となってる。
逆にSFガジェットを必要としないということは、それだけ練った物語と言うことだし、それに合わせてしっかり演技が出来ているので、設定と物語がぴったり合った作品だと言えよう。
ここで問いかけられているのは永遠の命を突然与えられた人間のアイデンティティというもの。基本的に人間の精神とはそれに耐えられないはずという前提条件から話が始まっている。
永遠の命というものを普通の人間は受け止めることが出来ない。必ずどこかで精神的に耐えられなくなる。
それでも命を求めるならばどうなるのか。
一つの答えはプラスティネーションである。体液を特殊なプラスチックに置き換えるこの処置を施された人は決して老化しなくなる。ただしそれは死者に限ってのことであり、生きている人間には適応されない。あくまで姿形を永遠に残すという意味でである。
一方遺伝子を書き換えることで精神を元のままに不老不死の肉体を手にしてしまったらどうなるのか。そこからリナの遍歴が始まる。いわゆる八百比丘尼の話とは違い、多くの人もその処置を受けているが、それでも命の長さには耐えられない。リナは敢えて延命処置を拒む人々とのお世話をすることにして普通の感覚を持とうとしたようだが、いくつかの事件を経て、自分も老いて死ぬことを選択するに至る。
明確に彼女が何故その結論に至ったのかははっきりとは描かれていないが、劇中様々な小ネタがちりばめられていて、それらを総合して推測出来るようになっているのが本作の面白さだろう。視聴者に考えさせるタイプの映画は観ていてやっぱり心地よいものだ。
いくつもの解釈があるだろうが、私なりの解釈では、これは一種の青い鳥の話で、リナは自分でも分からない“何か”を求めていて、それが命に関わるものであることを遍歴から悟る。そしてそれがなんであるのかということを自分なりに納得したから死を受け入れる用意が出来たと言うことになる。
本来見つかるかどうか分からない永遠のテーマを自分なりの解釈で見つけ出した本当に幸運な人物であるとすれば、これはこれ以上ないハッピーエンドと言えるのかもしれない。
ノアの箱舟を意味するArcという言葉と引っかけるならば、おそらくは自分なりに納得した上で命を継承させたという事になるのかもしれない。あくまで私の解釈だが。 |
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22話 |
人にウシのような角を突けて凶暴化させるトウギュウワルドが現れた。出動するゼンカイジャーだが、凶暴化した人間達に襲いかかられてしまう。そんな時に介人が呼んでもゼンカイジュウギアが来なかった。
敵はトウギュウワルド。強そうな人間に角を付けて凶暴化させる。凶暴化した人は指定した色に向かっていく。そしてダイトウギュウワルド。
ガオーンが中心になったいつものパターンの話。ゼンカイジュウギアを怒ったら家出してしまったと落ち込んで、それをジュランになじられて落ち込む。動物だけでなくキカイノイドも好きになれるようになったという話。
ガオーンの話はちょっとしんみりしてるけど、元々がなんでもありの作品なので無茶苦茶やった方がむしろしっくりくるところがある。ゼンカイジャーの面々までウシになってしまったり、その辺はこの話でも無茶苦茶でよろしい。
後が無くなったステイシーが決死の覚悟でバトルシーザーロボで出撃しているが、改良型のロボはゼンカイジュウオウまで圧倒する。
<トウギュウワルドの台詞「呼ばれて飛び出てウッシッシ」は、色々情報詰めすぎてなんともかんとも。
ダイトウギュウワルドは「闘牛の恐ろしさを見せてやる」と言いつつ焼き肉で攻撃…死んでるじゃん。> |
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12 |
読書 |
手塚治虫アシスタントの食卓
1970年後半。新しく手塚プロにアシスタントとして入社した著者が他の漫画家志望のアシスタント達と一緒に過ごした漫画界の日々と、それにまつわる食の数々を綴ったエッセイ風マンガ。
漫画家手塚治虫が超人的スケジュールの中、それでも逃げ回ったり、アニメを作ろうとしたりと言った、生々しくてリアリティのある出来事を背景に、その時々に食べたものを描いている。視点が面白い作品だった。あと、アシスタントの中に石坂啓がいるのだが、最後の座談会でようやく「この人か!」と分かるところが以外。 |
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10 |
映画 |
愛してるって言っておくね(2020) |
広い家で二人きりの生活を送っている夫婦。常に寂しげなのは、最愛の娘を失ったから。娘の思い出に浸りながら気持ちがすれ違い続け、虚無感に襲われる二人。何故このようなことになったのか、そしてふたりはどう生きていくべきなのか。
全米に衝撃を与えた1999年にコロラド州で起きたコロンバイン高校の銃乱射事件。学校を生徒が銃で襲撃するという衝撃的な事件は、どこにも安全な場所がないという事実を知らしめた。
そしてこれは『ボウリング・フォー・コロンバイン』(2002)でドキュメンタリーとして作られた他、再現ドラマやフィクションとして多くの映画の題材になった。
更に模倣という訳ではないが、似たような事件はそれからも何度も起こってしまい、銃社会であるアメリカの恐ろしさと、本当に社会に銃は必要なのかという真剣な議論を引き起こし続けている。
そんな中で作られた短編アニメーションの本作は、実際の事件そのものではなく、それによって失われてしまった命にまつわる話となる。
こう言っては何だが、設定が良いため、そのまま実写長編にしてもいいくらいだが、短編アニメにすることでぐっと凝縮された濃密な物語になっていた。
抑えた色調の絵が心象風景っぽさもあって、もの悲しさを演出してるし、最後のアニメならではの展開は見事というか、とてもしんみりさせてくれる。特に前知識なしで観ると、最初の夫婦の寂しさの元がどこにあるのかを考えさせ、徐々にそれが明らかになっていくに従って、やりきれなさが身に迫り、最後はポジティブメッセージとなっていく。しみじみした良作。
これは全年齢向けに全世界に向けて広く観てもらいたい作品だ。 |
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45話 |
ストリウスを倒すべく集結した全ライダーはワンダーワールドに向かって突進した。シミーの大軍を蹴散らし、ロード・オブ・ワイズと対峙しつつ、着実に歩みを進めていく剣士達。
敵はロード・オブ・ワイズ。四人の敵をそれぞれ二人以上の剣士が戦いつつ歩みを進める。大昔のジャンプノリだ。ソフィアも仮面ライダーカリバーとなって参戦する。
カリバーと最光がシミーの大軍。剣斬とスラッシュがロード・オブ・ワイズ・スパルタン。ブレイズとバスターがロード・オブ・ワイズ・ハイランダー。デュランダルとサーベラがロード・オブ・ワイズ・ディアゴ。そしてセイバーとエスパーダがロード・オブ・ワイズ・クオン。犠牲を出しながらもなんとか勝ち進んでいく。前回が落ち着いた話だった分、今回はアクション主体。
ルナによれば、滅びが確定している世界の運命を変えることが出来るのは飛羽真だけだそうだ。しかしストリウスは既に運命は確定しているとして、ルナの言葉を全く聞かない。
<最も盛り上がる戦いの中でいきなり「こぶた三兄弟」とか叫ばれると気持ちが萎える。もう少しネーミングに気をつけてほしいもんだ。> |
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誰も語らなかったジブリを語ろう 増補版 |
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<楽> |
押井守 |
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08 |
読書 |
大江戸恐龍伝5
平賀源内がニルヤカナヤから連れてきた龍を見世物にしたところ、大評判となり、ついには将軍まで見物に来ることになった。大成功の源内だったが、まさに将軍が来た時に、何者かが龍の檻に放火し、龍が江戸市中に解放されてしまった。
最終巻。盛り上がるはずの物語が今ひとつと言った感じになったのは、そのまんま『キングコング』だったから。あまりにもそのまんまで、これでは小説では上手くいかない。 |
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21話 |
ゴッタム刑務所に収監されていたシェイムは仲間の手引きで刑務所破りをして脱獄する。そして自分を捕らえたバットマンに復讐を誓い、まずバットガールを陥れることにする。
カウボーイ姿のシェイム編。久々の前後編で、西部劇に即したキャラが大挙して登場する。
いつも通りヴィランの方がバットマンを罠にはめるのだが、今回の罠は特殊なガスを使ってバットマンの恐怖心をあおり立てるというものだった。バットマンがちょっとした物音にびびって縮こまってるシーンがなかなか笑えるが、チキンスープを飲んだだけで中和されている。
シェイムの脱獄で戦車が刑務所の壁を破ってるけど、ピンクに塗った本物のシャーマンだった。さすがアメリカ。
シェイム役はクリフ・ロバートソンが続投してる。
<ビビリガスを中和するにはチキンスープ…チキンだけに?> |
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07 |
映画 |
ゴジラvsコング(2021) |
2024年。古文書を分析した研究機関モナークは地球の内部に地下空洞があることと、コングとゴジラは戦う宿命にある事を発見した。そこで髑髏島に基地を設置してコングをその中に閉じ込めてゴジラと接触を防ごうとするが、コングが暴れたために収容失敗。そこで地下空洞にコングを連れていくことを決定する。一方、鳴りを潜めていたゴジラは突如アメリカに上陸。エイベックス・サイバネティック社を襲った後、太平洋を移送中のコングの存在を察知してコングの元へと向かう。
レジェンダリーによるモンスターバースシリーズでも肝となるのはキングコングとゴジラの二大怪獣の絡みである。それぞれ独自にシリーズ化しているが、やがてはこの二大怪獣を戦わせることは最初からの予定に組み込まれていた。
そしていよいよ2021年になって、二大怪獣のぶつかり合いがついに映画化された。
怪獣好きにとっては夢の対決である。
尤もこれは実に50年前に本田猪四郎監督によって『キングコング対ゴジラ』(1962)として映画化しており、更にこの作品の完成度も高いため、「今更やらんでも」という消極的な気持ちもないではないのだが、やっぱり公開されると気持ちが高ぶる。
新型コロナウイルス蔓延のために公開も遅れてしまったが、幸いなことにSNSでネタバレもなく、ほぼまっさらな気持ちで観ることが出来たのはありがたい(それでもいくつか漏れ聞こえてはいたが)。
この作品を一言で言えば、「サービス過剰」だった。ゴジラ側の前作である『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(2019)も相当なサービス過剰ぶりだったが、それに輪を掛けたサービスぶり。ただしちょっと方向性は違う。『KOM』のサービスは怪獣同士のぶつかり合いがたっぷり観られることがサービスだったが、こちらは設定的に盛りすぎ。
とりあえずメインのゴジラとコングの戦いを後回しにして、人間ドラマと設定の方をまずは考えてみよう。
この作品には人間側に三つのドラマが用意されている。
一つには髑髏島でコングの保護活動を行っているアイリーンと、手話を介してコングと意思疎通が出来る少女ジア、そして地図製作者のネイサン、エイベックス社のマイアからなる地下探検隊がある。
『キングコング:髑髏島の巨神』(2017)において地球空洞説が提唱され、そこから怪獣がやってくるとされ、ここの冒険がまずあるが、パターン的には『ロスト・ワールド』(1925)から連綿と続く一連の探検シリーズだが、モナークとエイベックス社の思惑が錯綜する陰謀とかもあって見応えはある。ぱっと思った感じは『緯度0大作戦』(1969)観てる気分。これが結構壮大な物語で、これだけで充分一本分の映画に出来るくらいの物語性がある。
二つ目に陰謀論者バーニーに引きずられるようにエイベックス社に証拠を掴みに行くミリーとジョシュの高校生コンビの物語。アメリカにある工場に入ったら、いつの間にか上海まで行ってしまってメカゴジラを目撃、そのままゴジラとコングの戦いに巻き込まれてしまう。これは純粋なジュブナイルもので、まさに王道の特撮物語。観ていて『ガメラ対大悪獣ギロン』(1969)思い出してしまった。ゴジラ対コングの戦いあってのことではあるが、これも一本分の映画として充分に観られる分量の物語がある。
そしてもう一つ。前作『KOM』でゴジラのために命を捧げた芹沢の関係者とおぼしき芹沢蓮の物語がある。ゴジラに観も心も捧げてしまった父を見て一体何を考えたのか。そして何故そのゴジラを滅ぼそうという考えに至ったのか。この物語を深めれば『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』(1999)にもなるし、『ゴジラ×メカゴジラ』(2002)にもなる強度を持った物語だった。
ゴジラとコングの戦いがあってという前提はあるが、これら三つの物語はどれも一本分の映画を作れるだけの内容を持っている。これをまんま映画にしてしまったらとっちらかってしまって中心がぶれる。だから本来相当細やかにペース配分しなければならない。怪獣の戦いというド派手なメインストーリーがあるのだから、できるだけ繊細に考えるべきものである。
しかし、この作品ではそれは全く配慮されてなかったようである。なんせ三つの物語がそれぞれ関係なく全開で作られてしまったから。正確に言えば三つ目の物語が脇に避けられて、残り二つの物語が好き放題に作られていた。
お陰で人間パートのストーリーが厚い割にとっちらかってしまった。三つの物語を一つにすればもう少しすっきりさせられたはずだった。それに三つ目の芹沢息子の話を端折ったため、ラストの伏線が弱かったのが残念だった。ここはもう少しだけ丁寧にやって欲しかった。
しかしそんなマイナス要素があっても、それ以上に良かったのがゴジラ対コングの戦いで、これはとても充実していた。
このタイプの作品で必要なのは、何故この二大怪獣が戦わなければならないのかという理由付けである。
これが実は結構面倒くさい。ゴジラは地球の守護神で、人類に対してもどっちかというと守る立場を取っている。一方コングは地下空洞と地上の通路を塞ぐためにいる。この立場から、どちらも戦う意味が薄い。更に二体とも知性が高い存在となっているため、ますます戦う意味がない。
ではこの二体が何故戦わなければならなかったのか。そこに画期的な言葉が出てきた。それは「宿命」である。ゴジラとコングは戦うべくして存在するのだから、戦うのは避けられないのである。
なんと頭の悪い設定だろう。しかし一方では、「宿命か。ならば仕方がないな」という妙な納得も出来てしまう不思議な言葉でもある。少なくてもたった一言「宿命」と言っただけで戦う意味が出来てしまった。ここまで単純化したのは意外だが、「こんなんでいいんだよな」と妙な納得感もあった。実際人間の感覚で理解出来ないものは理由もなくぶつかるでも充分成り立つのだ。
それにこれくらい単純だから二大怪獣のぶつかり合いも忖度なしに殺し合って良い。戦うのに複雑な理由があったらどうしても手加減が生じるが、殺し合う宿命なのだから、戦わざるを得ないのだから。
この二体の戦いも結構見栄えがある。巨大人型で身体能力も極端に高いが、哺乳動物特有の弱点も持つコングに対し、呼吸を必要とせず、あらゆる場所に現れ、更に放射熱線まで吐くゴジラ。明らかに基本スペックに差があって、単なるぶつかり合いだと絶対的にゴジラの方が有利。基本的にこの二体のぶつかり合いだと終始ゴジラの方が優勢になる。それを全く衒いもなしで描いた辺り、監督のきちんとした意思を感じる。
それで身体能力的には圧倒的に不利なコングがいかにしてゴジラと戦うのかと言うパートにかなり時間を使って、納得させるまでコングをパワーアップさせて第二戦。しかしそこでも良いところまでいっても、やはりコングが敗北。
実力差で決して対等でない二人の関係がちゃんと描かれてるのは好感度が高い。
結局第三勢力であるメカゴジラが入り込むことでゴジラとコングが協力することになってしまったのだが、そこは痛し痒し。気持ち的には盛り上がるのだが、折角の二体の戦いに水を差された気になってしまい、ちょっと中途半端かな。
ラストまでの展開は日本の戦隊もののVS作品っぽくなってしまった。監督もその辺心得ているのか、本当にそれっぽく作られているため、ちょっと安っぽくなってしまったか?
そこがちょいマイナスだったが、ここで戦いが終わった訳でなく、続編がある事で、以降に期待かな?
あと、ウィンガード監督には是非『パワーレンジャー』(2017)の続編かリブート作って欲しい。 |
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21話 |
コピーワルドが人間を次々にコピーし悪さを行わせる。出動するゼンカイジャーだが、コピーワルドによってゼンカイザーとツーカイザーがコピーされてしまい、コピーされた二人はそれぞれゼンカイザーとツーカイザーを名乗って各地で悪さをしまくる。それで介人は警察に捕まってしまうのだが…
敵はコピーワルド。人間やキカイノイドをコピーする能力を持つ。コピーした方は悪い考えを持つ。そしてダイコピーワルド。無機物もコピー出来て、物理的にはあり得ない動きで攻撃する。
偽物が現れる話は戦隊ものではそれなりに多いが、ゼンカイワールドと呼ばれる本作ではとにかく話がスピーディに展開するので、とても小気味よい。何の証拠もなく警察に捕まったり、すぐに脱獄したり。深刻にならないのが本作の良いところだ。
介人はともかくゾックスの方は元が泥棒なので、偽物がやってることがちょっと派手になっただけなんだけど。
新たな巨大ロボが登場。なんとスーパーゼンカイザーとスーパーツーカイザーが巨大化して合体するという…これは考えつかなかった。全砲門を解放する必殺技がCGではなく特撮なために大変派手で、そこら中のビルを破壊しながら敵を粉砕してる。
<コピーワルドは手にしたコピー機のトナーがなくなるとそれ以上コピー出来ないそうだ…トナー?
スーパーゼンカイザーとスーパーツーカイザーが合体するのは良いんだが、前屈みになったスーパーゼンカイザーに後ろから尻尾が合体するシーンは相当ヤバイ描写。> |
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05 |
読書 |
うちの会社の小さい先輩の話2
会社の面々で初詣に出かけることになり、一度実家に戻っていた篠崎拓馬は正月早々から着物姿の先輩と会えると、いそいそと用意していたところ、勘の良い姉に女の影を見られてしまい、付けられてしまう。先輩の片瀬詩織里を見た途端、姉はすっかり一目惚れしてしまい、拓馬に結婚を迫る。
この漫画を買うきっかけとなったエピソードがこの正月の話だったので、読めて良かった。相変わらず甘々な話ばかりだが、こういうのも良いもんだ。 |
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映画 |
伝説の役を断っていた俳優 |
ダニエル・デイ=ルイス |
アラゴルン「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズ(ビゴ・モーテンセン) |
トム・セレック |
インディアナ・ジョーンズ「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」以降のシリーズ(ハリソン・フォード) |
ブラッド・ピット |
ジェイソン・ボーン「ボーン・アイデンティティー」以降のシリーズ(マット・デイモン) |
ウィル・スミス |
ネオ「マトリックス」シリーズ(キアヌ・リーブス) |
トム・ハンクス |
アンディ・デュフレーン「ショーシャンクの空に」(ティム・ロビンス) |
グウィネス・パルトロウ |
ローズ「タイタニック」(ケイト・ウィンスレット) |
アル・パチーノ |
ハン・ソロ「スター・ウォーズ」シリーズ(ハリソン・フォード) |
エドワード「プリティ・ウーマン」(リチャード・ギア) |
ジャック・ニコルソン |
マイケル・コルレオーネ「ゴッドファーザー」シリーズ(アル・パチーノ) |
ジム・キャリー |
ジャック・スパロウ「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズ(ジョニー・デップ) |
メグ・ライアン |
ビビアン「プリティ・ウーマン」(ジュリア・ロバーツ) |
マット・デイモン |
ハーベイ・デント/トゥーフェイス「ダークナイト」(アーロン・エッカート) |
ミシェル・ファイファー |
クラリス・スターリング「羊たちの沈黙」(ジョディ・フォスター) |
イアン・マッケラン |
アルバス・ダンブルドア「ハリー・ポッター」シリーズ(リチャード・ハリス、その死後はマイケル・ガンボン) |
ジュリア・ロバーツ |
リー・アン・テューイ「しあわせの隠れ場所」(サンドラ・ブロック) |
マイケル・マドセン |
ビンセント・ベガ「パルプ・フィクション」(ジョン・トラボルタ) |
ショーン・コネリー |
ガンダルフ「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズ(イアン・マッケラン) |
リーアム・ニーソン |
エイブラハム・リンカーン「リンカーン」(ダニエル・デイ=ルイス) |
マーク・ウォールバーグ |
ジャック・ツイスト「ブロークバック・マウンテン」(ジェイク・ギレンホール) |
メル・ギブソン |
マキシマス・デシマス・メレディウス「グラディエーター」(ラッセル・クロウ) |
ヒュー・ジャックマン |
ジェームズ・ボンド「007 カジノ・ロワイヤル(2006)」(ダニエル・クレイグ) |
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映画 賭ケグルイ 絶体絶命ロシアンルーレット |
<A> |
<楽> |
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03 |
わたしの推しは悪役令嬢2
悪役令嬢のクレアに鬱陶しがられながらも、そのクレアを破滅から救い出そうと奮闘する“私”レイ。しかしその努力が逆にシステムに影響を与えてしまったか、元のゲームにはなかったはずのキャラクターやイベントが次々と起こってしまい、“私”が思うよりも遥かに早く破滅の時が迫ってしまった。どれだけ努力しても救えないという事実を突きつけられた時、“私”の取るべき道は…
あらかじめ結論が分かっていて、それを回避すれば良いだけの話かと思ったら、ゲームシステムに干渉したことで余計苦労が増してしまったというのが面白い作品。終わり方も意外なすっきり感。一応これで話は完結してるが、続編もあるらしい。 |
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4話 |
自らが闇の巨人に変わってしまう夢を見たケンゴ。そんな時に超古代の遺跡から謎の出土品が発掘されたと連絡が入りGUTS-SELECTは調査に出向く。ところがそこに洗われたイグニスは出土品を狙うが、それが怪獣を呼び寄せてしまう。
敵は古代地底獣オカグビラ。文字通り地中から現れたグビラ。鼻の部分にあるドリルを回転させて攻撃する。
少しずつ古代文明の謎が開かされていく。現時点ではシズマ財団が得ていた情報が説明されるだけだが、イグニスがちょっかい出すことで新しい事実が少しずつ開示されていくような感じ。
相変わらずケンゴに対して「ウザい」を連発するアキトと、イグニスが絡んで男三人でわいわいやってる。なんか同窓会ノリっぽさがあって。戦隊ものっぽいノリしてる。
<グビラが陸で棲息出来るようになったからオカグビラだそうだが、鼻のドリルは地中で相当邪魔になりそうな気がする。
古代遺跡を持ってオカグビラから逃げ回るアキト。体のサイズの対比から、足で逃げ回るのは無理だと思う。> |
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01 |
映画 |
ドラえもん のび太と雲の王国(1992) |
雲の上に天国があると信じていたのび太はジャイアントスネ夫にそれを馬鹿にされてしまった。それを知ったドラえもんは雲を固定化するガスを使って雲の上に理想の国を作ろうと提案する。やがて王国は完成したが、風に流されて槍ヶ岳に不時着してしまった。その極寒状態の頂上でなんと凍死しかけた一人の少年と絶滅したはずの生物グリプトドンを発見する。
映画版「ドラえもん」は冒険譚が最も多いが、創造系というか、一から国を作るような話も結構多い。有名なものでは『ドラえもん のび太の日本誕生』があるが、本作も代表作の一つと言えるだろう。
個人的には純粋な好みの作品ではないが、本作の設定はなかなか面白い。
最初に雲の王国を作る際、のび太がやったのは株式ファンドだった。そんなに複雑なものではないけど、会社とかの設立には重要な要素をきちんと描いたのは面白い。恐らく概念ではなく実際に運用するものとして描いた唯一のアニメーションではないかとも思う。その後雲の王国を作るのだが、設立から社会的インフラと政治形態を作り上げ、運用まで考えて作られた。劇中には裁判についても描かれており、これらの部分は子どもにきちんと説明していけば、社会の勉強にもなる。
そして始まった雲の王国が内乱と他の国との戦争を経て崩壊するまでを描くことで、一国の興亡史となっているのが面白い。
更に古代史文明の生き残りやらまで入ってくるので、話が随分盛りだくさん。枠組みだけ見れば大作だし、これだけで映画三本分くらい作れる内容を持っていたが、その内容の厚さがネックになった。全体的に薄めの物語が設定についていってない。
薄めに作らないと設定を受け止めきれなかったのかもしれないけど、勿体ないことだ。設定の良さを受け止めきれる脚本を用意出来ていれば傑作にもなったのにな。 |
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44話 |
ストリウスによって次々と巨大は本が現れ、その本に挟まれた人々がワンダーワールドへと飛ばされていった。道を閉ざされワンダーワールドへと行くことが出来ず焦る剣士たちの前にストリウスが現れ、仮面ライダーストリウスに変身。更にマスターロゴスに排除された四賢人を復活させる。五人の攻撃になすすべもない剣士たちだったが…
敵は仮面ライダーストリウス。そしてロード・オブ・ワイズ。かつてマスターロゴスによって排除された四賢人を全盛期以上の強さにしたもの。
ストリウスの侵攻が始まった。全ライダーの力を使っても全く太刀打ちできない力を持つ上に、剣士の全ての技を知るという存在で、どうやっても敵わない敵として設定されている。問題はその四賢人というのが突然登場したことだけど(劇場版かららしい)。
とにかく今回はストリウスの力を見せつけ、剣士達一人一人が戦う理由を語り出すことで30分丸々使って雰囲気作りだけだった。真剣になればなるほど飛羽真の言葉は上滑りするので、ギャグやってる方がまだ似合う。
ルナが大人の女性の姿を取るようになったとか、尾上家の団らんとか、倫太郎と芽依が雰囲気作ってるとかの取りこぼした小ネタも多く、雰囲気はよく出ている。これで主人公さえなんとかなれば、そこそこ観られるんだが。 |
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